集団的自衛権・国防軍構想等について
2015/6/11
諸問題について考える
雨の一日でした。
この雨で,本日においては終日を家の中で過ごし,『百姓の四季』なる冊子を作るために知恵を絞っていた。
百姓の寝言をベースに,昨年11月中旬頃から暇を見つけては冊子を作りたいと編集をしており,何回も読み返しては加筆修正中のところ,こんなものかと納得できる自己満足な一編が完成しつつあります。
5年以上にわたり,飽きることなく自由気ままに書き並べた寝言をまとめて一冊にする予定であり,寝言とはいえ間違ったことを書いてないかと尚更に心配しているが,自身の記録として残しておくには十分である。
ところで,テレビのニュースによると,国会では安全保障関連法案(平和安全法制)をめぐり与野党が激しい攻防を繰り返しており,狐と狸の騙しあいの様相を呈しているが,安全保障関連法案が憲法に違反するかしないのかが焦点なら,集団的自衛権の名の下に武力の行使を許可することは憲法違反に他ならないと思われた。
そんな訳ではないが,集団的自衛権・国防軍構想等についての寝言も残されていたので日付は順不同となるが冊子の頁に加えてみたい。
(2013/8/14)
集団的自衛権について
今日も暑いばかりの一日であり,お盆なので畑仕事は休み,家にてのんびりとした時間を過ごしていた。
毎年ですが,今の季節は農作業を本格的に行なわず,農家の皆さんも家でゆっくりしているようです。
この暑さで,昼食時に生ビールを飲みたいと思ったが,本日も我慢し,午後5時になってから缶ビールの栓を開け,一杯飲みながらパソコンのキーボードを叩いている。
社会では,相変わらず事件・事故が発生し,その誘因は酷暑にあるとも感じているが,結局は,辛抱が出来ない人間のエゴが原因で発生させているようでもある。
ところで,テレビでは集団的自衛権の行使容認の是非について放送され,その行使を容認する立場の者と反対する立場の者がそれぞれの意見を述べていた。
そんな状況下において,憲法解釈を曲げてまで集団的自衛権の行使を容認しようとする立場の者が,その必要性を説いているけれど日本国民は納得するのだろうか。
「おいさん,寝言は言われんぜ」との言葉が返ってきそうであるが,
それを言うなら,自らが討ち死にを覚悟して戦場で戦うことよ。
そんなことが出来る訳もなかろうが,集団的自衛権という言葉を美化させて一人歩きさせるのは如何なものかと思われた。
さて,20世紀は戦争と破壊の時代であったが,21世紀は諸民族の知恵と対話により世界がひとつになった時代であったと未来の人々から評価されるようこの機会に真の平和とは何かを考えてみる時節でもある。
(2014/5/18)
集団的自衛権について 2
五月晴れの空が広がり,初夏のそよ風も心地よい一日でした。
久しぶりに寝言を更新しておこうと,パソコンのキーボードをたたいている。
その間においては,健康状態良好にて田畑での仕事に精を出しており,野菜(ぶんどう豆・ソラマメ等)の収穫や,水田の畦(コンクリート製)を補修すべく作業を行っていた。
社会では,日々さまざまな出来事が起きており,その件数の多さに驚いている。
そんな中,テレビでは集団的自衛権をテーマにした報道が毎日のように行なわれており,行使容認に反対する者と,憲法解釈を変更してまで行使を容認しようとする立場の者が意見を戦わせていた。
集団的自衛権については,同盟国が武力攻撃を受けた際,同盟国に協力し武力をもって対処する権利のようであるが,
その行使を容認し,実際に同盟国と共同して武力を行使したならば,戦争に加担することとなり,
自衛隊員が発射した弾丸で,他国の兵隊が死傷すれば,末代まで恨まれることになる。
反対に,自衛隊員が戦死することも考えられ,集団的自衛権の行使を容認することについては何ら称賛に値する価値は見出されない。
確かに,近年の国際情勢の変化に伴い集団的自衛権の行使を可能にする必要があるとの事情を理解できない訳ではないが,
我が国が,今後も平和国家としての道を歩んでゆくと決意しているなら,集団的自衛権という言葉や概念に惑わされず,
日本国憲法第9条を拡大解釈することなく,普遍的な理念として守りぬくことが大切ではなかろうか。
(2014/7/18)
集団的自衛権について 3
今日も蒸し暑い一日でした。
そろそろ梅雨明けの頃となっているが,気象台から梅雨明けの発表はなく,あと何日かは本日のようなジメジメとした天気が続きそうである。
そんな一日でしたが,本朝においてはクマゼミが鳴いているのを聞くことが出来て,本格的な夏の訪れは近いと感じておりました。
ところで,数日前にテレビを見ていたら,国会では集団的自衛権の解釈について審議が行なわれており,自民党だけでなく公明党までもが武闘派としての名乗りを挙げて,野党の穏健派とで論戦が繰り広げられていた。
この集団的自衛権の行使容認については既に閣議決定(2014/7/1)されているが,
閣議決定を受けてなのか,オスプレイが今まで飛ばなかった地域を飛行しており,それこそ戦争へ向けての第一歩が踏み出されたようでもあった。
さて,戦後69年もの長きに亘り,日本国憲法の下で平和を維持してきたのであり,諸先輩が残した今までの実績を引き継ぐ気持ちが心の片隅に残っているならば,
第9条を拡張解釈し集団的自衛権の行使を容認したことには疑義があり,将来的に集団的自衛権を行使すれば,戦争への引き金になることも考えられるので,本件については性急に閣議決定することなく国民に信を問うべき問題であったと思料された。
さてさて,世界の平和について考えるなら,軍事力で均衡を保つことも必要なところ,20世紀が戦争の時代であったのなら,21世紀は話し合いで国際紛争を解決した時代であったと未来の人々から評価されるよう,
真の平和とは何かを我が国から全世界に向けて発信して欲しいと思っているが,集団的自衛権の行使を容認し外国軍と共に戦おうとしているなら夢のまた夢となりつつある。
久々の寝言となったが,小生が以前に記録したメモ(2014/3/23)を付け加えるならば,
インターネットのニュースによると,安倍総理は集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しについて早期に決着をつけようとしている。
これに対し,自民党内においても反対の意見が出ているようであるが,国防軍のほうはどがいなっとるんやろ。
さて,集団的自衛権の行使容認について論じるより,国防軍構想を優先させて,憲法を改正し自衛隊を国防軍へと位置づけるよう議論すべきではなかろうか。
(2012/12/19)
国防軍構想について
明け方から降り始めた雨が,山里では雪になっており,我が倉庫から眺める三坂峠や皿ケ嶺はもとより,遠く石鎚の山々まで薄白く雪化粧されていた。
徒然なる一日が,長いとも短いとも感じられないような数日になっている。
中央では,自民党政権が発足するのに合わせて,水面下には様々な動きがあり,年末の慌ただしさと相まって,早くも政権与党としての力を見せつけているようだ。
そんな状況下において,新政権の目玉の一つでもあるデフレ脱却に向けた金融政策を発表しただけで,日経平均株価が8カ月ぶりに1万円台を回復し,為替相場も円安へと戻りつつあるが,民主党政権では成し得なかった諸問題を如何にして解決してゆくのか今後の政治手腕が期待されている。
ところで国防軍構想に結末をつけるのは,来年夏の参院選後に引き延ばしされるのでしょうか。
自民党が衆院選の政権公約とした条項に,憲法を改正し自衛隊を国防軍として位置づける1項目がある。
国防軍構想については様々な意見があるところ,私は賛成の立場であり,一有権者として国防軍の在り方について考察するならば,
日本国憲法では,第9条について論じられる事が多く,これがネックだから改憲しようとする改憲派と,反対に第9条を守ろうとする護憲派とで意見が分かれている。
憲法改正の手続きについては,第96条および日本国憲法の改正手続に関する法律に明記されており,簡単には改正できないよう工夫されているが,その機運が高まった時には国民の多く(過半数)が賛成するものと考えている。
さて,国防軍を保持することについては賛否両論なのでしょうが,戦後67年もの年月を,アメリカに守られながらも,自衛隊という組織及び機動力を諸外国の軍隊に負けないくらい頑強としているなら,そろそろ改憲し,自衛隊という名称を変更の上,新たに制定された組織名のもとで,先進諸国の一員として外交すべき時節かと思われます。
ただし防衛庁から防衛省へと昇格したように,今度は陸軍省と海軍省も必要であるから整備し,更には軍備を増大させながら軍事国家への道を歩もうとするなら,これを監視する法整備が必要であり,軍隊の在り方についても法律で明記し,自国を守るための武力の行使は認めても,如何なる理由があろうとも近隣諸国を侵略しないとの約束(条文)は,外交を円滑に進める上において不可欠であると愚考している。
ついでながら,自衛隊から国防軍へ名称を変更するなら,自衛隊員の地位も向上させるべく,そこで勤務し自らの使命感により任務を遂行する者には,その覚悟に応じた身分保障が必要であると考えるものであります。
現在の自衛隊員(士長以下)のように,入隊しても3曹に昇進できないが為に退職を余儀なくされ,一定の年限で職場を去っていく隊員は多いと聞いておりますが,そんな中途半端な制度や組織では一国を守れないのではないでしょうか。
国防軍が誕生し,自衛隊員の地位が向上すれば,国防軍へ入りたいと希望する若者が増え,徴兵制度にせずとも,国家を守るに足りる人員の確保が可能になると思われます。
何れにしても諸外国の情勢に照らし,日本国においても自らの力で祖国を守ろうと決意するなら,何時までも警察予備隊が昇格しただけの組織では,我が国を守り抜くことは困難であるため,憲法の一部改正が可能なら,第9条だけでも改正し,世界の情勢に応じた国防軍を保持すべきであると思料するものであり,それが実現しなければ,先進諸国と対等な立場での国際貢献は出来ないのではなかろうか。
こんな寝言が残っていたが,
集団的自衛権の行使を容認し,曖昧な状態で事に関わるより,