2015/7/8
心のスイッチを切り替える
曇り時々小雨の一日でした。
本日においても特段の用事はなく,家の周囲をウロウロしたり,田畑の様子を見に行ったりしながら時間を過ごしていた。
水田では,6月10日に田植機で植え付けた稲の若苗が順調に育ち,少しずつですが分けつしては日毎に緑色が濃くなってまいりました。
梅雨時の雨は,もう降らないだろうと思っていても突然の雨になることがあり,
本日においても予想とおりだったので,仕事着に着替えるも,畑では高枝鋏で長めの雑草を見つけては遊び半分で切り取っただけであり,久しぶりに身体を休めていた一日でもありました。
ところで,テレビのワイドショーを見ていたら,コメンテーターの先生方の中には雑念なく場に即している人がおられる一方で,本人の腕時計や指輪に気持ちを集中させて他のことに気持ちが行かないよう自己コントロールしているのを見かける時があります。
そして,自己コントロールが不可能となり,心のバランスが崩れた時には,突然に腕時計を上着の袖口に入れ,指輪なら片方の手でふさいで隠しているのを見たことがありました。
それはさておき,人は誰かと話をする際に,
タバコを嗜む人であれば,タバコの箱をポケットから取り出しながら話を始め,さらに相手との間合いをはかりながら,箱からタバコを出す仕草をしたり,
身構えるというのか,腕を組んでから話を始めたり,その場の雰囲気に合わせてパフォーマンスをしているようです。
また,話をしている最中には,
何かにとらわれて頭から離れない状態で話を進めている人も居るようですが,とらわれた瞬間(0.1秒)に気持ちを切り替える習慣を身につければ,人生が明るくなるのではなかろうかと考えた事がありました。
さて,何だか空しい気持ちも,空しいと気づいた時に,0.1秒にて,心のスイッチを切り替えることが出来れば,空しさが消え去り,
妄想があり困るなら,困った時に,0.1秒にて,さりげなく気持ちを入れ換えれば,本来の自分自身に戻れるのではなろうかと思われました。
気持ちを切り替える際に,戸惑ったり迷ったりすることなく,0.1秒を心がけると何かが吹っ切れるかも知れません。
そこら辺に置いてある酒をチャンポンで飲み,パソコンのキーボードを叩く指まで酔っているようでもある。
2015/10/8
珍妙な空想
今日も一日が無事に終了した。
午前中は,家の雑用(提灯を保管・薔薇に添え木)で時間を過ごし,午後からは,畑にてイチゴ苗を移植する場所へマルチカバーを施した後に野菜の間引きを行っていた。
畑では野菜たちがすくすくと育ち,本日は3cmくらいに育った大根・カブ・小松菜・野沢菜の若芽を間引きし,家に持ち帰り,台所にて不要な根元は鋏で切り捨て,水洗いの後に塩もみし,さらに水洗いして塩分を抜き,これを絞って小皿に盛って,カボスと醤油をかけたメニューが食卓に並びました。
ところで,単調な仕事をしていると,妄想が脳裏をよぎる時があり,本日においては珍妙な空想ばかりで,そんな空想を文字に表してみると,
人間とは,地球という星に生まれた多くの動物や生命体の頂点に達しているが,心は何時まで経っても未熟であり,行なっているのは弱肉強食の動物の世界と何ら変わりない。
それも,宇宙一に住みやすい星に生まれたからこそ出来る我がままのようでもあるが,成長できずに未熟なまま,自ら人類を滅ぼそうとしているのも事実のようである。
こんな寝言を宇宙人が聞いたなら,それこそ『愚か者めが』と諭されて,『原発推進・核武装こそが国家運営の礎である』とお叱りを受けそうであると妄想しておりました。
さてさて,昨日は松山地方の秋祭りで,地域の神輿を担ぐ行事に参加し,久しぶりに町内会の人たちと交流したが,平日であったのか祭りに参加する人員が若干ですが少なかったようでした。
松山市内では,平日の秋祭りへの参加人員が少ないので,日曜日に祭りを行ないたいとの意見もあるが,秋祭りに参加したいとの気持ちが強いなら,祭り休暇取得のためにシルバーウィークは働くとかの企業努力をすれば,人員の確保が可能かと思われました。
2016/3/5
久々の草取り
晴れたり曇ったりの一日でした。
終日を畑にて過ごし,ニンニクの畝に生茂っていた雑草を引き抜いた後に,タマネギ・ほうれん草・イチゴ・ニンニク・キャベツ・ぶんどう豆・そら豆・カスミソウ・ニンジン等に液肥を施していた。
雑草の除去については,こまめに鍬を入れておけば取り除きやすいところ,3カ月も放ったらかしにしていたものだから雑草の根が張り詰めており,最初は鋏で雑草の根元を切っていたのですが,5メートルくらいまで作業をしていたら右手の指が疲れてしまい,以後は10cmくらいに伸びた雑草を手作業で1本ずつ引き抜いて,40メートルほどの畝の草取りに4時間もかかってしまいました。
除草作業中には,いろいろな考えが頭の中を駆け巡り,
アメリカの大統領は核のボタンを押すことが出来るなら,相応な人が大統領になるべきであるとか,
以前の寝言で韓国や中国のことについて『韓国や中国は歴史が古く,人々は儒教や孔子・孟子の教えを大切にし,日々の生活の中では他人に気を使う大らかな民族だと思っているのに,韓国や中国の人々は時々ではあるが日本国を揶揄したり,躊躇することなく日本国の悪口を言い放つ癖があるようだ』と書いていたのを思い出していたが,
現在の韓国や中国は,過去を引きずるだけの韓国と,孔子・孟子の教えを実践する人は皆無であろう共産主義の国である中国であり,間違ったことを書いてしまったと反省したところでもありました。
さてさて,明日は雨天との予報なので,家の中での仕事(一階倉庫の片付け・書類の廃棄)を行ないたいと思っているのです。
2016/4/9
春満開
春らしい暖かな一日でした。
午前中に,食料品を購入するためスーパーへ出掛け,午後からは,畑にてナス・キュウリ・トマト・シシトウの若苗に添え木を施す等の作業を行っていた。
農作業の手を休めた折の光景を思い出してみれば,畑の近くにある病院の駐車場では桜の花が半分くらい散ってしまい,やや霞のかかった上空では二羽のひばりがピーピーと囀りながら下界を見下ろしており,畑では満開になった蓮華の花の上を微風に吹かれるままに身を任せた数匹の紋白蝶が飛び交っておりました。
本年は,3月下旬に畝作り(野菜の種を蒔いたり苗を植えつけるために)を行い,夏野菜を早めに移植(トマト・ナス等の実生苗26本)したので,引き続き4月末までにはスイカ・メロン・白ウリ・カボチャ・ナス・トマト等の接木苗を移植する予定であります。
ところで,テレビでは国会議員の元秘書が政治資金を私的に流用したとか,バトミントン選手が賭博に手を染めてしまったと報じられており,
地球5週分のガソリンを元秘書が支出していた件では,ガソリンスタンドに捨てられていたレシートを秘書の管理下におくや秘書をもって現金に化かしたようであり,
バトミントン選手の賭博では,言葉巧みに近づいてきた相手の術中にはまり結局は散財しているが,
金が欲しくとも,捨てられたレシートを現金に化したのでは,何らかの罪に問われることとなり,
バトミントン選手が勝負師であっても,賭博して勝てるわけはなく,
熱くなったなら,本人が苦労していた頃を思い出して,初心に帰ってみることよ。
さてさて,いずれも「法律規則ヲ知ラサルヲ以テ犯スノ意ナシト為スコトヲ得ズ」との文言のとおり,知らなかったでは済まされず相応の処罰を受けるべきであろう。
一農夫にも,飲み過ぎの罰が下されそうなので,本日はそこそこにしておきたい。
人間とは,強欲な生き物よのう。
2016/6/12
年貢の納め時
雨の一日でした。
この雨で,田畑での仕事は休みと決め込んで,家の中にて『百姓の四季(続)』5冊を製本すべく作業を行っていた。
5冊とは,少ない部数なのですが,昨年6月30日に自費出版した冊子(百姓の四季)を知人に手渡したら,4人からコメントをいただいたので,お礼に百姓の四季(続)を差し上げるべく一冊が37ページの冊子5冊を作ることにしたのです。
製本に当たっては,家の中にあった千枚通し・料理用たこ糸・スティックのり・カッターナイフ・書類挟み・定規・板・広告の用紙・台紙(100均の既製品)を駆使しての作業でもありました。
ところで,世の中では,
汚職をする人させる人そのまた汚職を裁く人
浮気をする人させる人そのまた浮気を裁く人
こんな,何やらざわついた話題で盛り上がっているが,ざわつきを抑えることが出来るのは当事者だと思われるので,そろそろ年貢の納め時であると大人の判断を行い,武士道を貫くつもりがあるのなら,自らが潔い決断を行うべき時でもあるようだ。
さてさて,小生においては,6月10日に田植えを済ませたので,これからは水田の水を管理することや,トマト・ナス・キュウリ等の夏野菜に潅水をしたり,食べ頃となれば野菜を収穫しつつ日々を過ごしたいと思っておるところでもあります。
久しぶりに寝言の更新が出来たので,今後においても何ぞ書いてみたいとの気持ちが涌き起これば,気楽にキーボードを叩いてみたい。
2016/7/10
発想を膨らませる
小雨が降ったり止んだりの一日でした。
今日は,早朝から市民大清掃に参加し,引き続いて参院選の投票・食料品の買出しと忙しい時間を過ごし,午後からは畑にて夏草の除草作業を行っていた。
市民大清掃では,ゴミの量が年毎に減っているようでしたが,農業用水路には弁当ガラ・空き缶・ペットボトルが捨てられており,小生においては45ℓのナイロン袋に1袋しか回収できなかったものの市民としての責務を果たしたのです。
清掃作業中には,農業ゴミの廃棄方法について考えていたところ,マルチ・肥料の袋・寒冷紗・キュウリネット・防鳥ネット・ハウス用ナイロン等を廃棄するにあたり,役所において有料の袋(45ℓ1袋・300円)を販売し,この袋へゴミを入れて出すことが可能になれば,少しの農業ゴミなら産廃業者に依頼せずとも片付くのではなかろうかと発想を膨らませておりました。
また,昼からの除草作業中には,最近はイスラム国へ忠誠を誓った若者が世界の各地でテロ事件を惹起させていることについて思い浮かべていたが,この種犯罪の誘引が宗教であるなら困ったものである。
ところで,宗教については,哲学でありアヘンでもあるとの考えがあるところ,
いずれにしても,宗教をもって人々の心を癒す役割は大きいので,それを信じて心の拠りどころにすることは大切なのでしょう。
しかしながら,一部の宗教においては,指導者が教義を曲げて信者の純粋で清らかな気持ちに付け込んでテロを扇動し蛮行に及んでおり,
信仰と正反対である残虐な行いを実行するよう洗脳することは,神々の意思に反する行為であり恥ずべきである。
さてさて,宗教のからんだテロ行為が今後も発生することは十分に考えられるので,負の連鎖を断ち切るためには,今からでも遅くないと信じて,テロを扇動する側との話し合いが必要ではなかろうか。
一農夫には為す術がないが,新たなテロで日本人が犠牲者にならないことを祈るだけである。
2016/8/17
中庸を心がける
今日も一日が無事に終了した。
盆が過ぎて,アブラゼミ・クマゼミたちの蝉時雨は静かになりつつあるが,数日前からツクツクボウシの鳴き声が聞こえ始め,残暑は厳しい毎日であるところ,自然界では夏から秋へと季節は移り変わろうしているのが感じられるこの頃でもあります。
ところで,テレビではリオ五輪の放送で盛り上がっているところ,そんな一方で一昨日の終戦記念日には靖国神社を集団参拝するために同神社の回廊を無表情で歩く超党派の国会議員の姿がテレビに映し出されていたが,折角に参拝するなら晴れ晴れしい気持ちにてお参りして欲しかったと思ったのは一農夫だけであったのだろうか。
さて,大東亜戦争で敗戦した日本国であるが,小生の周囲では元軍人・民間人ともに日本国は戦争に負けて良かったと話しているのを聞いたことがあり,万が一に日本が原爆を完成させ投下する能力が残っていたら大変な事態になっていたとも話されていた。
その原爆について,アメリカのオバマ政権では核兵器の先制不使用政策について検討を始めており,これに対し安倍総理は反対の意向を伝えたようであるが,核兵器のない世界を実現させるための第一歩にしようとするオバマ大統領の熱意は十分に理解できるものであり,原爆を投下したアメリカこそが責任を持って地球上から核を廃絶させるために努力すべきでもあると思われました。
話は変わり,人の気持ちは鬼になることも仏になることも可能であると勝手に思い込んでいるが,鬼心仏心は心の片隅に封印して生きてみるのも人生であると考えたことがありました。
その時には,中庸を心がけよとの閃きがあり,小生なりに発想したのは,
中庸とは心地よい間合いであり,互いに傷つけない心の状態である。
中庸を心がけるには,執着せず譲り合う気持ちが肝心となる。
こんな寝言が閃いたのですが,人は以心伝心する機会があるので,中庸を心がけることにより,何かが吹っ切れるのかも知れないと思ったところでもありました。