2016/8/23

地下水は安全か

曇りのち雨の一日でした。

 午前中に,庭木の葉っぱを食い荒らしているアオイラガを高枝鋏で取り除き,午後からは,畑にてササゲの種を蒔いていた。

 播種を終えた午後2時30分頃に突然大粒の雨となり,30分くらい降り続いた雨で野菜への潅水は不要となり,早めに家へ帰り午後3時45分から生ビールを飲み始めました。

蒸し暑い毎日が続いており,畑に出て働く人は限られているが,小生においては畑仕事で汗をかいた後に飲むビールが美味しくて,日課のように野良仕事に精を出しているのです。

 ところで,7月上旬の頃に松山市の水源地(地下水である井戸)近くの畑において除草剤を使って雑草の処理を行なっていたので,松山市役所へ電話して如何なものかと聞いたことがあり,この時に,担当者はゴルフ場単位で除草剤を使用すれば問題が発生することもあるが,水質検査を毎日行なっているので心配ないと返答しておりました。

 松山市の上水道は,石手川ダムや重信川中流域にある浅井戸から取水し,浄水場に送られて精密ろ過・滅菌等の処理を行なった後に各家庭へ給水されておるようです。

 また,重信川地下水系の恩恵を受けた地域では,現在でも飲用水を地下水に頼り,弘法大師の時代から永遠に続けてきた生活の中で,地下水との関わりは今なお変わりないのも事実のようであります。

 それはさておき,ゴルフ場単位での除草剤の使用との言葉が気にかかり何となく考えてみると,浅井戸の周辺にはゴルフ場の数十倍と思われる水田があり,ほとんどの水田で田植後に使用するマサカリジャンボ等の除草剤や,最近は使用が少なくなったものの稲の収穫前に散布する殺虫剤が,水道水の安全性に影響を与えてないのかとの着想があったのです。

安全なら,それ以上に追求する必要はないものの,水源地の周辺で除草剤を使用すれば浅井戸内の水が汚染される恐れがあるのではなかろうかと思うに至り,一農夫の寝言になりますが記録しておきたくパソコンのキーボードを叩いてみました。

 さてさて,愛媛県は,肝疾患の患者が他県に比べると多いらしいが,まさかの水が原因とは考えられないものの,水道水に微量でも農薬が混入されてないか詳しく調べてみても損はなさそうである。

 

2016/10/27

人生いつまで経っても未熟なり

爽やかな秋晴れの一日でした。

 午前中に,100円ショップへ出かけ日用品を購入し,午後からは,畑にてカラス除けのため氷結レモンの空き缶(50個くらい)を支柱の上部に掛けていた。

 畑では,ピーナツを収穫した頃から,ピーナツの取り残しを食べようとカラスが飛んで来るようになり,ついでに生育中のレタスの葉をかじったり,植えたてのタマネギの苗を引抜いたりのイタズラを行なっていたので,効果があるのか不明なところカラス除けのために工夫を凝らしておりました。

 作業の途中においては「人生(人間)いつまで経っても未熟なり」との言葉を思い浮かべては噛みしめておりましたが,

それも,先日のこと弟が我が家を訪れて世間話をしていた際に,弟に対し「人間は齢を重ねても未熟なことばかりやなあ」と話した記憶があり,改めて自分の未熟さを痛感していたからなのです。

 ところで,テレビのニュースによると,東日本大震災の津波で犠牲になった大川小学校の生徒の遺族が起こしていた裁判で,判決の言い渡しが昨日あり,仙台地方裁判所は訴えていた23人の遺族に,学校側の過失を認定し,県と市に合計14億2600万円の支払いを命じたと報じられていた。

 東日本大震災では多くの尊い命が奪われており,中でも津波により大川小学校の生徒74人が犠牲になった悲劇は痛ましくて,この小学校では地震の後に津波の襲来を直感的に察知して山へ逃げるよう先生に対し進言した生徒がいたようであるが,教師はマニュアルとおりの道順で高台を目指していた途中で津波にのまれている。

 そこには,聡明な子供と未熟な教師という場面が連想され,教師にすれば先生の言うことに従えとの気持ちが強かったろうし,まさか津波に襲われるとは思いもよらぬことだったろうが,海の近くの小学校で地震が発生したのなら即座に裏山へ避難すべきであったと,今更ながら悔やまれるのではなかろうか。

 人間は,過去を回想することが出来ても,未来を予測することについては不確実なことが多いので,過去の教訓を生かしつつ歩んでゆくことが大切であると,改めて考えさせられた出来事でもあったようだ。

 

2016/12/6

真ん中がブレーキである

 空は晴れるも,北西の風が冷たい一日でした。

 午前中に食料品の買い出しに出かけ,午後からは,久しぶりに畑の倉庫二階へ上がり不用品の片付けを行なっていた。

 畑での仕事が一段落したので,今からは必要な分だけ野菜を採り,雨の日には温泉に浸かりのんびり過ごしたいと思っているが,今年は1月下旬に台所と居間のリフォームを行なったので,今度は母屋の炊事場をリフォームしたいとも考えているのです。

 ところで,テレビでは高齢者が運転する車の交通事故について連日のごとく報じられており,不用品の片付け途中で何とかならないものかと思いを巡らせておりました。

 事故を起こすなら車に乗るな!

しかしながら,事故を起こそうとは思わないから運転しているのであるが,

自動車を運転中に,危険を感じたならブレーキを踏むところ,何処を踏むのか迷った時には,真ん中のペダルを踏む習慣を身に付けておれば,事故が未然に防げるのではなかろうかとの発想がありました。

 当たり前のことではあるが,パニック状態になると,考えなしにアクセルを踏んでしまうこともあるので,如何なる時でも危険を感じたなら,中心のペダルを踏むしか方法がないと頭に叩き込んでおれば,突発的な事態が起きても真ん中のペダルを踏み込めば車は止まるのではなかろうか。

その他として,土足厳禁で運転席の足元に履物の箱を置く人が居るようだが,何かの拍子に箱がブレーキの下に入り,急ブレーキが効かなくなる時もあるので,

運転席のアクセル・ブレーキ・クラッチの周辺には何も置かないのが安全運転をするための心掛けであり,事故防止の鉄則かと思われました。

さて,社会では忘年会シーズンとなっているが,カラオケが無かった時代には根深節を歌っており,諸先輩は♪真ん中♪真ん中♪真ん中え~えと♪と歌いながら宴会の場を盛り上げていたが,その先輩も80代になっており,車に乗るなら,真ん中がブレーキであるのを忘れずに運転して欲しいと願うばかりである。

 

2017/2/22

中国でも受験戦争か

 天気予報のとおり,午前中は薄日が射していたが,その後は厚い曇に覆われた空となり,午後3時頃から小雨になった一日でした。

 最近は,天気予報の当たる確立が高くなっており,インターネットでも日本気象協会が提供している雨雲の動きの画面を見ることが出来るので,外出時の参考にするだけでなく,農作業の予定を組むのに役立てております。

 本日は,午前中に食料品の買い物に出掛け,午後からは家系図作成のため墓へ行き,それぞれ墓石に明和~文久と書いてあるのを再確認しておりました。

 ところで,今朝のことテレビでニュース番組を見ていたら,中国の若者が東京大学・京都大学を受験のため予備校で勉強している様子が映し出されていた。

 そこには,中国の受験事情があると説明していたが,予備校生においては日本が中国を占領したばかりか南京大虐殺まで引き起こした憎き敵国であるとの様子は見受けられず,日本の最高学部へ入学したいとの情熱が感じられました。

 しかしながら,中国には矛盾という言葉があるのだろうか。

 中国においては,事ある毎に日本人を犬畜生のように忌み嫌い,地球上から日本国が消えて欲しいとさえ感じさせる言動をしており,その日本国の大学を中国人が何故に受験するのか不思議でならない。

 それはさておき,中国の若者が日本国の最高学部で修学するのなら,共産国家にはない言論の自由と人としての尊厳が保障された社会についても学び,日本国で生活した体験を以って,良識ある人間に育つなら大歓迎である。

 さてさて,夕方にテレビを見ていたら,韓国の日本大使館前では,島根県が条例で定めた竹島の日の式典を松江市内で開いたことに反対し,反日感情をあらわにしたデモを行なっている様子が映し出されていた。

 中国人さん韓国人さん,金欲しいあるか。国土増やしたいあるか。

 孔子・孟子・儒学者さんが笑いよらい。

 世の中を生き抜くためには,人としての心を持つことが肝心であると。

 

2017/5/20

畑での寝言

 そよ風が心地よく感じられた,五月晴れの一日でした。

 午前中は,農協にて稲作に使う元肥・追肥を購入し,午後からは,乾ききった畑に水を引く作業を行っていた。

 農家では,本格的に田植えの準備を始める頃となり,野菜を植えている畑を水田へ転用する農地にあっては,ジャガイモ・タマネギ・ニンニク・マメ類・葉物野菜・イチゴ・ニンジン・ゴボウ等を収穫した後に,稲作のため耕耘などを行うので,田植えを終えるまでは何かと忙しい毎日になりますが,

我が家では,昨年から食べる分だけの稲を栽培(12アール)しているので,野菜畑には収穫を遅らせた野菜たちが穫り入れの日を待っておるのです。

 ところで,先日のことスイカ・メロン・カボチャの若芽が伸びた所へ麦藁を敷いてやろうと思い,隣の畑でコンバインにて刈り取ったばかりの麦藁を束にしていた際に,麦藁の切れ端が右の鼻の中に刺さり出血したのですが,この時には事故は何処にでも潜んでおり,人間の行動範囲内に仕組まれた罠であり魔でもあると感じたものでした。

 そして,人生は一寸先が闇であるとも聞くにつけ,全ての行動に石橋を叩いて渡る必要はないものの,普段と変わった仕事を行なう際には,何気なく事を進めずに細心の注意を払いながら作業を行ないたいと再確認したところでもありました。

 また,本日においては畑にて水を引いている時に,以前のブログに書いた『人生とは己の魂と向き合いながら日々を過ごすことにあり,その魂が曇った時には,神々の御力により浄化していただき,あるいは己の研鑽と努力で回復させながら前向きに生きてゆくのみである』との自身の言葉を思い出しており,

この時に何となく閃いたのが『信仰とは,神仏と向き合いながら己の魂を磨き清めることであり,戒律を守りつつ日々を過ごすことにある』・『人間とは,悩み多き生き物であるが,悩みを克服する力も持ち合わせている』との寝言でした。

 そんなことで,今日も無事に一日を過ごせたのですが,嫁が歯医者からの帰りに買ったサザエを刺身とボイルにして,竹の子とジャガイモとぶんどう豆の煮物といっしょに食卓テーブルの上に置いたので,これを肴に麦焼酎かのかの水割り(中ジョッキ)を飲みながらの一文になりました。

 

2017/6/7

雑念を取り除く

久しぶりの雨で田畑が潤い,畑においては暑さで弱っていたナス・トマト・スイカ等の夏野菜が元気を取り戻し,水田では移植後の稚苗が活着を始めているようでもありました。

昨日の田植えは,午前8時から11時までの間に,12アールの水田へ歩行型二条田植機にて植え付作業を行なったのですが,年毎に体力の低下を感じており,本年度においても気力で乗り切った3時間になったのです。

 ところで,農作業をしていると何かと雑念が脳裏をかけめぐり,妙な妄想をする時もあるのですが,昨日の田植えでは,ひたすらに心の中で般若心経を唱えておりました。

それも,雑念が起きると縦方向へ真っすぐに苗を植えつけられないため,田植機が植えつけるカチカチという音に合わせての般若心経であり,水田と田植機と自身の気持ちが一体化しての田植えでもあったのです。

 また,田植機での作業を済ませ,水田の周囲へ残りの稚苗を手で植えたが,しんどい作業ではあったけれど1時間ほどかけて終わらせることが出来ました。

 そんなことで,今年の田植えも無事に終了したのですが,稚苗の残りを移植した際には,何故だか悟りについて考えるに至り,一農夫なりに閃いたのは,

悟りとは,執着から離れて,なお心が常に安定している状態である。

悟りの境地を保つためには,本人の身の丈に合った,修業を行うことが肝心となる。

 こんな閃きがあったのですが,以前のブログにもそれらしき内容を書き残していたので,再掲してみたい。

 『何かが気にかかり,頭から離れない時には,人それぞれの対処方があるようですが,気になっているエネルギーより大きなエネルギーで包み込んだり,無の精神と入れ替えるとか,あるいは観念を別の状態に移動すると心が落ち着くのでしょうが,簡単には出来ない技のようです。

 酒を飲む人は,その切り替えが鈍感になっている感が拭えず,自己コントロールが出来ない人で酒飲みの人は,断酒から始めると効果があるのでしょう。

 ところで,知人から聞いた話ですが,ある寺の住職が更生保護の仕事をしていて,しばらくの間,関係者を寺の離れへ住まわせていた頃に,住職より心が澄んでいた本人の立ち振る舞いや心の奥深くにある何かを同住職が盗みたいと思っているが簡単には盗めないとの話を知人にしたそうです。

 その話を聞いた後に,本人は托鉢をしている心境であり,他人には絶対に話せない秘密を持っているからこそ平然として居られるのかもと,小生なりに思ったが,

 人それぞれなので,何より普段から毅然とした態度で諸事に接し,なお平然とした気持ちで生きてゆく習慣を身につけることが大切であると改めて己を戒めていたのです。

 何れにしても,人は誰でもはからいの心を生じさせる性質を持ち合わせているので,はからいの心が生じないようにするためには,何かをもって魂を磨くしかないようです』

 こんな一文でありました。

 さてさて,一農夫には雑草バスターズは雇えまいが,それはさておき,心の安定を図るために各種アルコールの入った煩悩バスターズを飲んで,今日一日に溜まった雑念を取り除こうとしているのです。