2013/6/23
無法松なら
台風が通過したので,梅雨の合間の晴れ間が広がるのかと期待していたが,どんよりとした雲が空一面に覆いかぶさっていた一日でした。
起床後に,庭で何やらカチカチと音がしており,何事かと思いつつ一階に下りてみると,母が松の木の剪定をしていたのにビックリし,
「80歳を過ぎた者が何しよるん」と問いかけたら
「松の穂が伸びて,はちこっとるけん剪定しよるんよ」との返事があったので,
「続きは自分がするので,脚立から下りなさいや」と応じたところ,
小生の言ってることを理解したのか,後は頼みますとのことにて,午前中は松の木の剪定を行っておりました。
庭木の剪定は年に1~2回行っており,松の木については剪定とは名ばかりで,小生においても松の穂が伸びているのを切るくらいで終わらせていたが,今日は何に目覚めたのか,真剣に松の木の剪定を実施していたのです。
剪定方法は雑誌等に掲載されている通りですが,おおがっそうを頂いた松の木を,少しでも見映え良くするために,剪定しながら形を整えてゆきました。
また,剪定の途中には,松から連想する言葉等を思い浮かべており,元職場の上司には,ねじれ松と仇名された人もいたが,実際には生真面目な人であったと評価したり,
無法松なら,小生の父は,それほど豪快な人生ではなかったろうが,何かしら心根の似た人間であったと妄想しておりました。
午後からは,畑にて犬小屋と犬が遊ぶ柵の内側の大掃除と,残った時間でトマトの木に小さな屋根を付ける作業を行っていた。
さてさて,ここ数年は農との関わりが深くなっているけれど,大地からの恵を日々ありがたく頂戴するだけで今のところ大自然に恩返しすることは出来ていないが,偉大なる自然があってこその一農夫であることを自覚し,自然界を侮らず・畏怖し・崇めながら,明日からも田畑での仕事に励みたいと思っているのです。
2013/9/29
人は人・自分は自分
今日も平穏無事に一日が暮れてゆきました。
29日だったので,午前中に肉の半額セールを目当てにスーパーへ出掛け,普段の5倍くらいを買い込み,今夜と明日のメニュー分を冷蔵庫へ入れて残りは冷凍保存した。
午前中の残った時間で,バインダーとコンバインの整備をすべく,畑の倉庫にて清掃・点検を実施していたのですが,納得のいくまで機械を調整していたら,結局のところ昼食をはさんで午後4時頃まで作業を行っていたのです。
嫁から「お父さんは農機具がおもちゃみたいなものやから,飽きもせずつつけるんやねえ,今日は草取りの予定やなかったの」と愚痴られたが,
「部品を外し掃除したので組み立てねばならず,予定より時間がかかってしまったんよ」と返事するのみでありました。
ところで,農機具の整備が一段落したので,1日の仕事を終えようと思ったものの,日暮れまでにはまだ時間があり,それならばとニラの植替え(20株)を行ってから犬との散歩に出掛けていた。
そして,午後5時10分頃に犬の散歩を終え,収穫を終えた畑の様子を眺めては,今年はサクランボ・ビワ・ブドウ・イチゴが豊作で知人にお裾分けしたが,夏野菜である茄子・キュウリ・トマトは不作であったと反省しておりました。
何事も,基本を忠実に実行すれば事なきを得る事が多いところ,今年は,土づくりを十分に行わなかったのが原因で,夏野菜の収穫量が少なくなったようでした。
また,家路に着く際には,畑の片隅で自生するコスモスを観察していたのですが,
花の色が,ピンク・薄いピンク・白・紅色とさまざまであり,
紅色が鮮やかで見栄えしたが,同じ色ばかりでは物足りないとも感じておりました。
さて,人生にも様々な花が咲いており,まだまだ蕾であったり,切磋琢磨しながら組織の中で咲いている花や,その役割を終えようとしている花もあろうが,
改めて,人は人・自分は自分であることを忘れないでおきたく,
個性が強すぎて,本人はしんどい時もあろうが,その個性は生かされるべきであり,
遅くとも,やがては花開く人生もある。
人生には,山もあれば谷もあるので,苦しみと向き合いながらの日々であっても,
一生を苦しみ抜いて生きてゆくことはないので,
時々は我に帰り,自身を見つめ直してみるのは如何なものかと思われたのです。
自由気ままに書き並べてみたが,今日という一日も過去の人生になりつつある。
2014/6/22
ゲルマニウムラジオ
昨日に引き続き,本日においても小雨が降ったり止んだりの一日でした。
この雨で畑仕事は出来ず,久しぶりに倉庫二階の部屋に入り,小窓から見える重信川の堤防や皿ヶ嶺周辺の山々を眺めていたら,子供の頃にタイムスリップし,ラジオからテレビへと移り変わった時代を思い浮かべておりました。
あの頃は家にテレビはなく,古いラジオが一台あったものの子供は独占できず,記憶をたどれば近所の友達の家に行き,何人かで赤同鈴之助のラジオ放送を聴いていたが,その後において一人だけで聴いてみたいと思いながら数年が過ぎていたのです。
各家庭では,白黒テレビが普及し始めて,我が家でも中古のNECテレビを購入したものの,ラジオから聞こえてくる音が新鮮であったのが忘れられず,手の平サイズのラジオが欲しいと思っていた頃に,中学校の先生から,富士教材へ行けば実験材料やゲルマニウムラジオの部品を販売していると聞き,お年玉でキットを購入し,組み立ててイヤホンから聞こえてくるラジオ放送を聴いておりました。
また,誰に聞いたかは忘れてしまったが,アンテナコイルをブリキ製の雨樋に当てると電波を拾いやすくなるとのことを知り,作成したゲルマニウムラジオとイヤホンを樋の所へ持って行っては,ラジオから流れてくる放送を聴いていたのです。
他にも,この雨樋の下には大きな石が置かれており,樋の裂け目から落ちた雨だれで石が削られているのを見て,同じ箇所に雨だれが落ちていると長い年月を経れば石にさえ穴が空くのだと子供なりに知り,何事も辛抱が肝心であると考えておりました。
そんなことで,午前中は小雨のそぼ降る景色を目にしながら,子供の頃にタイムスリップしていたのです。
2014/6/27
幼き日々にタイムスリップ
どんよりとした厚い雲に覆われていた一日でした。
午前中にブドウの袋掛けを行い,午後からはキュウリに添え木を立ててネットを張る等の作業を実施し,仕事の合間には熟成中であったニンニクの黒焼きが完成したので,炊飯器から出して,倉庫二階に置いてある炬燵の上に並べていた。
ところで,前回の続きになりますが,倉庫二階から外の風景を眺めていたら幼き日々にタイムスリップすることがあり,子供なりに質素倹約に努めていた頃の,心に残る思い出を記してみたい。
あの頃は,我が家のみが貧乏をしていた訳ではないが,
友達の家においては,洗濯機・テレビ・冷蔵庫を順次買い揃えていった家庭もあり,自分の家では4~5年遅れてからテレビ・冷蔵庫・洗濯機を購入し,何かにつけて時代の波に乗り遅れ,
小学校で,放課後に運動会の打ち合わせが行なわれた際には,何故だか教室にファンタが運ばれて,数人のクラスメイトが僕はオレンジ・私はグレープと先生に注文していたが,オレンジもグレープも知らない自分はただ呆気にとられておりました。
そんな少年時代のある時期に,母親から1日10円ずつの小遣いを貰っていたが,
300円くらいを貯めた頃に,辛抱すれば1,000円でも貯金が可能であると気づき,以後は駄菓子屋に行って無駄使いをすることなく貯金が1,000円になるまで我慢の日々を過ごしていたのです。
そして目標額に達した際には,貯金箱から10円玉を取り出し飯台の上に並べ,母親に1,000円であることの確認を受けた後に,以前から持ちたかった千円札と交換してもらい,お守りのように大切に保管しておりました。
10円玉をコツコツと貯めていた頃のエピソードとして,
あの頃の子供は屋外で遊ぶことが多く,かかし・缶蹴り・かくれんぼ等,次から次へと遊びを変えては行動しており,
そんな遊びをしていた秋の頃に,紙芝居屋が近くにある公民館の外庭へ来て,10日間ほど紙芝居の公演を行なっていました。
ある日のこと,遊びに飽きた友達から「紙芝居を見に行こうや」との一言があり,数人の仲間も賛同して公民館まで出かけたのですが,
自分は,毎日コツコツと貯金をしているのでと断る訳にもいかず,グループの最後尾にて移動し,
友達が紙芝居を見るために15円を払い,割り箸を半分に切ったような棒の先に盛られた水飴を買って紙芝居の前に立ったのを見計らって,
紙芝居を見るには水飴を買わねばならず,自分は電柱の後ろに隠れ,弁士の語る紙芝居の物語を聞いていたのです。
紙芝居が終った帰り道には,誰かが「水飴は二本の棒でこねると白くなり甘みが増すんよ」と話していたのを聞いた記憶があり,更には紙芝居の内容がどうのこうので話が盛り上がり,自分にも話を振ってくるので,弁士から聞いたストーリーに基づいて,受け流すように答えておりました。
一杯のかけそばが1972年頃を背景にしたストーリーなら,自分の体験はそれより一昔前の1962年前後の話であり,当時においては貧乏な生活をしていても子供なりに何事も我慢することで足るを知り,心は安定していたようでした。
2015/11/5
背負った荷物を降ろすように
曇りのち午後から小雨の一日でした。
朝ドラのヒロインに見とれていたら,ご飯の茶碗を持ったつもりが味噌汁の入った椀であったため,少しだけ傾けただけなのに零れてしまい,炬燵布団と炬燵敷きを汚したので,交換のため朝から大きなエネルギーを使う羽目になってしまった。
本日においては,終日を畑と畑の倉庫にて過ごし,タマネギの苗を植えるため畝を作る等の作業を行っていました。
そんな中で,向かいの畑へ向けてトラクターを運転し,農道から高速道路の側道を渡る際に,普段なら右よし・左よし・後方よしとの確認であるところ,今日は朝から失敗があったので,右絶対よし・左絶対よし・後方よしと確かめて道路を渡り,再度の失敗がないように努めたのです。
話は変わり,先日のこと部屋の模様替えのためタンスを移動したのですが,ついでに古い衣類を処分すべく午前中のみ作業を行っていたら,気が付けば一週間が過ぎておりました。
処分した衣類には,子供たちが小学生の頃に着ていた懐かしい衣服も沢山あったけれど,保管しておくことは大切であると思われるところ,思い出は写真や心の中に残っており,背負った荷物を降ろすように,思い切って処分したのです。
今回は45ℓ×13袋に,不要な衣類を詰め込んだのですが,この勢いで引き続き要らない衣類の処分をしたいとの気持ちが高まっております。
また,作業中には20年前に購入して,1年間くらいしか使わずに物置として利用していたホームサウナの中の不用品も処分したので,時々はサウナに入り日頃の疲れを癒したいと思っているところでもあります。
田畑での用事が一段落し,のんびりとした日を過ごそうと思っていたのに,思いもよらぬ仕事が出来てしまったので,タマネギ苗(晩生のモミジ)の植え付けを行なうまでに,あと数日間は古い衣類とにらめっこの日々になりそうである。
2015/11/23
こだわりの気持ちを捨てる
本日(11月23日)は祝日であり,小生においては畑に出ることなく,終日を家の中で過ごしておりました。
勤労感謝の日にちなみ,今年も精一杯働いたので,来年も同じサイクルで歩むべきかと考えていたが,稲作については農業機械が古くなっており,各種部品は使用の都度に磨耗しているため,自分の体力をも考慮して耕作面積を半減(12アール)したいとの気持を深めていた。
ところで,はからいの心・執着心・雑念についても考えていたが,こだわりの気持ちを捨てたいと思うなら,
心も身体の一部であると考えれば,同じ思考を持ち続けることは心が疲れるので,
無意識に寝返りをするごとく,自然に気持ちを入れ替える習慣を身につければ心が楽になるのではなかろうかとの発想がありました。
また,心と体のバランスを保つことは健康にも良いので,たまには背伸びや深呼吸をして緊張をほぐしながら,こだわりの気持ちを捨てるべく気持ちの入れ替えを行ないたいと思ったところでもあります。
さて,我が家の裏庭では柿の葉が落ちてしまい,本年も本格的な冬が間近に迫ってきているような気配を感じる頃となりました。
この裏庭では,橙の木も植えており,その木には60個ほどの実がついているので,収穫した橙の絞り汁を野菜の漬物にかけたり鍋物のたれに加えて使用し,季節ならではの食感を味わいたいとの気持ちを膨らませております。
さてさて,今年の冬は長期予報によると暖冬であると聞いているが,暖冬であっても冬は寒い季節なので,たまには温泉にでも浸かりながら身体を労わりつつ日々を過ごしたいと思っているのです。
2016/2/15
お椿さん
北西の方向から,寒風が強く吹いていた一日でした。
午前中にサイドボードを購入のため家具店へ出かけ,午後からは温泉利楽の湯に浸かりのんびりした時間を過ごしていた。
松山地方では伊予路に春を呼ぶお椿さんが昨日から開催されております。
明日までの日程であり,期間中には数十万人が参拝する四国随一の大祭となっている。
この椿祭りについて以前の一文には,
『お椿さんの愛称で親しまれている伊豫豆比古命神社は,縁起開運・商売繁盛の神社として,遠く関西方面からも御利益を求めて参拝客が訪れる神宮でもあります。
椿祭りになると毎年のように不思議と寒くなり,地元ではお椿さん寒波だとの言葉があるくらいで,立春後の寒さが少し和らいだ頃の椿祭の日に,突然に冷え込んでくるのです。
本日においても予想していたとおり極寒の一日となり,三坂峠から皿ヶ嶺あたりの山々も再度の雪化粧となりました。
椿祭りが終われば,伊予路にも小さな春が訪れるのでしょうが,本格的に暖かくなるには,まだ1カ月はかかりそうです。』
こんな一文が残っておりましたが,本年の椿祭りにおいても,例年とおりの寒波襲来となり,山々の薄っすらと雪化粧した風景を眺めていると,心が洗われるようでもありました。