2014/3/1

東日本大震災後の復興を早めるために

 月日が過ぎるのは早いもので今日から3月になった。

 寒い寒いと思いながらも,昼間の時間は少しずつ長くなっており,陽だまりに佇んでいると太陽の光が心地よく感じられる日もあり,

畑では菜の花が満開となり,公園の梅の花も見頃となっている。

 3月といえば,雛祭り・耳の日・春分の日を連想するが,何より忘れてならないのは3月11日の東日本大震災ではなかろうか。

 この東日本大震災では,死者・行方不明者が20,000名を超え,住宅においては全壊120,000棟・半壊270,000棟以上の被害が報告されているようだ。

 ところで,インターネットのニュースによれば,東日本大震災後の復興について,高台移転や災害公営住宅の建設計画は概ね終了し,今からは工事の段階に入るらしいが,

 そこで問題になっているのは,建設関連事業の技能労働者不足らしい。

 確かに,左官・型枠工などの専門的技能労働者も高齢化し,長引いた不況で離職した人も多いかと思われるが,

 外国人を雇用して復興を遂げるよりも,

日本国内から作業員を集め,東日本大震災で壊れた家を新しくし,荒れた土地を回復させたほうが,未来の子供達に日本人の心根を残せるのではなかろうかと思われた。

 おいさん寝言を言われんぜとの言葉が返ってきそうであるが,

 なぜ人が集まらないのか,その理由は賃金が安すぎるからである。

 さて,業界の相場は詳しく知らないが,日給30,000円で政府が直接に雇用し,作業に従事している期間は公務員に準じた福利厚生が受けられる特典があれば人は集まるはずである。

 なお,人を集めるなら仮設住宅も必要となり,作業員が住む集落(町)を作り,そこを拠点に建設現場へ出掛けることも一考される。

 さてさて,こんな時に木下藤吉郎なら,その知恵を絞り東日本大震災後の復興を果たすのでしょうが,考える事はしても実行に移せないのが現代の日本人でもあるようだ。

 

2014/3/27

自分自身を知る

 春色の太陽が眩しくて,そよ風も心地よく感じられる一日でした。

 3月の中旬頃には,夜間に降った雨が,山々の峰では雪となっていた朝もあり,本格的な春の訪れが待ち遠しかったが,

 ここ数日の暖かさで,皿ケ嶺や三坂峠の山頂付近に薄白く残っていた雪は完全に溶けてしまい,石鎚山系にわずかながらの残雪を残すのみとなっていた。

 畑では,里芋の種芋が60個くらい残っていたので,本日は里芋を追加で植え付けるべく,畝作り(鍬で除草した後に耕運機を使用して土上げ)を行っておりました。

話は変わるけれど,昨日のテレビのニュースによると,中国の北京市周辺では,PM2.5などの影響で大気が汚染されていると報じられていたが,

同じ状態が続いて気温が上昇すれば,更なる大気汚染の悪化も考えられ,生活環境はますます悪化し,その度合いは中国や韓国の人々が日本国の悪口を言う毎に増しているように感じられた。

 また,テレビの画面に映し出されていた北京の様子を人間の身体に例えるならば,血液や尿が濁り肺全体に陰りが見える状態のようにも感じられ,日本国の悪口を言う前に,大気汚染を何とかしないと国家の存亡に関わると思われた。

ところで,世の中には「弱い犬ほどよく吠える」との諺があり,人間の器が小さければ小さいほどに他人の悪口を言うようであり,なお権力ある者が発する悪口くらい下品なものはない。

 そして,自分自身を知り,己が何を行っているのか自覚することは大切であるところ,

韓国では,相変わらず日本を揶揄(ソウルの日本大使館前で南京大虐殺や生態実験に対する写真展を開催)しているが,そこそこで他人や他国の悪口を言いふらすのを止めないと,やがては自分の身に降りかかることもあるのではなかろうか。

 さてさて,昨晩は,町内会の会合へ出掛け,懇親会では知人らとざっくばらんに話をしたが,次回に係員となるのは12年先のことであり,生きていても子供が出席する時代になっていると思われるところ,日本国内の清浄な空気を吸いながら少しでも長生きしたいと思っている。

 

2014/4/1

もうヒートテックなんて要らない

 本日も平穏無事な一日でした。

 午前中に重信川河川敷の横にある龍沢泉周辺へ花見に出掛け,午後からは畑にてレタスの苗を植え替える畝の土作りを行っていた。

 花見では,毎年のように手作りの弁当を食べていたが,今年はスーパーで買った寿司を持参し,満開の桜の下で寿司を肴に350mlのビール2本を飲み,久しぶりに桜を観賞しておりました。

 桜の木の下では,小さいレジャーシートに座ったものだから,嫁との距離が短くなり,改めて小生を見た嫁から最初に出た言葉は,「シミができたねえ」であったので「そろそろ衣替えやからと思い,ジャンパーを洗濯に出してなかったわ」と返したら,「違う違う,顔のシミよ」と笑われたり,

 食事が終わり嫁から爪楊枝がないと言うので,ない時には割り箸を折って爪楊枝を作れるとばかりに実行するなどで時間を過ごし,

 帰り道には河川敷でイタドリを採り,今夜は早速にイタドリの塩漬けが食卓に並びました。

 今日から4月になった。

 以前の寝言には,

 ♪もうヒートテックなんて要らない♪

桜の開花が始まった頃から,ヒートテックは不要になった。

役所では,新規採用職員や転勤者に対する辞令交付が行われ,身も心も引き締めて業務に当たろうと決意を新たにされた人も多かったのではなかろうかと思われた。

 しかし本年度においても,再雇用された職員も交じっての船出である。

再雇用された職員の中には,家に居ても何もする事がないのとの理由で,引続き仕事を続けているスタッフも多いと聞く。

 政治の世界はどうだろう。

自民党が参議院の比例代表候補者を原則として70歳未満にしているようだが,直感的に素晴らしい制度だと思ったことがある。

確かに老人議員が何時までも居座っているようでは,若手議員の活躍の場が狭まるばかりでなく,政治に新しいエネルギーは吹き込めないのであろう。

♪もう選挙なんてしない♪

と爽やかに議員の席を後輩へ譲る季節でもある。

 こんな戯言が残されていたが,再雇用すれば新規採用の枠が縮小され若者の就職する機会を奪いかねず,

政治の世界なら尚更かと思われ,世代交代は世の中の常であり,若手候補者が当選し議員として若者目線で政治に参画すれば議会に新しい息吹が吹き込まれるのではなかろうか。

 

2014/5/6

パワハラについて

 五月晴れの一日でした。

 午前中に,インターネットの起動画面をグーグルからヤフー画面に立ち上げられるようパソコンの設定をし,

午後からは,芋の蔓(紅あずま10本・鳴門金時20本)と生姜の種芋を植え付けていました。

 本日は,新しくなったシステムからアメーバを読み込み,寝言を書いている。

 ところで,インターネットのニュースによると,本年2月15日に警察署内の男子トイレで,パワハラが原因で警察官(巡査長)が拳銃自殺した件について詳細が述べられていた。

 本件については,当日のテレビのニュースでも報じられていた記憶があり,度を越えたパワハラが警察署内にも存在していたのかと驚いている。

 そもそもパワハラを行う人間は,何れの組織に属する者であっても,同等の愚かな知恵しか持ち合わせておらず,本人にとっては対象とする人物を追い込めば追い込むほどに相手が悩み苦しむことを承知の上で,それが面白くて面白くてたまらず快感でさえあるからパワハラを止められないようである。

 本件については,上司の警部補から業務上の実績が上がってないとの理由で,パワハラと気づいておりながら,自殺前日に辞職を迫っていたようであるが,市民に難癖を付けてまで検挙する必要はなく,警察官が巡回パトロールしているだけでも犯罪を抑止する効果はあるので,辞職を迫ることなく他に指導方法がなかったものかと思われた。

 同警部補は,本人なりに弁解し,自ら巡査部長への降格を申し出ているようであるが,

パワハラの認識はなかったでは済まされず,責任を痛感しているなら辞職すべきである。

 また,自ら巡査部長への降格を申し出て,組織や自殺した家族に対する体裁を保とうとしているが,今後の生活のこともあり警察組織にしがみ付こうとしているようにしか感じられず,それならば最初から驕った気持ちで部下に接するべきでなかったものと思料された。

 さて,どん百姓が余計なことをぬかすなとお叱りを受けるのでしょうが,結果としてパワハラを受けた相手が自殺しているなら,それなりの身の処し方があるのではなかろうか。

 

2014/6/18

ネゴシエーター

 昨日の朝から降り続いていた雨が今日の午後4時頃には止み,夕方になりベランダのサンルームにて西の空を見上げたら,雲の隙間から太陽光が漏れていた。

 テレビ報道によれば,中央では集団的自衛権・中間貯蔵施設の問題で討議するも決着がつかず,その他の課題も含めて政治問題化しつつある。

 話し合いの大切さについては,一農夫なぞに論じられる訳もないが,このところのウクライナ情勢やイラク問題に絡め敢えて考えてみるなら,

 話し合いが如何に大切かは,指導者なら十分に承知しているにも拘わらず,その機会に恵まれず,あるいは話し合いが決裂した結果,現在の社会においても世界の各地では武力によって問題を解決すべく民間人をも巻き込んだ戦闘が行われているが,ネゴシエーターがあらゆる問題を解決しているなら,政治の世界にも交渉人は必要であり,ネゴシエーターをして各種難題を片付けてゆけば戦闘が減るのではなかろうか。

 当たり前の話であり,寝言もそこそこにしときいやと肩を叩かれそうであるが,

 政治家や官僚も交渉人として折衝する立場にあり,北朝鮮の拉致問題等について尽力されているが,交渉する相手により交渉人を選定する必要があると考えられ,知識の豊富な一流大学出身者を交渉人に充てるだけでなく,交渉する相手の魂と対話できる人物がネゴシエーターとなり話を前向きに進める方法もある。

 ところでアラブ諸国の人々は,元来からの戦闘民族のようであり,戦うことが喜びであるサイア人のようであると思った時もあったが,

 一農夫なりに瞑想してみると,本来アラーの神は血を血で洗う戦争は望んでおらず,対立する国家やグループの者が,互いに知恵を出し合って魂をぶつけ合いながら論戦することが大切であると教えているように感じられるのです。

 しかしながら,この論戦については,小さな集落の人達でさえ意見を違えるのであるから,ましてや同じイスラム教であっても宗派を異にする人々を説得するのは困難であるところ,ネゴシエーターを介して,武力による解決ほど愚かな所業はないと説くべきであり,それこそが先進諸国の指導者に課せられ責務である。

 寝言のついでに,知人の元刑務官から聞いた話ではありますが,一人の被収容者と接していた頃,本人に対し「わがままを言うな。こちらは法令に基づいて業務をやっとるんじゃ」と厳しく指導した翌日に,本人から「今日は私を見る眼差しが違ってますよ」「昨日みたいに真剣に私の眼を見て下さいな」「自分は地域の極道の元祖みたいな者やったけど,今は落ちぶれてしまい誰も相手にしてくれないが,先生は本気で私を叱ってくれた」「昨日のように睨みつけて下さいや」との言葉があったようでした。

 この話を聞いて,人は誰でも己が大切であり他人のことには無関心な現代社会であるが,一歩踏み込めば余計なお世話になる場合もあるので一言を遠慮しているけれど,注意指導が必要な場合にはケースにもよるが一人の人間を正しい方向へ向かわせるためなら,ネゴシエーターではないが躊躇することなく意見することも大切であると思料された。