最終章・季節は巡りて

 千穂と直が、久し振りに旅行に出かけたのは、暦の上では立春をとっくに過ぎていたが、寒さの緩む気配がしない昭和54年2月下旬であった。

 北九州を車でドライブし、太宰府天満宮や長崎の観光をしながら互いの気持ちを包み隠さず話せる時間が持てたのであるが、千穂は直との仲を友達関係としてしか考えておらず、直にすれば何とか持ちこたえた恋に陰りを感じていた。

 千穂と直の恋にも、破局が訪れようとしていたのである。

 1年3ヵ月ではあったが、東京で実質3ヵ月付き合い、後の1年間は遠距離恋愛になった二人が選んだ結論は、結婚は考えず友達として付き合ってゆく事になった。

 千穂にすれば、両親に結婚を反対された時から直とは友達関係と割り切っていたが、直は千穂の気持ちを付き合い始めた頃のような新鮮なものに何とか取り戻せないだろうかと気長く待っていたのであるが、時すでに遅しであった。

 そして、千穂と友達関係でいようと約束しておきながら結婚をあきらめきれなかった直が、今で言うストーカーほどではないものの、手紙を出したり電話をする毎に千穂の気持ちは冷めてゆき、やがて友達関係でさえ解消され別れの時が訪れたのである。

 男と女が決別した後には、女の方がその気持ちをはっきりさせて、過去の事はきれいさっぱり忘れようとするが、それに比べて男は未練がましく相手をあきらめきれない事があるらしい。

 直にしても、しばらくは千穂のことを、あきらめきれなかったようである。

 

 スナックのママとの会話から、つたない文章を綴ることになったところ、このような形で当時を回想し、あるいは現在の直自身の生活全般に照らし合わせてみると、

考え方や行動にほとんど変わりのない部分もあり、今更ながら己が成長していないと感じて止まない直ではあるが、何時までもそんな余韻に浸ってばかりでもいられなかった。

 人生においては、過去に戻ったり、未来の世界へ入り込むことは不可能である。

だからこそ現在を懸命に生きてゆかねばならない。

 直は、幼き頃から多感な少年であり、子供ながらに人が生きてゆく事について何かにつけ考える機会に遭遇していた。

それは家庭が貧乏であり、両親が子供達に対して節約した生活を余儀なくさせていた事にも原因があるようだが、当時の世間は直の家庭だけでなく、皆同様の生活をしていたのは事実であろう。

しかし、直にすれば自分くらい質素倹約に努めた者はないだろうと自負している一面もあり、例えば入浴に際してなら五右衛門風呂に入る手順を子供ながらに考えて、火と湯水を無駄にしない入浴方法を心得たり、欲しい物があってもほとんど我慢するとか、食事に関しても母親の作ったメニューには一切文句を言わない等子供なりに徹底した生活をしていたのである。

 幼き頃の体験を実生活に生かせれば心は豊かになり、今のやや緩みかかった日常生活から脱出できるかも知れないと考えれば、まず酒を止めるか量を減らす事から始め、職場や地域社会における人間関係についても、全体の中の一人であることを再認識することで、少しづつではあるが我が人生を謳歌したいと念じている直であった。

 そして、今更ではあるが、直自身の生活信条として、どんな時にも腹を立てず・人を憎まず・人の悪口を言わないことを念頭に生活してきたつもりであり、子供たちの教育にしても、物心ついた頃から、泥棒はするな・人に暴力を振るうな・女子を大切にしなさいと指導してきたではないか。

 人生には、自己に与えられた課題があり、その時期に成し遂げねばならぬ、宿命のような何かを背負って生きているのかも知れない。

 直にすれば、職場における業績の向上とか、子供の父親としての役割を充分に果たせられているのかと問われたなら、まだまだ中途半端な状態であるが故に、今一度原点に立ち返り、学校を卒業し社会人になった頃のような熱血漢にあふれていた自分自身を懐かしく思うと同時に、現在の生活に当時のような無心で行動力のあふれていたものを、この機会に再度取り入れようと決意していた。

 今年も初夏の季節が訪れていた。

 野山を歩けば新緑が心に優しく写り、海岸へ行けば磯の香りが漂い、自然界でも新しい生命が活動している様子が感じられる。

 直にとって、遠距離恋愛をしていた一年間は何であったのだろう。

 また寿退社して顔を合わせる事もなくなった千春や、スナック御見通しのママ桂子にしても、結局は直からすれば遠い存在の人でしかなかった。

 しかし直にとって一番気にかけていた、千春がめでたくゴールインした事はせめてもの幸いであった。

 そして直自身にしても、心の中では新たな人生をスタートさせようとしていた。

 初夏の朝は、なんと爽やかなんだろう。

 何処からともなく聞こえてくる小鳥のさえずりと、心地よいそよ風を全身に感じながら、千春も通っていた通勤路を、朝日で作られた自分の影と一緒に歩いていた。