2017/1/29
物思いにふける
今日も淡々と過ごしていた一日でした。
午前中は,家の中でのんびりした時間を過ごし,午後からは,久しぶりに畑の倉庫二階へ上がり物思いにふけっていた。
倉庫二階では,炬燵の中で足を伸ばし,我が人生を振り返ったり世の中のことを考えていたら,寝言のネタになりそうであると思い,そこら辺にあった紙切れに鉛筆で下書きをしておりました。
人の一生は短くも儚い,はぐれ雲のようである。
この人生でさえも,事件・事故に巻き込まれて命を落としたり,病気で思うままに生きられずに旅立つ人もある。
人の世とは,何と無常な世界なのだろう。
また,平和に暮らしていても,テロや戦争で住む家を追われ,心身に傷を負ってさまよい歩く人々の多いことは,人類の歴史が始まって以来のことである。
この末法という時代を,誰が救えるのか未だに不明である。
しかしながら,必ずや救世の主は現れるので,希望を捨てずに待つだけである。
それが500年先であろうが,1000年先であろうが,人類の続く限りにおいては必ずや救世主に遭遇すると思われるので,その時には救世主の言葉に従い,人類が力を合わせて生き抜く道を選ぶことになるのであろう。
さてさて,我なぞは天からの迎えが何時あっても不思議でない年齢になろうとしているが,生かされていることに感謝しつつ日々を送るだけである。
2017/3/1
久しぶりの手紙
月日の過ぎるのは早いもので,正月気分が抜けないままに過ごしていたら,気が付けば3月になっていた。
本日においては,終日を畑にて過ごし,雑草の生えた場所をトラクターで耕した後に,耕運機にて野菜の種を蒔くための畝作りを行っていました。
ところで,昨年の11月中旬頃から始めた家系図(先祖を祀る)の編集が終了し,墓の配置図も記載した小冊子が完成したので寺にも届けておりました。
しかしながら,後に訂正すべき箇所を発見し,昨日においては修正の上,手紙を添えて寺へ持参したのですが,こんなこともあったと,その一文を残しておきたく以下へ転記してみたいと思います。
『拝啓
日増しに暖かくなり,春の兆しが見え隠れする頃となりました。
この陽気に誘われたのか,我が家にも数羽の鶯が訪れて,裏庭のまだ若芽の出ない柿の枝の周辺を飛び交っており,その光景を眺めていたら,本格的な春がすぐそこまで来ているのが感じられました。
昨日は,突然にお伺いし,「先祖を祀る」との小冊子をお受け取り下さいまして有難うございました。
昨年の11月中旬頃から,ご先祖様のことが気にかかるようになり,家系について書いたノートを何回も見ていたら,改めて書き残しておきたくなり,小冊子を作ることになったのです。
内容はさておき,書き残せる人が記録しておくのは大切かと思われ,素人なりに編集と製本をしたものの,一部に誤った記載があり訂正を行なったので,改めて修正した分をお届けします。
何事も,十分に確認してから次へ進むべきであるところ,せっかちで気持ちが先走ってしまい,お恥ずかしい次第でもあります。
なお,小冊子を明治の初め頃に親戚付き合いしていた家にも届けたら,現在の宗旨は創価学会であるが,真言宗を信仰していた頃には寺の外檀家としてお世話になり,その頃に先祖の名前を知りたくて,寺で教えて頂いたという系図を見せていただくことが出来ました。
また,その他の元親族についても日蓮宗の信者であるところ,我が一族のみが唯一真言宗を信仰しており,これも何かのご縁であると信じ,今後もお大師様からのご加護が得られるよう日々精進してゆきたいと思っています。
三寒四温の時節柄お身体をご自愛下さいませ。
敬具
平成29年2月28日
和尚様
○ ○ ○ ○』
こんな手紙を添えておりましたが,自身の未熟さを曝け出した一幕でもありました。
2017/12/16
神仏と共に歩めた年月に感謝
寒い一日でした。
この寒さで,本日においても畑仕事を行なうことなく,日が暮れてしまった。
午前中に灯油を購入のためガソリンスタンドへ出掛け,午後からは久しぶりに倉庫の2階へ上がり,部屋の中を炬燵が使えるように模様替えし,炬燵の中で足を組み,小窓から見える外の景色を鑑賞しながら,物思いに耽っておりました。
ブログを書き始めて,あと少しで満6年になるが,寝言を500回まで書いてみたいと思いつつも,なかなかペンが進まず,時には回想し,四季折々の自然界の様子でさえも,同じ空間からの眺めでは新しい発見が少なくて,以前に表現した一文と重なりそうで,情景を文字で表現すことが出来ないのです。
ところで,職場を早期退職して9年と5月が過ぎたのですが,辞めると決心するまでに大きなエネルギーを使っただけに,その後の人生はゆったりとした年月が流れてきたようでもあります。
また,職場を去るか去らないかについては,35年間勤務し定年まであと数年だったので,石にしがみついてでも退職の日を迎えたかったところ,人間関係が嫌になり辞めることになったのです。
しかしながら,退職後は他の職に就くこともなく,晴耕雨読の日々を送れたことは有りがたく,神仏と共に歩めた年月に感謝しているところであります。
さて,昔のことは心の片隅に封印し,今を正直に生きるのみである。
天に向かって,唾を吐くようなことをしなければ,罰が当たることはない。
人生は捨てたもんじゃない。
自分で納得のいく,余生を過ごしてみたいと思っている。
何処かで聞いたような言葉であるが,こんなことも考えながらの一日でもありました。
今夜は,純米にごり酒・雪のマドンナを飲みながらの寝言になった。
ほろ酔い加減になっている。