2012/1/13

   段取り八分について

 秀吉が墨俣城を一夜で築いた話は,小説や大河ドラマで知るところであるが,一夜での築城は無理にしても,誰もが驚くほどに早く完成したのは事実なのであろう。

 ところで今から40年も前の話になりますが,小生が土方の学生アルバイトをしていた頃に,現場監督から「土木工事は段取り八分やで」と教えられた記憶があり,段取り八分を心得て種々の業務で生かせたなら,仕事は無駄な時間が省けて効率よく進むものだと思っていた。

 確かに段取りを講じなければ一夜城の完成はなく,大げさに言えば歴史さえ変わっていたのかも知れないと考えれば,段取り八分とは仕事をしてゆく為に必要な格言のような言葉である。

 職を辞し晴耕雨読の身の上となって久しく,今更ながら段取りを考えての仕事は少なくなったが,社会人として職場で働いていた頃には,

毎日同じ業務をしているなら仕事を簡素化・合理化できて当たり前

 それが出来ないのは,やる気がないだけ。 

と段取り八分を心得て,常に創意工夫を凝らし,職場が活性化して業務が円滑に進むよう提案したものである。

段取りの方法は多種多様であり,仕事の工程を熟知した上で重要な部分について細かく分析し,一定の作業が正確に素早く進むよう,前もって準備しておけば業務は滞りなく遂行されていく。

さて段取り八分を外交問題とか円高に対する処方に用いられないものなのでしょうか。

 拉致問題については一向に進展がない。拉致被害者家族は一日千秋の思いで横田めぐみさん達の帰還を待ち焦がれているはず。

それでも北朝鮮側が意地を張り通して話合いに応じないなら,粘り強く国際社会に訴えるとか北朝鮮の同盟国から支援を受けて水面下での交渉が必要になってくる。

 また円高で日本経済が打撃を受けているのなら,G7・G20等の会議へ出席するだけでなく,関係諸国の事務方と事前の打合わせを密にして,円高を阻止すべく会議に臨むべきであると思料された。

 但し本気で日本国を愛し,国家のために何とかしたいという気持ちが無ければ,諸問題についての段取りも含め,その場しのぎの知恵しか浮かばないのであろう。

 

2012/1/27

妄想と強迫観念

 昨日の昼食後に,何時ものように爪楊枝を使って,歯の手入れをしていたら,アマルガムを充填していた箇所が突然に外れてしまい,早速に行きつけの歯医者さんに電話したところ,昨日は昼から休診のようで連絡がつかず,結局のところ今朝になり受診の予約をして通院治療を済ませた。

 3年ぶりの通院でした。

 前回通院した時には,先生が治療する指が気にかかり,この指手で昨晩は.....と雑念があり困ったが,今回は何も考える事なく,目をつむっている時はただ暗く,目を開けている時は診療器具が見えるだけであった。

 妄想と強迫観念の概念については専門家に任せるとして,

 人は誰でも妄想し,雑念の世界に入り浸る時もあるが,妄想から離れる時には自然に次の考へと移ってゆく。

しかし時として払い除けることの出来ぬ強迫観念として脳裏にこびり付く時もある。

 ところで,以心伝心という諺があり,人は無言のうちに心が通じ合う能力もあるようだ。

 そんな訳ではないが,テレビのワイドショーを見ていたら,コメンテーターの先生方も普通の人間だなと思わせる場面があり,

例えば堂々と話されていても,何か雑念でも入ったのか癖なのか,突然に腕時計を見せるような仕草をし,反対に高級腕時計を見せて安心してコメントをしていたのに急に時計を袖口の中へ隠すのを見た瞬間がありました。

また女性アナウンサーなら,スタジオにて立った姿勢で話している時の手の位置は皆さん同じで良いのでしょうが,時に変なエネルギーが飛び込んで込んでくるのを防止するように固まっているのを感じた時があります。男性なら余計な観念を飛ばさないために手を組んでいる時もあるようだが,手の位置が女性ほどは低くない。考え過ぎでしょうか。

 さて思い出せば際限がないけれど,晴耕雨読の身の上となり田畑と我が家を往復するだけの日々を過ごしていると,はからいの心というのか,妄想や強迫観念との付き合いが減り,気持ちは楽になっている。

 

2012/4/5

   涙

 嬉しい時にも,悲しい時にも人は何故だか涙を流す。

「そんな事ないよ。涙なんて出たことがないから」と否定する人も居るのでしょうが,自分は涙もろいほうである。

感極まるというのか,単に感動したでも同じであろうが,そんな時,突然に涙腺が緩み大粒の涙がポロポロと落ちていたのを思い出す。

もちろん悲しみが深い時にも涙するが,感極まった時の涙とは質が違うのでしょう。

数日前に流した涙は,鶴田浩二が歌う同期の桜(台詞入り)を聞いている時でした。

実は何回聞いても,その都度涙が出てしまうのです。

何故だろうと,そんな自分を冷静に分析してみれば,何のことはない小生も大和民族の血を受け継いだ馬鹿な男の一人であったと気づいたのです。

但し大東亜戦争を美化し,日本国が再度,軍事国家への道を歩んで欲しいとは一切に望んでいない。

他にも涙したのは,テレビで火垂の墓(アニメ)を見た時に涙が出たのを思い出す。

以来テレビで再放送があっても,可哀そうで火垂の墓は見ていない。

人生にはさまざまな涙があるが,涙のあとには新しい何かがあるのかも知れない。

 

2012/4/10

   春の全国交通安全運動期間中です

 平成24年4月6日()から同月15日()まで,春の全国交通安全運動期間になっています。

 関係機関では,酒を飲んだら車に乗るなとか,スピード違反をするな,交通ルールを遵守して安全運転に心がけようと啓発している。

交通事故は起こしても負傷しても,社会の迷惑になる。

車社会だから交通事故は防ぎようがないと言えばそれまでだが,運転する者と歩行者等がほんの少しだけ注意していれば事故を未然に防げていたケースは多いのでしょう。

小生が自家用車を運転中に注意しているのは,スピードは制限速度以内とし,信号のない交差点では徐行するとか,当たり前の交通ルールではあるが守るようにしている。

ところで制限速度を守り運転していると,後続車が追い越してゆく。

追い越した車には,

「早く行きさいや。彼女が待っとるんけ,嫁さんの手を握りたいんやろ,家に帰って酒を飲みたいんけ,気持ちは分かるが焦られんぜ等」と心の中で言葉をかけてあげている。

自分も以前には時々追い越をしていたが,目的地までの走行時間にさほど変わりはなかった。

さて運転中の心に余裕がないと事故が起こる時もあるので,よく見える目で運転して欲しいと願うものである。

 

2012/4/12

   チェックリストの作成について

職場では新たに採用されたり配置換になった皆さんが,そろそろ仕事に慣れてくる頃なのでしょうが,それでも時々は事務上のミスを起こす時期でもある。

仕事のプロだと自負していても,絶対に確実であるという事はないので,業務の内容にもよると思われますが,事務が一段落する毎に,作成したチェックリストで確認すれば,帳簿等の記入漏れが少なくなる。

また1枚の用紙の中にもチェックする箇所があり,様式ごとに日付から印鑑まで,例えば8箇所・11箇所・15箇所と確認すべき数を記憶しておくと記入漏れが防げる。  

自己の受持ち事務が如何ほどあり,それについて行うべき帳簿の整理とかコンピューターの処理とかを確実に終わらせたか,チェックリストで確認出来ると安心する。

 

2012/4/16

   議論好きやのう

今日は朝から畑仕事に精を出していた。

内容は,雑草に覆われた1アールほどの畑の一部(0.5アール)をトラクターで耕し,大きい草を熊手で集め,程良く整地した後にミニ耕運機で畝を上げて,更に整地用の鍬で畝を盛り上げて,熊手にて再度の草取りをして作業を終えた。

小生が自給野菜を育てている隣の畑では,元小学校長が3アールくらいの農地を借りて晴耕雨読しているが,この人もなかなかの頑固者のようであり,農業用機械は一切に使用せず,鍬のみで畑を耕し,種を蒔き野菜を育てている。

普段は互いに余計な話をせず5年を過ぎたが,今日は小生の作業が手際よく進んでいるのを見た先生から「きれいに出来ましたねえ。土の中に草が残っているようだけど,芽を出すんやろか」と話しかけてきたので,当方から「土中にある全部の雑草からは芽が出ないと思うけど,トマト・茄子とかの苗を植えたら,土中に残った雑草の根が妨げにならなければ良いけどね」とたわいもない話をしていたら,どちらかともなく国会議員の議論について,「言うだけよ」みたいな会話になり,元校長から,小学校の生徒会のほうが場に即した理論的な内容であり,最後には誰でもが納得のいく結論を導いていたと話されていた。

さて国会と小学校の生徒会は比較の対象にもなるまいが,良識ある議員の先生方なら,今の日本国はどうあるべきで,それに対して如何なる処方が必要なのか,一農夫が寝言を言うまでもなく既に決まっていると思われるので,議論も大切であろうが,決めなければならぬ事項は議決させて,新しい議題に取り組むべき時であると思われた。

 

2012/5/16

  もったいない

貧乏な日々を送っていても,何とか生活が出来ていることに感謝する毎日である。

今日はゴボウを収穫した後に,白瓜・メロン等の若苗を覆っていた三角形のミニテントを除き,テントについた土を小川の流水で流し,畑の柵に掛けていた。

明日の朝には乾燥していると思われるので,保管し次回に使用する予定である。

1枚20円の品物を20枚乾燥させたが,廃棄して次回は新しい品物を使えば良いものの,もう一回は使えるので捨てるのは勿体無いと思い,今日は小川の流水で洗った。

ところで数年前にテレビを見ていた時,アフリカの低所得者層以下の家庭の少女が,カバン代わりにボロボロになったレジ袋の中に学用品を入れて小学校から下校している姿を見た記憶がある。

あの映像は小生にとって衝撃的であり,彼女に対し頭の下がる思いをしておりました。

さて残された人生を如何に生きるべきか,己に対し自問自答している日々であるが答えは出ていない。

しかしながら,欲を捨て毎日を淡々と生きてゆきたいとの気持ちは深まりつつある。