2015/4/25
記憶の中に
一週間が過ぎるのは早いもので,気が付けば土曜日であった。
本日においては,午前中に農業共済組合の役員を改選するための投票に出掛け,午後からは裏庭の除草作業を行っていました。
除草作業では,取り除いた草をゴミ袋へ入れたものの,土付きであったのでゴミ袋(45ℓ)が重くなり,ゴミとして出すことを止めて畑の堆肥置き場へ移動させることにした。
生前の母が草取りを行なっていた時には,草に土を付けたままゴミに出すのは土が勿体無いと言いながらケンド(ふるい)で土を除いていたが,本日においては土付きの草をゴミ袋に入れると重さが増し,ゴミに出すのは気が引けて畑へ還元させることにしたのです。
ところで,庭の草取りを行いつつ,生前の両親のことや,嫁の兄・母が亡くなった時のことを思い出しておりました。
そんな記憶の中で,昭和61年の2月に義兄が38歳で亡くなった時の葬儀は忘れられない追憶となっている。
当時は土葬(現在でも行なわれていると思われる)をしており,町内会の皆さんが各自の役割(棺を安置するために幅2メートル深さ2メートルくらいの墓穴を掘ったり,葬儀を厳かにするために竜の頭部を紙細工で作るなど)を受け持ち,葬儀においては曹洞宗の和尚さんが先導し執り行われたのですが,特に記憶に残っているのは和尚の出で立ちであり,仁王像そっくりの装いに加えて,腰には荒縄を巻き,草鞋を履いていたと覚えております。
あの出で立ちで引導を渡されたなら,往生するしかないとさえ思ったが,それ以後は嫁の田舎での葬儀に出席しても同じ装いの和尚の姿を見ていない。
義理の兄が若くして死んだので,あの装束で性根を入れたのか,葬儀中の邪気を払うための法衣だったのか,和尚さんに聞いてみようと思いながら29年が過ぎてしまった。
2015/4/30
神仏の御加護
4月も末日となった。
この4カ月においては,正月を過ぎてから小寒・大寒・立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨と,二十四節気を身近に感じながら日々を過ごし,菜の花・水仙・梅・椿・桜などの花が咲いているのを見ては,季節の移ろいを楽しんでいた毎日でもありました。
また,2月中旬から家の増築を始め4月上旬には小さな部屋が完成したのですが,室内を整えるべく障子を張りソファーを置いて,外部へは下駄置き石である紫雲石を配置するなどの作業を少しずつ進めていたのです。
ところで,南米チリでは4月22日にカルブコ火山が50年ぶりに噴火し,地球の反対側であるネパールでは4月25日にマグニチュード7.8の地震が発生しており,地球の中から膿を出すように噴火した火山や,その反動を受けたかのようなネパールでの地震を関連付けてみると,人間の知らないところで地球規模の異変が起きているのではなかろうかと考えておりました。
地球は宇宙から見ると美しい星らしいが,その中身は壊れやすい星のようでもあり,文明社会になってからは大自然が暴発する原因を人間が作っている部分もあるようだ。
寝言はさておき,今日は石などに写経した後に神棚に保管してある般若心経を久しぶりに明るいところへ出し,写経した当時のことを思い出しておりました。
この写経は,昭和63年の秋に始め,何かを祈願する時に写経をしていたが,3年くらい続けていたものの仕事が忙しくなり,写経の筆を休めたままになっているのです。
写経を行っていた頃には,米粒にでも写経できると聞き,小生においては小石の表裏へメガネ(凸レンズ)を掛けずに写経し,木剣の鍔(自作)・木の節・笛・普通大の石への写経も行なっておりました。
思い起こせば,あの頃は困った時の神頼みのごとく,居住地域の神社仏閣を訪れたり,写経にて心を洗い,前向きに生きてゆこうと努力していたのは確かであります。
それが宗旨でも替えたように写経などから遠ざかってしまったのですが,神仏は常に小生の心の中で生きており,毎朝には神社仏閣で頂いたお札を祀っている神前に向かい般若心経・大祓詞を唱え,昨年の8月末に母が亡くなってからは,その後に仏壇へ行き勤めをする毎日を送っているのです。
さて,こんな信仰で良いのかと思いながら日々を過ごしておるのてすが,神仏の御加護は本人の清らかな気持ちがあればこその恩恵であると考えており,今後も心を正しく保ちつつ,同じことの繰り返しにはなるが,誰ぞに神仏との向き合い方について教えてもらうまでは,今のまま続けてゆきたいと思っているところでもあるのです。
2015/8/8
人々の祈り
今日も一日が無事に終了した。
この暑さ何時まで続くのかと思いながら,家や畑にて時間を過ごしていたが,
水田では出穂が始まっているのを確認できて,野菜畑のかしこで赤トンボが飛び交う光景を見ていたら,実りの秋は遠くなさそうであると感じておりました。
猛暑日が続いているので,畑仕事は午後3時を過ぎてから始めており,野菜を収穫した後に潅水を行い,その時の気分次第で鍬にて除草し,午後5時を過ぎれば生ビールを飲む毎日なので,飲みすぎに注意せねばとも思っているのです。
本日においては,全身に汗をかきながら,畑の溝に生えている雑草を除草(10メートルくらい)したが,
百姓の真髄は,鍬で畑を耕すことにありとの閃きと,
剣道の奥義は,木剣で極めるべしとの妄想があり,
なお,核兵器のない世界を実現させるには,全世界の人々の祈りしかないと思うに至り,核兵器においても痘瘡ウイルスのごとく,信頼できる機関において保管することが出来るなら,それが理想じゃろと考えておりました。
ところで,先日のインターネットのニュースによると,米国人の大半は今でも原爆投下を肯定しているとの記事が記載されていたが,
戦争終結を早めたとの理由はあるものの,原爆投下後の惨状は人類がかつて経験したことのない悲惨さであり,その惨たらしい映像を見ても原爆投下は正しかったと確信できるなら,米国人とは世界で一番に幸福な人々であると思われた。
さて,久しぶりに寝言を更新しておこうとキーボードを叩いてみたが,出穂にあやかり,シュッポ・シュッポ・シュッポポのごとくスムーズに書けず,何やらこじつけた内容になってしまいました。
酷暑で思考が鈍っているようでもある。
2015/9/28
在るが儘に生きる
9月も末日になり,本年も残すところ3カ月となった。
今日は,野菜畑にて終日を過ごし,白菜・ほうれん草・小松菜・高菜・ブロッコリー等々の根元に液肥を施すと共に若芽へ木酢液の散布を行ない,ぶんどう豆・そら豆・ニンニク・イチゴ・玉葱の種や苗を順番に蒔いたり移植する箇所の土作りを行なっていました。
寝言の更新を,しばらく休んでいたところ,田畑の仕事が一段落したので,以前のような寝言にはなりますが,ボチボチ書いてみようと思うに至り,久しぶりにパソコンのキーボードを叩いております。
ところで,はからいの気持ちを捨てつつ余計なことを考えずに淡々と日々を過ごしていたのですが,その意識が強すぎたのか,先日のこと夢の中で無と無の空気の塊がぶつかり合い,どちらを選ぼうかと迷っていたら息苦しくなって目が覚めてしまいました。
その時に気付いたのは,小生なぞの凡人には,はからいの気持ちを捨て去ることは不可能なので,さまざまな雑念と付き合いながらの人生で良いのではなかろうかと感じ取ることが出来たのです。
また,悟りには自身が生み出す知恵もある一方で,仏門に入り修行に励むことにより神仏から与えられる境地もあり,何れも心の状態は安定しており思考も柔軟になっていると思われ,そんな心境になってみたいものだと考えたこともあったけれど,何より在るが儘に生きることが大切であると思いを巡らせておりました。
さてさて,畑の横にある小道では,本年7月中旬にスイカを食べていて種を水路に捨てたつもりがセメントの溝に入ってしまい,その種から芽が出てど根性スイカとして育っており,生育が楽しみになっています。
今日一日も,無事に過ごせたことが有難いと感じられる,秋の夕べとなっている。