2014/6/22
ゲルマニウムラジオ
昨日に引き続き,本日においても小雨が降ったり止んだりの空模様でした。
この雨で畑仕事は出来ず,久しぶりに倉庫の二階の小窓から重信川の堤防や皿ケ嶺周辺の山々を眺めていたら,子供の頃にゲルマニウムラジオのキットを購入し組み立てていたのを思い出していた。
あの頃は家にテレビはなく,古いラジオが一台あったものの子供が独占できるものではなく,記憶をたどれば友達の家で赤同鈴之助のラジオ放送を聴いており,その後において一人だけで聴いてみたいと思いながら数年が過ぎた日に,
小学校の先生から,富士教材へ行けば実験材料やゲルマニウムラジオの部品を販売していると聞き,お年玉でキットを購入し組み立てて遊んでおりました。
また,誰に聞いたかは忘れてしまったが,アンテナコイルをブリキ製の雨樋に当てると電波を拾いやすくなるとのことを知り,作成したゲルマニウムラジオとイヤホンを樋の所へ持って行っては,ラジオから流れてくる音(放送)を聴いていた。
この雨樋の下には大きな石が置かれており,屋根側の樋の裂け目から落ちた雨だれで石が掘られているのを見て,同じ箇所に雨だれが落ちていると長い年月を経れば石にさえ穴が空くのだと子供なりに知り,何事も辛抱が肝心であると考えていた。
そんなことで,午前中は小雨のそぼ降る景色を目にしながら,子供の頃にタイムスリップしおりました。
2014/6/27
幼き日々にタイムスリップ
梅雨らしい,どんよりとした厚い雲に覆われていた一日でした。
午前中にブドウの袋掛けを行い,午後からはキュウリに添え木を立てネットを張る等の作業を実施し,仕事の合間には,熟成中であったニンニクの黒焼きが完成したので,炊飯器から出して炬燵(倉庫二階)の上に並べていた。
ところで,前回の寝言の続きになりますが,倉庫二階から外の風景を眺めていたら幼き日々にタイムスリップすることがあり,子供なりに質素倹約に努めていた頃を思い出しておりました。
あの頃は,我が家のみが貧乏をしていた訳ではないが,
友達の家においては,洗濯機・テレビ・冷蔵庫を順次買い揃えていった家庭もあり,自分の家では4~5年遅れてからテレビ・冷蔵庫・洗濯機を購入しており,何かにつけて時代の波に乗り遅れ,
小学校で,放課後に運動会の打ち合わせが行なわれた際には,何故だか教室にファンタが運ばれて,数人のクラスメイトが僕はオレンジ・私はグレープと先生に注文していたが,オレンジもグレープも知らない自分はただ呆気にとられておりました。
そんな少年時代のある時期に,母親から1日10円ずつの小遣いを貰っていたが,
300円くらいを貯めた頃に,辛抱すれば1,000円でも貯金が可能であると気づき,以後は駄菓子屋に行って無駄使いをすることなく貯金が1,000円になるまで我慢の日々を過ごしていた。
そして目標額に達した際には,貯金箱から10円玉を取り出して飯台の上に並べ,母親に1,000円であることの確認を受けた後に,以前から持ちたかった千円札と交換してもらい,それをお守りのようにし大切に保管しておいたのです。
10円玉をコツコツと貯めていた頃のエピソードとして,
あの頃の子供は屋外で遊ぶことが多く,かかし・缶蹴り・かくれんぼ等,次から次へと遊びを変えては行動しており,
そんな遊びをしていた秋の頃に,紙芝居屋が近くにある公民館の外庭へ来て,10日ほど紙芝居の公演を行なっていました。
ある日のこと,遊びに飽きた友達から「紙芝居を見に行こうや」との一言があり,数人の仲間も賛同して公民館まで出かけたのですが,
自分は,毎日コツコツと貯金をしているのでと断る訳にもいかず,グループの最後尾にて移動し,
友達が紙芝居を見るために15円を払い,割り箸を半分に切ったような棒の先に盛られた水飴を買って紙芝居の前に立ったのを見計らって,
紙芝居を見るには水飴を買わねばならず,自分は電柱の後ろに隠れ,弁士の語る物語を聞いていた。
紙芝居が終った帰り道には,誰かが「水飴は二本の棒でこねると白くなり甘みが増す」と話していたのを聞いた記憶があり,更には紙芝居の内容がどうのこうので話が盛り上がり,自分にも話を振ってくるので,弁士から聞いたストーリーに基づいて,受け流すように答えておりました。
一杯のかけそばが1972年頃を背景にしたストーリーなら,自分の体験はそれより一昔前の1962年前後の話であり,当時においては貧乏な生活をしていても子供なりに何事も我慢することで足るを知り,心は安定していたようでした。
2014/7/12
清々しい気持ちに
台風一過にて,久しぶりに青空が望める一日でした。
午前中に,四国八十八ヶ所の46番札所である浄瑠璃寺へ出掛け,午後からは畑にて茄子の支柱を補強したり野菜への追肥(液肥)や木酢液の散布を行なっていた。
浄瑠璃寺の南側にある弁天池では蓮の花が見頃であり,ピンクと白を基調にした花が所狭しと咲き誇っており,
蓮の花を観賞し,すぐ横にある薬師如来をお祀りしてある本堂と,その横の大師堂にて家内安全を祈願した後に,生い茂る木々の隙間から漏れる木漏れ日を感じながら境内を一周すると,何となく心が洗われたようで清々しい気持ちになりました。
ところで,畑ではトウモロコシの収穫(自給のみ栽培)を終え,今ではスイカが食べ頃となっています。
スイカは,苗物店で赤色の小玉3本と黄色小玉2本を買ったのですが,受粉をする際に,赤も黄も関係なく雄しべの花粉を雌しべに付けたものだから,赤いスイカに薄い黄色の混じった果肉のスイカが育ってしまいました。
味は,雨上がりにしては甘みがあり,本日においては毎食後にデザートとして食べ,ビール腹ならぬスイカ腹となっております。
スイカは,他にも自分で種(昨年スイカを食べた時に種を保管)を蒔いて育てた苗も成長しているので,実ればお盆頃まで食べられそうである。
さて,7月も淡々とした日々が過ぎており,早くも中旬になってしまった。
明日は,市民大清掃の日なので,早めに休んで明日に備えたい。
2014/10/29
ニンニクの黒焼き作りについて
東から吹いてくる風が冷たくて,突然に冬が訪れたのかと思わせるような午前中でしたが,昼過ぎからは何時の間に風向きが変わったのか南西の風となり,そよ風が心地よい小春日和の午後になっておりました。
午前中に家の中の雑用を済ませ,午後からは畑にて除草と野菜への追肥を行ない,早めに仕事を終わらせて家路に着いていた。
この頃は,毎日少しずつ冷え込んでおり,今朝のこと嫁から座卓を炬燵仕様に変更してくれと頼まれたので模様替えを行なったが,早速に一足早い冬支度の整った居間にて,炬燵の中に足を伸ばしパソコンのキーボードを叩いています。
ところで,ニンニクの黒焼き作りについてとの寝言を,一昨年(ニンニクの黒焼き作りに挑戦・2012/6/30)と昨年(百姓の寝言252・2013/8/13)に記録しておりましたが,本年度においても6月5日から10月11日までの間に計8回ニンニクの黒焼きを作るべく電子ジャーにてニンニクを熟成させておりました。
ニンニクの黒焼き作りが3年目となり,本年度においては商品として販売可能であると思われる状態まで,下記のとおり熟成させることが出来ました。
記
1 ニンニクの黒焼き作りに使用する電子ジャーは,熟成温度の関係で保温専用の釜が良いと思われる。
2 昨年までは,何となく電子ジャーの底にスノコを置いていたが,ステンレス製のスノコでも錆が出るので本年度はスノコを使用せず,釜の内側にアルミホイルを2重に敷いてニンニクを熟成させた。
3 ニンニクは,収穫後3週間を過ぎた物を使用する。
理由は,干し柿の渋抜きに使用する渋柿でも,ある程度は熟したものを使用すると思われ,ニンニクにおいても収穫直後の物を使用すると渋みが残ったので。
4 電子ジャーには,6分目まで(釜の5分の3くらいの量)のニンニクを入れる。
5 熟成期間の目安は,小玉のニンニクは8日前後であり,大玉なら14日前後となる。
6 熟成中のコツとして,最初の4日間くらいはニンニクから出る水分を釜の外へ出すために1日に2~3回ジャーの蓋を開けては閉じ,なお5日目以降は1日に4時間程度連続してジャーのスイッチを切り,釜の内蓋に付着した水滴をキッチンペーパー等で拭き取った後にスイッチを入れる操作を釜出しの日まで行なう。
7 電子ジャーの内蓋に,毎回ですが同じ程度の水滴が付着しているが,そろそろ出来上がる頃だと思った日には水滴の量が格段と減っているので,そこで終了させるかあと1日熟成させるかは本人の好みとする。
8 熟成期間が長くなると,実が硬くて渋みの残る黒焼きニンニクになる時もある。
9 完成したニンニクの黒焼きは適宜な容器に入れて保存するが,小生においてはタッパーや海苔が入っていたビンを利用し,黒焼きニンニクと乾燥剤の入った容器を収納室(暗い場所)に置いて常温保存している。
10 軟らか目の黒焼きニンニクでも,保存容器の中では熟成が続いているものと思われ,1年後に美味なニンニクとなっていることもある。
参考までに,以前に記録したメモを添付しておきたい。
(2012/6/30)
ニンニクの黒焼き作りに挑戦
今年はニンニクが豊作で我が家では食べきれず,知人にお裾分けしていたが,それでも多く残っており,何とかならないかとインターネットで検索すると,ニンニクの黒焼きについての記事があったので,自分でも作ってみたいと早速に午後から作業を始めた。
作り方は様々であり,電子ジャーに生のニンニクを入れて保温状態で10日間もかけて熟成させる方法や,土鍋を使う方法とかがあったが,
小生は自己流にて,廃棄された鍋の底に網を置き,アルミホイルに包んだニンニクを入れて蓋をし,カセットガスコンロで適宜な火力で熱する方法で黒焼き作りに挑戦してみた。
ところが途中でガスの燃焼が消えていたので確認してみると,ガスボンベが熱くなり,ボンベとコンロの接続部分が離れており,これでは危険だと思い,スレート瓦の破片で,火力からガスボンベに伝わる熱を減少させていたが,再度ガスの燃焼が消えたので,長時間の燃焼には不向きであると判断し,七輪に替えて黒焼き作りを続行させた。
さて明日の朝には完成予定であるが,夜間に一・二度は炭火の状態を確認せねばと思っている。
7/1
本日の午後1時になり,やっと完成しました。
(2012/7/13)
ニンニクの黒焼き作りに再挑戦
前回ですが6月30日に初めてニンニクの黒焼きを自己流で作り始め,24時間後の翌日に完成したが,短時間で作ったので生ニンニクから出る水分が,ニンニクの表面に出て鍋の熱で凝固し,見た目が悪くなっていた。
自己流で失敗したものの,我が家には専門的な設備はなく,遠赤外線の熱で熟成させたり,土釜の中で30日も燻す方法は不可能であり,今回は電子ジャーを利用しての再挑戦となった。
7月5日午後3時に開始し,完成したのが昨日(7月12日)の午前中でした。
手順として,作成当日に電子ジャーの底にステンレス製のすのこ(高さ1cm)を置き,その上にアルミホイルを敷いて,ニンニク(ミニサイズ)を適量置いて蓋をする。
適宜な場所に置いて電子ジャーのスイッチを入れ,6時間に一回くらいジャーの蓋を開けて,ニンニクから出る水蒸気を出していた。
3日目くらいまでは,ニンニク特有の生臭さがあり,ニンニク玉に特段の変化は見られなかったが,4日目に入るとニンニク玉から水分が出たのか,摘んでみると全体が少し痩せていた。
5日目に皮を剝いでみると茶色になっており,食べると甘かったが,あと少し本物の黒焼きに近づけようと,更に2日間熟成させた。
7日目に完成しての感想は,外見は如何にもニンニクの黒焼きとなり,市販のものと比べても味は殆ど同じだと思われたが,果肉は軟らかいものとなった。
(2012/7/27)
ニンニクの黒焼きを食べてみて
7月1日から,ニンニクの黒焼きを毎朝3欠片ずつ食べるようになり,明日で4週間となります。
インターネットからの情報によると,黒焼きニンニクの効能は,生のニンニクと比べたらポリフェノール量が19倍・活性酸素除去能力は16倍あり,体力増強・免疫力向上に効果があるとの説明があった。
短い期間ですが,自分で食べてみての感想は,肌がツルツルしてアレルギー体質が改善されているような気がしている。
健康食品と言えば,青汁・サメの肝油・ローヤルゼリー等と多々あるが,ニンニクの黒焼きもブームになるかも知れないと思っている。
(2012/9/29)
追記 1
黒焼きニンニクを冷蔵庫で保存しているが,日が過ぎるごとに果肉が縮小して甘みが増し,デパートで売っているものと比較しても変わらないくらいになった。
(2013/8/13)
追記 2
今年もニンニクの黒焼きを作る季節になりました。
昨年の夏に,ニンニクの黒焼き作り等について何回か記録しており,
今年も昨年に習って,第1回・第2回と黒焼き作りに専念しましたが,何故だか出来具合がイマイチとなりました。
イマイチの内容は,完成品がダッシュ村で放送されていた時のような,皮を剥いだ表面が焼き栗(甘栗)みたいに乾燥しておらず,味は良いがジメジメとした仕上がりになったのです。
昨年は上手くいったのに,何故だろうと,自分なりに検証してゆくと,
電子ジャーに入れる量が多過ぎて,熟成段階でニンニクから発せられる水分が少なくて,全体に湿っぽくなったと気付くに至りました。
さて,この湿っぽいニンニクの黒焼きを如何にして,本物に近づけるかと思考錯誤した結果,何のことはない,出来上がった軟らか目の品を,
再度になるが乾燥熟成すべく,今度は軟らか目の黒焼きニンニクを電子ジャーに戻し,蓋を1cmほど開けたまま2日間くらい過熱(二段熟成)したら,味はもとより外見も本物のニンニクの黒焼きに近い品が完成しました。
今年は,ニンニク玉が太かったことと,電子ジャーに入れる量が多かったことが原因で,スムーズに運ばなかったニンニクの黒焼き作りの作業でしたが,上記のとおり,何とか完成したので一安心したところです。
ニンニクの黒焼き作りについて,こんなメモがパソコンの片隅に残っておりました。