2015/1/2

   掛け軸と向き合う

 どんよりとした厚い雲に覆われていた一日でした。

 2015年も二日目の夜となり,久しぶりにブログを更新しておこうとパソコンのキーボードをたいている。

 年の初めに,今年こそはと誓いを立てていた頃には,早朝に起床し風呂場へ行き全身に水をかぶり身を清めつつ決意を新たにしていたが,6年前の夏に職を辞してからは目標を達成するための決意はなく,ただただ静かでゆっくりとした年明けを過ごしておるのです。

 そんなことで,昨日なぞは元旦早々から,食べては寝る一日を過ごしていたが,

 このまま寝正月で終わるのは勿体無くもあったので,今朝は突然に思いついて,四国八十八箇所の掛け軸と西国巡礼の掛け軸を,数年ぶりに桐の箱から出してみました。

 掛け軸は,生前の父と母が巡礼した際に,行き先々の寺で一筆と朱印を頂いた二軸となっており,我が家では唯一の宝物であります。

 今朝は,この掛け軸を座敷の鴨居に掛けて,それぞれ般若心経を唱えて,本年の家族一同の無病息災と,世界の人々が平和に暮らせますようにと,祈願したところでした。

 久しぶりに座敷の鴨居に掛けられた二幅の掛け軸は傷んでおらず,桐の箱へ戻す時には新しいショウノウも入れて保管することにしました。

 この掛け軸を何年先に出すのか予定はありませんが,仏事だけでなく自身の魂が曇り自浄できない時には,箱から出して今朝のような気持ちで掛け軸に向かいたいと思ったところでもあるのです。

 

2015/4/25

記憶の中に

 一週間が過ぎるのは早いもので,気が付けば土曜日であった。

 本日においては,午前中に農業共済組合の役員を改選するための投票に出掛け,午後からは裏庭の除草作業を行っていました。

 除草作業では,取り除いた草をゴミ袋へ入れたものの,土付きであったのでゴミ袋(45ℓ)が重くなり,ゴミとして出すことを止めて畑の堆肥置き場へ移動させることにした。

 生前の母が草取りを行なっていた時には,草に土を付けたままゴミに出すのは土が勿体無いと言いながらケンド(ふるい)で土を除いていたが,本日においては土付きの草をゴミ袋に入れると重さが増し,ゴミに出すのは気が引けて畑へ還元させることにしたのです。

 ところで,庭の草取りを行いつつ,生前の両親のことや,嫁の兄・母が亡くなった時のことを思い出しておりました。

 そんな記憶の中で,昭和61年の2月に義兄が38歳で亡くなった時の葬儀は忘れられない追憶となっている。

 当時は土葬(現在でも行なわれていると思われる)をしており,町内会の皆さんが各自の役割(棺を安置するために縦2メートル×横80センチ×深さ2メートルくらいの墓穴を掘ったり,葬儀を厳かにするために竜の頭部を紙細工で作るなど)を受け持ち,葬儀においては曹洞宗の和尚さんが先導し執り行われたのですが,特に記憶に残っているのは和尚の出で立ちであり,仁王像そっくりの装いに加えて,腰には荒縄を巻き,草鞋を履いていたと覚えております。

 あの出で立ちで引導を渡されたなら,往生するしかないとさえ思ったが,それ以後は嫁の田舎での葬儀に出席しても同じ装いの和尚の姿を見ていない。

義理の兄が若くして死んだので,あの装束で性根を入れたのか,葬儀中の邪気を払うための法衣だったのか,和尚さんに聞いてみようと思いながら29年が過ぎてしまった。

 

2015/4/30

神仏の御加護

 4月も末日となった。

 この4カ月においては,正月を過ぎてから小寒・大寒・立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨と,二十四節気を身近に感じながら日々を過ごし,菜の花・水仙・梅・椿・桜などの花が咲いているのを見ては,季節の移ろいを楽しんでいた毎日でもありました。

 また,2月中旬から家の増築を始め4月上旬には小さな部屋が完成したのですが,室内を整えるべく障子を張りソファーを置いて,外部へは下駄置き石である紫雲石を配置するなどの作業を少しずつ進めていたのです。

 ところで,南米チリでは4月22日にカルブコ火山が50年ぶりに噴火し,ネパールでは4月25日にマグニチュード7.8の地震が発生しており,地球の中から膿を出すように噴火した火山や,その反動を受けたかのようなネパールでの地震を関連付けてみると,人間の知らないところで地球規模の異変が起きているのではなかろうかと考えておりました。

 地球は宇宙から見ると美しい星らしいが,その中身は壊れやすい星のようでもあり,文明社会になってからは大自然が暴発する原因を人間が作っている部分もあるようだ。

 寝言はさておき,今日は石などに写経した後に神棚の中へ保管してある般若心経を久しぶりに明るいところへ出し,写経した当時のことを思い出しておりました。

 この写経は,昭和63年の秋に始めたのですが,何かを祈願する時に写経をしていたところ,3年くらい続けていたものの仕事が忙しくなり,写経の筆を休めたままになっているのです。

 写経を行っていた頃には,米粒にでも写経できると聞き,小生においては小石の表裏へメガネ(凸レンズ)を掛けずに写経し,木剣の鍔(自作)・木の節・笛・普通大の石への写経も行なっておりました。

 思い起こせば,あの頃は困った時の神頼みのごとく,居住地域の神社仏閣を訪れたり,写経にて心を洗い,前向きに生きてゆこうと努力していたのは確かであります。

 それが宗旨でも替えたように写経などから遠ざかってしまったのですが,神仏は常に小生の心の中で生きており,毎朝には神社仏閣で頂いたお札を祀っている神前に向かい般若心経・大祓詞を唱え,昨年の8月末に母が亡くなってからは,その後に仏壇へ行き勤めをする毎日を送っているのです。

 さて,こんな信仰で良いのかと思いながら日々を過ごしておるのてすが,神仏の御加護は本人の清らかな気持ちがあればこその恩恵であると考えており,今後も心を正しく保ちつつ,同じことの繰り返しにはなるが,誰ぞに神仏との向き合い方について教えてもらうまでは,今のまま続けてゆきたいと思っているところでもあるのです。

 

2015/8/8

人々の祈り

 今日も一日が無事に終了した。

 この暑さ何時まで続くのかと思いながら,家や畑にて時間を過ごしていたが,

 水田では出穂が始まっているのを確認できて,野菜畑のかしこで赤トンボが飛び交う光景を見ていたら,実りの秋は遠くなさそうであると感じておりました。

 猛暑日が続いているので,畑仕事は午後3時を過ぎてから始めており,野菜を収穫した後に潅水を行い,その時の気分次第で鍬にて除草し,午後5時を過ぎれば生ビールを飲む毎日なので,飲みすぎに注意せねばとも思っているのです。

 本日においては,全身に汗をかきながら,畑の溝に生えている雑草を除草(10メートルくらい)したが,

百姓の真髄は,鍬で畑を耕すことにありとの閃きと,

剣道の奥義は,木剣で極めるべしとの妄想があり,

なお,核兵器のない世界を実現させるには,全世界の人々の祈りしかないと思うに至り,核兵器においても痘瘡ウイルスのごとく,信頼できる機関において保管することが出来るなら,それが理想じゃろと考えておりました。

 ところで,先日のインターネットのニュースによると,米国人の大半は今でも原爆投下を肯定しているとの記事が記載されていたが,

戦争終結を早めたとの理由はあるものの,原爆投下後の惨状は人類がかつて経験したことのない悲惨さであり,その惨たらしい映像を見ても原爆投下は正しかったと確信できるなら,米国人とは世界で一番に幸福な人々であると思われた。

 さて,久しぶりにブログを更新しておこうとキーボードを叩いてみたが,出穂にあやかり,シュッポ・シュッポ・シュッポポのごとくスムーズに書けず,何やらこじつけた内容になってしまいました。

 酷暑で思考が鈍っているようでもある。

 

2015/9/30

在るが儘に生きる

9月も末日になり,本年も残すところ3カ月となった。

 今日は,野菜畑にて終日を過ごし,白菜・ほうれん草・小松菜・高菜・ブロッコリー等々の根元に液肥を施すと共に若芽へ木酢液の散布を行ない,ぶんどう豆・そら豆・ニンニク・玉葱・イチゴ等を育てるために畝作りを行なっていました。

 ブログの方は,更新をしばらく休んでいたところ,田畑の仕事が一段落したので,以前のような寝言にはなりますが,ボチボチ書いてみようと思うに至り,久しぶりにパソコンのキーボードを叩いております。

 ところで,はからいの気持ちを捨てつつ余計なことを考えずに淡々と日々を過ごしていたのですが,その意識が強すぎたのか,先日のこと夢の中で無と無の空気の塊がぶつかり合い,どちらを選ぼうかと迷っていたら息苦しくなって目が覚めてしまいました。

 その時に気付いたのは,小生なぞの凡人には,はからいの気持ちを捨て去ることは不可能なので,さまざまな雑念と付き合いながらの毎日で充分であり,何より在るが儘に生きることが大切であると感じ取ることが出来たのです。

 さてさて,畑の横にある小道では,本年7月中旬にスイカを食べていて種を水路に捨てたつもりがセメントの溝に入ってしまい,その種から芽が出てど根性スイカとして育っており,生育が楽しみになっています。

 今日一日も,無事に過ごせたことが有難いと感じられる,秋の夕べとなっている。

 

2015/11/11

ご朱印用白衣

 午前中は小春日和の穏やかな天気であったのに,午後からは東方向から吹いてくる風が冷たく感じられる一日でした。

 朝のうちに,亡き母親が生前に保管していた衣類を処分し,昼からは,畑へ出掛け晩生タマネギの苗を植えつけていた。

 処分した衣類は45ℓ×23袋(3日間)でしたが,父親が亡くなった際には母において父の衣類は全て処分しており,自分も同じ立場になれば衣類等を処分してもらっても構わないと思いながらの作業でもありました。

 処分といっても,右から左へと捨てた訳ではなく,一品一品を確認しながらの作業であり,必要かと思われた品は大型の衣装ケース(3個)へ収納したのです。

また,作業中には父親が四国巡礼の際に朱印を頂いた,ご朱印用白衣を押入れの中から発見することができて,何かの巡り合わせのように感じておりました。

ご朱印用白衣は,朱印を頂いた本人が旅立つ折に着用してゆく衣類であるらしいが,本人から生前に白衣の存在を知らされておらず,亡き父の葬儀の際には納経帳を棺に納めたので,ご朱印用白衣は仏壇下台の最下段の引出の中で保管することにしたのです。

 生前の父親は,四国八十八箇所を数十回お参りしており,今年の正月には巡礼の際に完成させた掛け軸2対を,小生において座敷の鴨居に掛けて,元気だった頃の両親を偲んでいたのですが,ご朱印用白衣については偶然に発見した遺品となったので,大切に保管しておきたいと思った次第でもあります。

 ところで,我が家の裏庭では柿の落ち葉が日ごとに増えており,1ヶ月も前から朝になると落ち葉拾いを続けているが,落ち葉の積もった光景も趣きがあると思われるところ,単純な作業ではあるけれど,掃除をした後の庭を眺めていると自身の気持ちも清らかになったような気がしておるのです。

また,落ち葉の始まった頃には,庭に集めた葉の形が猫が丸まっているようにも見えたのですが,最近では海亀の甲羅のようでもあり,この作業が終われば本格的な冬が訪れるものと思われました。

 さてさて,畑では初秋に蒔いた野菜の種から芽が出て,移植した苗と共にすくすくと育っており,今日は晩生タマネギ苗を移植したので,来年の2月下旬ころにジャガイモの種芋を植え付けるまでの間は,土との戦いが一休みになります。

 何やかんやで本年も忙しい月日でしたが,残りの19日と1ヶ月を有意義に過ごしたいと思っているところなのです。

 

2016/3/2

神仏に感謝

 3月に入り,二日目の夕となった。

 ここ数日は,午前中に各部屋の片付けを行い,午後からは畑にて八朔・せとかの苗木を移植したりジャガイモの種芋を植え付ける等の仕事を続けていたところ,

 本日においては,午前中に砥部町の七折れへ梅の花を見に出掛け,午後からは家の中でのんびりとした時間を過ごしておりました。

 ところで,中途退職ではあるが,第二の人生なので日々をのんびり過ごせば良いものの,何ぞに向き合っていないと損をするように思い,気が付いた事柄を携帯にメモしつつ,ひとつずつ片付けておるのです。

 今後の予定は,野菜に液肥を施肥・イチゴ苗を移植・柿やビワの木の根元に鶏糞を置く・ニンニクが育っている畝の除草・カボスの木を垂直にする・水田の予定地を耕耘・セメントの畦を補修・自宅倉庫一階の掃除・水道管を保温材で覆う・二階の東側にセメントを注入(雨水が排水口の方向へ流れやすくするため)・書類を廃棄する等の予定があり,1日に1項目ずつでも終了させたいと思っているところであります。

 そんなことで,貧乏性なのは自分でも分かっているが,退職以来7年8ヶ月間もの長きにわたり再就職せずに晴耕雨読の日々を過ごせたことは神仏のおかげであると感謝する毎日でもあるのです。

 さてさて,一昨日は温泉利楽の野天風呂に浸かりつつ,偶然に会った近所の幼なじみ(一年先輩)と,互いに子供のことや家を改築したこと等について話していたところ,竹馬の友であった先輩は,愛光高校の先生を本年度末で退職し,4月からは別の高校で教鞭を執ると話されていたが,落ち着いた語り口調に,清らかで混じり気のない教育者としてのオーラが感じられ,小生の疲れきった魂が浄化されたようでもありました。