2016/1/30
お日待ち顛末記
大寒の中休みなのか,寒さが和らいで過ごしやすい一日でした。
1月19日から始めた,台所と居間のリフォームが一段落したので,久しぶりにブログを更新しておこうとパソコンのキーボードを叩いている。
リフォームは,8坪ほどの部屋を小生一人にて改装しており,なかなか根気と辛抱の要る作業ですが,残りの箇所が完成すれば経過を記録してみたいと思っています。
ところで,早いもので1月も明日を残すだけとなり,我が家の庭では梅の蕾が膨らみ始める頃となりました。
また,1月中旬には,お日待ちの件で頭を悩ませていたところ,結果として小生だけがお日待ちのメンバーから外れることとなり,その気持ちを綴り町内会の皆様へ配ったのですが,経緯は以下のとおりであります。
拝啓
厳冬の候,町内会の皆様におかれましては,益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
昨日は,突然にお伺いして,お日待ちの件で話を聞いて頂きありがとうございました。
早速に,その件となり恐縮するのですが,1月10日のお日待ちに私は出席しておらず,皆様が今後もお日待ちの行事を続けてゆきたいとの気持ちにて意見が一致していたことを知らなかったとはいえ,一方的に話をしてしまいお詫び申し上げます。
お日待ちについては,昔からの集まりであり,私が平成25年1月14日に雑記帳へ残したメモには,
『昨日は,お日待ちという町内会の行事に参加していた。
元教師である長老によれば,本来お日待ちとは,町内会の人たちが前もって決めておいた家に集まり,前日の夜から飲食などを慎み,日の出を待って拝み,家内安全・五穀豊穣を祈願する神事であると説明されていたが,
いつの頃からか,1月の上旬か中旬の日曜日に宿主である家に集まり,神社の宮司から御祓いを受けた後に,新年会を行なうようになった。
ちなみに新年会は私が住んでいる町内会では,昔は宿主の家で料理を作り酒を飲んでいたが,何時の頃からか近くの温泉施設などを利用して親睦をはかっている。
久しぶりに集まった町内会の皆様に変わった様子はなく,今年も前向きに進みたいとの気持ちが伝わってくるような,年明けに相応しい明るい新年会となりました。』
こんな記録が残っており,お日待ちという行事を絶やさないのが後輩としての役割であると考えながらも,皆様を自宅に招き,神事を受けたり,おもてなしすることが億劫になり,随分と勝手な申し出にはなりますが,お日待ちの行事には参加しないことに致しました。
思い出せば,我が家では昭和45年の秋に古い家を取り壊し小さな家を建てた折には,町内会の皆様に家の解体や棟上の手伝いをして頂き,平成12年2月に死去した父親の葬儀の際にはお世話になる等々,町内会の皆様には力添えしていただき大変ありがたく思っておるところでもあります。
また,4月の節句には桜の木の下で町内会の皆様と花見をし,秋には中秋の名月の明りで酒を酌み交わしつつ親睦を深めていた頃が懐かしくて,90年以上にわたり続けてきたお日待ちの集いから脱退することはご先祖様に申し訳なく心苦しくもあるのですが,60歳を過ぎれば皆同じとの例えを自身に置き換えるならば明日は我が身でもあり,お日待ちの行事にだけ参加しないことにしたので了承して頂きますようお願い申し上げます。
長くなりましたが,時節柄お身体を大切にご自愛くださいませ。
敬具
平成28年1月16日
町内会の皆様へ
○ ○ ○ ○
こんな手紙でしたが,
小生において,お日待ちの件で町内会の皆様の家(11軒)を個別に訪ねて,話を聞いたところによると,
80%の人は,農家ではないから・飲みたい人が集まって懇親会をすれば良い・時代にそぐわない・高齢者が多いので自然消滅する・子供たちの代になれば出席できない等の理由を夫々に掲げて,小生の気持ちに賛同してくれたものの,
数人でも,お日待ちの行事を続けてゆきたいとの意向がある以上は止めてしまう訳にはいかず,小生のみがお日待ちの席から離脱することになりました。
さてさて,これくらいの事は難なく過ごせてこその人生であるとも考えたのですが,その席から離れて町内会の一員として交流するのも如何なものかとの決心が強くて,手紙のとおりの結果に相成りました。
蔵出ししぼりたて新酒・土佐鶴を,桜吹雪をあしらったコップに注ぎ,ちびりちびり飲みながらの一文となった。
追記
この件で,後日になり私から次の当番の人へお日待ちの箱(書類在中)を引継いだのですが,書類を引き受けた主人もお日待ちの宿主になることを躊躇し,更に次の人へと書類一式を持参してお日待ちの宿はできないと申し出たところ,結果として町内会の皆で話合い,お日待ちの行事は止めることになりました。
2017/8/28
とびひ
今日も一日が無事に終了したのです。
江戸時代の花魁さんなら,終了したのでありんすと口上を述べるのかと想像しながらパソコンのキーボードを叩き始めました。
本日においては,午前中にスーパーへ買い物に出掛け,午後からは夏草の生茂った畑をトラクターで耕すなどしていた。
二百十日を過ぎれば野菜の種を蒔く時期となるので,耕した後の畑を耕運機にて畝上げを行ない,石灰・バーグ堆肥を施したところでもあります。
ところで,8月も残す日数が3日となったが,嫁が手にとびひのような傷をつくり通院していたので,小生においては7月下旬から現在まで台所での後片付け(食器・鍋を洗う等)を朝・昼・夕に行なっており,主婦の仕事の大変さを痛感しておるところであります。
とびひは,畑で使用するゴム手袋内で伝染したものと思われ,最初は右手の中指に小さな擦り傷が認められるだけであったのが,やがては左右の手の甲や指へ8箇所も出現し,ゴム手袋を裏返して洗った際には患部の当たる箇所へ膿のような色が付着しており,皮膚科へ4回通院するも完治しないので外科へ3回通院しておりました。
8月1日が初診にて,外科へ3回目に通院した8月28日には,浸出液が概ね消失しており,次回の通院予定はないので安心しておるところでもあります。
大人のとびひは簡単には治癒しないようであり,業種にもよるが,手指のチェックは小まめに行なうことが大切であり,手袋が感染源なら処分すべきかと思われました。
さてさて,久々にブログを更新することが出来て,何やら安心しておるところでもあります。
2017/12/26
メモ用紙へ走り書き
今日も一日が無事に終了した。
午前中に,家の精米機で餅米を精米し,午後からは温泉利楽へ出掛けていた。
本年も残すところ5日になり,何やら気忙しくなってきたが,畑仕事が一段落したので,今からは家の中を大掃除しながら,大晦日を迎えたいと思っているところでもあります。
温泉では,久しぶりに元職場の同僚と会って世間話をしていたところ,小生が以前に渡した『百姓の四季』をのけとったので,今日のこと突然に思い付いて,本棚から出したと話しておりました。
その一文には,元陸軍少尉殿のエピソードを書いており,立派な人であったと互いに誉めつつも,人間いつまでも生きられないので,次は自分の番かも知れぬと話が飛躍していたのです。
また利楽の湯では,以前のブログに書いた一節を思い出して,他にも新しい発見がないものかと考えていたら,生活訓のようなフレーズが思い浮かんだので,家に帰りメモ用紙へ走り書きしたところでもあります。
1 気に入った事柄は,その都度メモしておくと,後で役立つことが多い。
2 日々の生活においては,収入に応じた身の丈に合った生活をすることが肝心である。
3 考えに行き詰った時は,初心に帰ってみるのも一方策である。
4 人間関係においては,自己中心的にならないことが大切である。
5 人生に躓いた時は,存分に涙を流し,気持ちを切り替えるだけである。
6 時には,真剣勝負・命がけで,事に臨む必要がある。
7 何事も積極的に行なえば,機運が向上し,充実した毎日が送れるものと思われた。
8 宗教的なことについては,神仏と共に生きられるなら幸せである。
誰でもが,思いつきそうな文言になってしまいました。
ところで,百姓の寝言は今回で500回目となり,つたない文章を綴ったブログに訪問して下さった皆様へ御礼申し上げます。
次回にブログを更新する時は,日々の出来事なぞを,思い付いたまま気楽に投稿してみたいと思っております。
2012年1月13日に,百姓の寝言1(段取り八分について)を投稿して以来5年11カ月が過ぎてしまい,人生もブログも光陰矢のごとしであったと,改めて感慨に浸っておるところでもあるのです。
末筆ながら,皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
2018/1/10
ボーちゃん
小雨が降ったり止んだりしていた一日でした。
この雨と寒さで,午前中は以前から気になっていた『家の引継書』2を作成し,午後からは温泉利楽の湯に浸かりのんびりした時間を過ごしていた。
家の引継書については,5年くらい前に作成していたのですが,データが古くなり不用となった事項もあり,更新したのです。
内容的には,登記関係・預金関係・年金関係・その他の覚え書・解約が必要な事項について更新したが,終活には少し早いと思いつつも,完成した引継書を再確認し安堵したところでもありました。
ところで,先日のこと1階の和式トイレを掃除中に足元がふら付いたので,細い水道管を右手でつかみ身体を支えようとしたら,突然に配管の根元が折れて水が噴出してしまったのです。
これはまずいと,あふれる水を全身に浴びても怯まずに,裏庭へ走り井戸水のモーターのスイッチを切り,水圧を下げるために玄関先の散水用の水栓を開けて,トイレ内の漏水を止めることが出来ました。
配管が折れたのは,接続箇所から水が僅かだけ漏れ続けて周囲に青錆びが付き配管の劣化が進んでいたところへ,思いがけない力が加わったのが原因のようであり,早めに修理しておけば良かったと反省していたところでもあります。
修理については,小生において応急処置を施すとともに,いずれ修理するなら早いほうが良いと思い,直ちに業者へ電話にて依頼し,当日の午後に家へ来てもらうことが出来たのです。
修理中は,業者の手元を見せてもらったが,壁側の折れた配管を如何にして取除くのかと興味があったところ.配管の先端内側は6角レンチで緩めることが可能な構造となっており,専用の工具にて素早く取除き,新しいステンレス製のパイプと交換し止水栓を取り付けて,トイレ側からの細い配管とつないで修理完了となりました。
話は変わり,以前のブログには,
世の中では,相変わらず事件が発生しているけれど,その実態は人間の我儘な気持ちが原因となり惹起させているようでもある。
自然災害は防ぎようのない時もあるが,事故は本人が注意すれば未然に防止することが出来るので,初心を忘れず,不安全な行動をしないことが肝心である。
と思いついたままに記録していたが,
テレビのニュースによると,85歳の高齢者が女子高生に傷害を負わせた過失運転致傷については,事故ではなく事件のような気がしておるのです。
高齢者の交通事故は,高速道路の逆走による事故とかブレーキとアクセルを踏み違えた事故などが後を絶たず社会現象になっているところ,この対策として個人はもとより家族や地域の人々が交通事故を発生させないために努力することも大切であるが,高齢者に車の運転を行なわせないためには,家族の者が車の鍵を隠しておくのも一方策であると思われました。
他にも,社会では大相撲の不祥事が沈静化したかと思えば,今度はカヌー競技の選手がライバル選手の飲み物へ禁止薬物を混入し話題となっており,それならば次は何が出てくるのかとパソコンのキーボードを叩いていたらバカな妄想が脳裏をよぎったが,
世の中では,思わぬことが起こりうるので,ボートしていたらあかんと,己を戒めたところでもあります。
2018/2/11
百姓の四季(2)を作成するにあたり
今日も淡々と過ごしていた一日でした。
午前中に,食料品を購入のためスーパーへ出掛け,午後からは,居間にて炬燵にあたりながらテレビを見たりインターネットで情報を検索しておりました。
毎日が寒すぎて,畑仕事は手に付かず,温泉に浸かるのが楽しみとなり,今のところ週3回のペースで温泉利楽に通っておるところでもあります。
ところで,以前(2年7ヶ月前)に百姓の寝言とのブログから選び出した一文を集めて百姓の四季を自費出版していたのですが,その後もブログを書き続けており,この機会に百姓の四季(2)が作成できないものかと考えていたら,一つの記録として残しておきたく,編集を始めることにしたのです。
そんなことで,目次を決めてから,目次に似合った一文を配分してゆく予定であり,読み返しては加筆修正しながらの作業なので日時はかかりそうですが,少しずつ進めてみたいと思っています。
さて,最初に出版した『百姓の四季』(冊子)を読んだ人からは,「よう考えて書いとるのう」「村の人が書いたのを文集にしたんけ」「何処ぞに書いてあるのを写したんけ」との批評を受けたのですが,
「こんな寝言は誰も書かへんよ」と聞き流しており,今回においても寝言の領域から出れない戯言もあろうかと思われるものの,百姓の四季からも気に入った一文を組み入れて,百姓の四季(2)として一冊の本にしてみたいと考えておるところです。
さてさて,二年前のこの頃は家のリフォームを終えた頃であり,昨年の同時期は家系図を作成するために日時を費やしていたが,今年は百姓の四季(2)を作成すべくパソコンと向き合おうとしているけれど,これが終れば明治の初め頃に作られた練塀を補修する予定なので,立秋の頃までには百姓の四季(2)の編集を何とか済ませたいと思っているのです。