2017/8/6

自己暗示

 台風の影響かと思われる雨が,降ったり止んだりの一日でした。

 今回の台風5号は速度が遅く,四国へは明日の午前中に接近し,その後は近畿地方へ移動するとの予報なので,

 本日は,午後から自家用車を車庫へ入れたり,暴風で庭の物が吹き飛ばされることのないようにすると共に,家の戸締りをしておりました。

 8月も七夕の前日となり,水田では出穂が始まる頃となっている。

 特段の寝言ネタは無いものの,最近は自己暗示について考える時があり,何となく思い出しては実行していることとして,余計な考えが芽生えた際には,『思わない・思わない・思わない』と納得のいくまで(思わなくなるまで)念じておるのですが,実際に思わなくなり気持ちが楽になるのは不思議でもあるのです。

 また,妙な妄想があった際には,早めに気持ちを切り替えることで,心の中に放たれた観念を残さないようにするのも一方策であるところ,単に『思わない』と繰り返し念じることで息苦しい状況から打開できることもあり,何かの参考になればと思い書き記してみました。

 思わないについては,雑念がない・記憶にないと自由に変形させるのも良いが,金がない・何もない・運がないと念じるのは益々に落ち込むので禁忌であるようだ。

 寝言のついでに,以前に書き残しておいた,妄想と強迫観念との一文を転記してみたい。

 『昨日の昼食後に,何時ものように爪楊枝を使って,歯の手入れをしていたら,アマルガムを充填していた箇所が突然に外れてしまい,早速に行きつけの歯医者さんに電話したところ,昨日は昼から休診のようで連絡がつかず,結局のところ今朝になり受診の予約をして通院治療を済ませた。

 3年ぶりの通院でした。

 前回通院した時には,先生が治療する指が気にかかり困ったが,今回は何も考える事なく,目をつむっている時はただ暗く,目を開けている時は診療器具が見えるだけであった。

 妄想と強迫観念の概念については専門家に任せるとして,

 人は誰でも妄想し,雑念の世界に入り浸る時もあるが,妄想から離れる時には自然に次の思考へと移ってゆく。

しかしながら時として払い除けることの出来ぬ強迫観念として脳裏にこびり付く時もある。

 ところで,テレビのワイドショーを見ていたら,コメンテーターの先生方も普通の人間だなと思わせる場面があり,例えば堂々と話をされていても,何か雑念でも入ったのか癖なのか,突然に腕時計を見せる仕草をし,反対に高級腕時計を見せながら安心してコメントをしていたのに急に腕時計を袖口の中へ隠すのを見た瞬間がありました。

以心伝心はしてなかろうが,何らかの気持ちが見え隠れしておりました。

考え過ぎでしょうか。

 さて,思い出せば際限がないけれど,晴耕雨読の身の上となり田畑と我が家を往復するだけの日々を過ごしていると,はからいの心というのか,妄想や強迫観念との付き合いが減り,気持ちは楽になっている。』

 

 こんな一文が残されておりましたが,何処かで聞いたことのある「男の人は何時でもあのことばかり考えとるんやろか?」との言葉どおり,人は妄想し幸せな時を過ごしておられるなら其れも良しであるところ,意に反した妄想から逃れるためには『思わない・思わない・思わない』と,さり気なく念じて観念を薄めれば,迷いから離れることが出来るのかも知れません。

 

201712/9

今日は地球感謝の日

 今日も一日が無事に終了した。

今朝のこと,インターネットで情報を検索していたら,本日は地球感謝の日であり記事を投稿してみないかとのタイトルを見つけたので,早速に思い付いたままを打ち込んで投稿を済ませたのですが,何となく気に入った一文だったので,ワードへ複写し保存しておりました。

 

 地球とは,宇宙で一番に,素晴らしい星である。

 あらゆる生物が生きてゆくために,大地や大海からは大自然の恵みが与えられ,消費した老廃物でさえ自然に浄化してくれるのです。

 しかしながら,文明が進歩するに従って,この素晴らしい地球を,人間が壊そうとしているも事実のようである。

 地球を大切にして長持ちさせたいのなら,核実験は止めるべきであろうし,戦争は如何なる理由があろうとも行なってはならない。

 世界の人々は,本来の生活場所へ戻り,種を蒔き,羊を飼って,神々とともに生きてみてはどうでしょう。

 さて,地球と人間の関係においては,人間が地球を支配しているのではなく,人類の歴史は地球史において,ほんの僅かな時間なので,人間は地球上に住まわせてもらっているという謙虚な気持ちにて生活すべきであろう。

 そのためには,地球温暖化対策を中心に,あらゆる廃棄物の処理方法を確立する必要がある。

 さてさて,地球に住めなくなれば,他の星へ移住すれば良いとの考えもあるようだが,人類は地球こそが故郷であることを忘れてはならず,今からでも遅くないので,宇宙一に素晴らしい星に住んでいることを再認識しつつ,世界の人々の知恵を集結して,住みよい地球を創るべきではなかろうか。

 

 寝言の入り混じった一文になりましたが,人類が地球から見放されないためには,地球を大切にするとともに,あらゆる生き物と共存すべきかと思われました。

 

2018/4/24

   蜂の一刺し

 桜の花が散り,社会では本格的に業務が開始されているところ,国会においては議員の有志かと思われる集団が「ミーツー」とのプラカードを持ち,セクハラ反対を訴えている様子がテレビに映し出されていた。

 そのパフォーマンス,何処かで見たことがあったと考えていたら,ハリウッドでのスキャンダルの時に,似たような事をテレビのニュースで放送していたのを思い出しておりました。

 ところで,昔の話になりますが,急な来客に対応するために,お茶にするか酒にするか,その接待方法をあらかじめ夫婦間で決めておき,旦那さんから嫁さんに対し,手の指で合図を送っていたと聞いたことがありました。

人差し指なら茶を出し,親指ならビールを出し,人差し指と中指の二本なら日本酒を出すとの約束をしていたようです。

この話を聞いて,社会でも通用しないかと考えたことがあり,セクハラ・パワハラに対してなら,止めて欲しいと相手に伝える方法として,人差し指ならセクハラ・パワハラですよとか,握り拳ならセクハラ・パワハラを訴えますよとのメッセージを相手に送ることで,嫌がらせ・いじめから解放されるなら,人間関係は丸く収まるような気がしておりました。

 セクハラ・パワハラについては,それだと感じた時に,相手に対し早めに伝えることが肝心であり,さり気なく人差し指で眉毛を撫でたり,単に人差し指を相手に見せることで難を逃れることが出来れば,双方が傷つくことなく,セクハラ・パワハラを行なっている者も我に返るのではなかろうか。

 但し,人差し指・握り拳のポーズが遊び半分になってもと考えられますが,遊び半分なら人間関係は良好と思われるので問題ないのでしょう。

 さて,ミーツーについてでありますが,「ミーツー」を連想すると蜜になり,蜜から想像するのは蜂になるのです。 

 また,昔の話に蜂の一刺しというのがあり,命がけで相手に一撃を与える例えのようであったと記憶しております。

そこで,ミーツーと訴える代わりに,ミツ蜂(ミーツー蜂)を模ったバッチを衣類に付けて,セクハラを排除しますとの合図にすれば,セクハラが少なくなると思われたのです。

 ミーツーとは,私も被害者との意味があるようで,ミツ蜂のバッチを付けておれば,セクハラの被害者ですと訴えているようでもあるのですが,

ミツ蜂のバッチはwetee(私たちも行動します)であるとも認識すれば,集団でプラカードを掲げて行動しなくても,赤い羽根のバッチのように広く社会に根付くのではなかろうか。

 その他,ミツ蜂のバッチを作るなら,ミツ蜂のシールも作りカバンや持ち物に貼るのも,セクハラを社会から減らすのには効果があると思われました。

ついでながら,スズメ蜂のバッチも作り上記のように使用すると,スズメ蜂は攻撃性が強く,パワハラ退治のイメージがあり,一定の効果が現れそうな気がしているのです。

 さてさて,バッチやシールを常時付けておくのが嫌なら,必要な時に付けて,セクハラ・パワハラを退治して欲しいと願うところでもあります。