空一面に,薄白い雲が覆っていた,一日でした。

 

 本日は,彼岸の入りであり,午前中に供え物を購入のため外出し,午後からは墓参りに出掛けていた。

 

 9月14日に,コンバインで稲刈りを終わらせ,翌日には乾燥の出来た籾が籾摺り機にて玄米となり,30㎏×21袋を倉庫へ保管し,以後は淡々とした毎日を過ごしておりました。

 

ところで以前のブログに,

悟りとは,はからいの気持ちを捨て去りて,なお心が常に安定している状態である。

悟りの境地を保つためには,本人の身の丈にあった修業を行うことが肝心となる。

 

こんな寝言を思い付いたままに書いていたが,はからいの気持ちを捨て去ることは,意識が強いほどに捨てがたいのではなかろうかと後になり考えておりました。

 

そして,あるがままに生きることは大切であるところ,妄想・強迫観念・不安・迷いの払拭については,業の深い観念は打ち消しがたくもあるように感じておりました。

 

 また,中身が不明である複数の迷いであるとか,これと競合する強迫観念等に対しては,0+1=1にて対応し,

例えば,お前の娘が強姦されたらとか,お前の娘が車にひき殺されてもとの妄想なり強迫観念があった場合に,ミュージカル調でさらりと受け流す方法もあるようだが,

小生においては,人前なら,そんな馬鹿げたことは思い付きもしなかった幼少の頃に気持ちをタイムスリップさせて冷静となり,あるいは一人で居る時には雑念を北極星あたりまでワープさせて,その周辺の宇宙に強迫観念を染み込ませ我に返るようにしているが,一時的には効果があるのです。

 

 何れにしても,はからいの気持ちを捨て去りて平常心を保つためには,人それぞれの対処方法があるものの,余計なことを考えず,怒りの感情を抑える習慣を身に付けることが肝心かと思われました。

 

 アサヒ ドライプレミアム 豊醸を飲みながらのブログになった。