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…と、いうわけで!

  #119レポ編

観光省さまより英語留学と語学学校さんについての説明になります

簡単に訳しつつ、解説していきますよーおんぷ

観光省さまより、英語留学についての説明。

ならびに以前紹介したCPILSさま、BiG TREE ENGLISHさまなどのパートナー企業である
語学学校さんについてご案内。

こちらは、この日もまわりにブース構えて各語学学校さん いらしたのですが
順に今回も含めインタビューさせていただいたのでその話は割愛(*'∀`*)v
 


そして、アクティビティについて

Albayは言われてみれば…富士山の景観と似てるかもしれないシャボン玉

そして、ダバオにもストーンマッサージあるんですね上げ上げ
ロミロミみたいな感じかな、いつか受けに行ってみたいです。

ボホールは紹介しましたね、有名なチョコレートヒルズ

バナウエのライステラス
そして、ビガンの街並 こちらは世界遺産になっておりますきゃー



ビガンの街と高橋大尉の話は昨年8月にも書きましたが気になるかたは読んでくださいね!↓


1941年12月8日の太平洋戦争開戦と同時にフィリピンは日本軍の空陸からの攻撃を受け、バギオ近くの南シナ海沿岸に上陸した日本軍は怒涛の進撃で、1ヶ月もたたない1942年1月3日には、オープンシティを宣言したマニラを無血占領しました。

バギオもパンガシナンもそして映画の舞台となるビガンもそれ以前に既に日本軍が占領していました。その後約3年に亘る日本統治時代がありました。

ビガンは、北ルソンの中心的都市で、南イロコス州の州都でもありましたから、日本軍守備部隊が駐屯していました。その守備部隊の隊長として、1943年7月に主人公、高橋大尉が赴任して来ました
高橋大尉は、前任地(一説にはバギオとも言われている)でフィリピン女性と結婚し、妻と可愛い娘を伴ってビガンに着任しました。日本軍人には珍しい温和な性格と、フィリピン人の妻の助けもあって町の住民と親しい関係を結び、現地の人からも信頼を得ていました。

その状況が一変したのは、戦況が悪化し、ビガン南方のリンガエン湾に米軍の大軍が上陸し、海岸沿いに進撃を続けた米軍部隊がビガンを攻撃する状況にまで切迫して来た1945年初頭でした。

ビガン守備隊長の高橋大尉に来た司令部からの命令は、「町を焼いて撤退せよ」でした。ビガン背後の山中でゲリラ戦を戦えと言うのです。山中でのゲリラ戦にはとても妻子を伴って行く事は不可能です。

そこで、高橋大尉は親しくなっていたドイツ人神父クレカンフに妻子の保護を頼みました。クレカンフは、ビガンを戦火から守る事を条件にしましたが、短い時間でも妻子との思い出が凝縮して残るビガンを守りたい気持ちは、高橋大尉も同じだったのでしょう。 

司令部からの命令に抗命し、街並みを残して撤退する事が自分の死を意味する事を充分知りながら、妻子への深い愛とビガンの町への愛着が彼を決断させました。

米軍攻撃の前夜、日本軍部隊は町をそのままに静かに撤退して行きました。翌朝爆撃に飛来した米軍機には町の中央の広場に大きな白旗を掲げ、町の有力者が郊外に進出した米軍を出迎え、既に町に日本軍はいない事を知らせました。

日本軍が撤退した事を知って、米軍もビガンを砲爆撃する事無く町を占領しました。こうしてビガンは救われ、世界遺産に登録される街並みが残りました。

高橋大尉とその部隊は、その後山中での戦いを続け大尉は戦死し、部隊も全滅しましたが、神父にかくまわれた大尉の妻と娘はしっかりと戦後まで守り抜かれました。戦後妻子は伝手を頼ってマニラ方面へ移って行き、消息も絶えました。

ビガンが世界遺産に登録された頃、大尉の娘がビガンを訪れている事を知った市の職員が滞在先のホテルを訪ねましたが、既にチェックアウトした後だったそうです。

世界遺産に登録されたビガンを一人の日本人将校が身を賭して守った秘話は、その後NHKでも放映され日本でも話題になったそうですが、今ビガンを訪れる日本人でこの話を知る人はもう少なくなってしまいました
映画化されるも日本で劇場公開される事は無かったのですが、海外などで目にする機会があれば是非!

フィリピンでも話題になり、もう一度この話が脚光を浴びる事があれば、ビガンを訪れる日本人も増える事でしょう。

日本人のフィリピンへのイメージが、怖い、汚い、危ないであると同じ様に、戦時中の日本軍へのフィリピン人のイメージは、略奪、残虐行為、拷問、憲兵隊などだと言われます。映画により違った日本へのイメージの醸成に効果がある事を期待しています。 

世界遺産に登録された古都ビガン、命に代えてその町を戦火から守ったのは、妻と娘、そしてその町と住民をこよなく愛した一人の日本人将校だったのです。