2013/10/10
己の魂と向き合う
テレビでは事件・事故のニュースが毎日のように放送されており,少しだけ辛抱したら事件にならなかったケースも散見され,今日は畑仕事をしながら何とかならないものかと考えておりました。
一農夫なりに閃いたのは,
人生とは己の魂と向き合いながら日々を過ごすことにあり,
その魂が曇った時には,神々の御力により浄化していただき,あるいは己の研鑽と努力で回復させながら,前向きに生きてゆくのみであると思い浮かんだのです。
また,人生においては失敗した過去の出来事を思い出して心の中で葛藤することなく,そんなエネルギーがあるなら今から先のことを考えて生きてゆく方が大切であり,
その時その一瞬を正直に過ごせば,積み重ねにより人格が向上され,今までには感じられなかった充実感を得る夕べもあるのではなかろうかと考えておりました。
何れにしても,過去の事実を消し去ることは不可能であるが,未来は創り変えることすら可能なので,信仰心のある者は神の意思に従い,自力にて生きている者は自身を見失うことなく日々を素直に過ごせば,善なるエネルギーが発せられ,前向きで明るい人生が送られるものと思われました。
2014/5/6
パワハラ
インターネットのニュースによると,本年2月15日に警察署内の男子トイレで,パワハラが原因で警察官(巡査長)が拳銃自殺した件について詳細が述べられていた。
本件については,当日のテレビのニュースでも報じられていた記憶があり,度を越えたパワハラが警察署内にも存在していたのかと驚いている。
そもそもパワハラを行う人間は,何れの組織に属する者であっても,同等の愚かな知恵しか持ち合わせておらず,本人にとっては対象とする人物を追い込めば追い込むほどに相手が悩み苦しむことを承知の上で,それが面白くて面白くてたまらず快感でさえあるからパワハラを止められないようである。
本件については,上司の警部補から業務上の実績が上がってないとの理由で,パワハラと気づいておりながら,自殺前日に辞職を迫っていたようであるが,市民に難癖を付けてまで検挙する必要はなく,警察官が巡回パトロールしているだけでも犯罪を抑止する効果はあるので,辞職を迫ることなく他に指導方法がなかったものかと思われた。
同警部補は,本人なりに弁解し,自ら巡査部長への降格を申し出ているようであるが,
パワハラの認識はなかったでは済まされず,責任を痛感しているなら辞職すべきである。
また,自ら巡査部長への降格を申し出て,組織や自殺した家族に対する体裁を保とうとしているが,今後の生活のこともあり警察組織にしがみ付こうとしているようにしか感じられず,それならば最初から驕った気持ちで部下に接するべきでなかったものと思料された。
さて,どん百姓が余計なことをぬかすなとお叱りを受けるのでしょうが,結果としてパワハラを受けた相手が自殺しているなら,それなりの身の処し方があるのではなかろうか。
2015/7/27
いじめにも負けず
テレビでは岩手中2自殺について報道されており,中学校はいじめが自殺の一因であったことを認めたようである。
いじめ問題については,小生なりに思い付いたことを書き残しており,生きることの大切さについて述べているが,いじめられても自殺はするなと忠告したい。
いじめを受けたくらいで自殺していたのでは,命がいくつあっても足りないのである。
自殺したいと思う切ない気持ちが沸き起こったなら,その気持ちは生きている証拠なのであり,誰にでもあることなのです。
生きておれば,あの時に死ななくて良かったと思う日が必ず訪れるので,自殺せずに苦しくても生きてみよう。
余談になるが,いじめられて悔しいなら,生き抜いて,いじめた者を見返してやれば良い。
いじめられても,大人になれば社会人として一人前に生活している人は多いのである。
さて,大人の自殺はどうなんだろう。
突然に死ねば,隠していた秘密が晒されることもある。
生き抜いて,過去の過ちを消去しつつ,生涯をもって償いながら生きてゆくことが肝心である。
2016/8/31
生きる義務
社会では事件・事故等が相変わらず発生しており,8月の下旬においては,台風が影響した災害や銃を使用した凶悪事件とか青森県での女子中学生の自殺が気になっているが,子供の自殺については以前に何回も投稿しているものの何とかならないかと再三になるけれど考えてみた。
人には生きる義務があり,自殺は如何なる理由があろうとも,許されるべき行為ではなく罪でもある。
人生には,平坦な道だけでなく,山もあれば谷もあり,よく考えてみれば脇道も多いので,苦しくても自殺することだけは避けて,休み休み歩むか,脇道から遠回りして目的地へ辿り着く方法もある。
命は自分だけの命ではないのであり,自殺によりイジメから逃れることができても,両親や兄弟姉妹は自殺した本人以上に苦しむのである。
また,自殺すると,深い闇の中に入ってしまった霊魂は神様でも救い出すことは困難となり,現世で生きていた頃より苦しい日々を送ることになる。
そんな理由で,自殺だけは絶対に行なわず,苦しくても生きてゆくのみである。
さて,死にたいと苦しんでいるのは自分だけではなく,多くの若者は死にたいとの気持ちが深まっても思いとどまり生きる道を選んでいるので,どんな事があっても自殺はせず,生き抜いて自身に降り掛かかった災難と戦ってこそ人生といえるのではかろうか。
百姓の独り言
1
如何にして今を生きるかについては,その瞬間を大切にすることが肝心であり,物事にこだわらず積極的な気持ちで生きるだけである。
2
人生においては,失敗した過去の出来事を思い出して心の中で葛藤することなく,そんなエネルギーがあるなら今から先のことを考えて生きてゆく方が大切である。
3
死ねば全てが止まってしまう。苦しみの多い人生も楽しいものですよ。
それでも神々が苦しみを与えるなら,がむしゃらに生きてみるのも人生である。
4
いじめを受けたくらいで自殺していたのでは,命がいくつあっても足りず,自殺したいと思う切ない気持ちが生じるのは生きている証拠である。
5
生きておれば,あの時に死ななくて良かったと思う日が必ず訪れるので,自殺せずに苦しくても生きてみよう。
6
いじめられて悔しいなら,生き抜いて,いじめた者を見返してやれば良い。
いじめられても,大人になれば社会人として一人前に生活している人は多いのである。
7
大人の自殺では,突然に死ねば隠していた秘密が晒されることもあり,生き抜いて,過去の過ちを消去しつつ,生涯をもって償いながら生きてゆくことが肝心である。
8
殺すな,自殺するな,命を大切にしよう。
何れにせよ人の命がこの世から消えてしまうのは無常の限りである。
9
腹を立てて自殺するなかれ。
思いとどまって家族や友人のためにも生きてみよう。
10
この世に生を受けたからには,生き抜くことこそが人生といえるのではなかろうか。
百姓の独り言 2
1
人生とは己の魂と向き合いながら日々を過ごすことにあり,
その魂が曇った時には,神々の御力により浄化していただき,あるいは己の研鑽と努力で回復させながら前向きに生きてゆくのみである。
2
身も心もボロボロになりながらも,なお生き抜くのが人生であり,
どん底の人生が続いていても,そこから這い上がった人生もある。
死んで終わらせるより,生きてこそ人生といえるのではなかろうか。
3
他人を批判し悪口を言うのは簡単であるが,時と場合によっては,自身の値打ちを下げていることもあるので戒めるべきである。
4
親が己に対し,指導したり意見する事に,いちいち腹を立てるな。
親の言っている事に腹が立つ間は,親を乗り越えてない証拠である。
5
その時その一瞬を正直に過ごせば,積み重ねにより人格が向上され,今までには感じられなかった充実感を得る夕べもある。
6
世の中では相変わらず事件・事故が発生しているが,その実態は人間の我儘な気持ちが原因となり惹起させているようでもある。
7
社会生活をしておれば,他人より優越していることで満足する時もあるようだが,それは一時的なことであり,長い人生には山もあれば谷もある。
8
社会人なら,職場・近隣・友人関係で腹の立つ事もあろうが,
他人を超えたいなら,許す気持ちと,真理を探究し道理を極めるに尽きると思われる。
9
人間はより良い生き様や死に様を示すことで,人としての価値を高めることが出来る。
10
過去の事実を消し去ることは不可能であるが,未来は創り変えることすら可能なので,信仰心のある者は神々の意思に従い,自力にて生きている者は自身を見失うことなく日々を素直に過ごせば,前向きで明るい人生が送られるものと思われた。
気が向いたままに編集してみたが,一農夫でも生き抜くことの大切さを痛感しており,心に傷があろうとも,自身に与えられた命を大切にすると共に,生かされておることに感謝しつつ毎日を過ごすべきではなかろうか。