はじめまして。
” 本来の自分を思い出し、
心にワクワクの火を灯す❤️🔥 “
ライフコーチの山田 美波です。
- 夢ややりたいことがわからない
- もっとワクワクする人生を生きたい
- いつも不安や怖さで行動に移せない
そんな方のサポートをして、
忘れていた本来の自分に還っていき、
心からワクワクや”やりたい”が溢れてくる、
そしてありのままの自分で生きる人を増やしたい、という想いで発信しています。
こんな想いを持っている私ですが、ここに至るまで、自分自身何がしたいのかわからなくなってしまったり、他人の意見に自分の人生を委ねてしまっていた時期がありました。
やりたいこと、ありたい未来が明確になるまでの私のストーリーを共有させてください。
過去の私と同じように、いま、悩んでいる誰かの力になることを願って☺️
幼少期ダイジェスト。
1994年、父、母、兄の四人家族の元に生まれます。
父が転勤族だったため、生まれてから中学生になるまで、3年ごとに転勤を繰り返していました。
小さい頃は三つ上の兄にいつも張り合い、負けん気が強くやんちゃでうるさめな女の子でした。
外遊びや運動が大好きで、中学から高校までバスケ部で運動ざんまいの日々。
旅に目覚めた大学時代。
大学では旅に目覚めます。
海外旅行好きの兄の影響で大学生になると一人でいろんなところに旅をしに行きました。
外の世界を見て、なんて小さな世界で生きていたのかという衝撃と、常識が全く異なる国の生活や文化が面白くて面白くて。
学期中はバイトに励み、長期休みは海外に飛ぶという生活を送っていました。
休学ワーキングホリデー、そして夢。
1年間休学をしてオーストラリアにワーキングホリデーにも行きました。
休学を終えて大学3年生から再開。
このとき、私にはある夢がありました。ミュージカル俳優になる、という突拍子もない夢。
小さい頃から母に連れられて舞台を見に行ったり、音楽に触れていた私は、ビリーエリオットというミュージカル映画を見て、雷に打たれたような衝撃を味わいます。
これだ。これをやるんだ!!!!!!!という衝撃が体を駆け巡ったのを覚えています。
それが当時大学2年生、ワーホリ前。すぐには行動せず一度胸にしまっていた夢。
1年間をオーストラリアで過ごす中で、将来どんな風に生きたいのか、海外に住みたいのか、それとも一度切りの人生ミュージカル俳優に挑戦してみるのか。そんなことを考えて過ごした1年間。
帰国してしばらくして、大学生活あと2年、やってみなきゃ本当に好きかもわからない、パッションを感じるかも、チャンスがあるかもわからない。やってみようという思いで歌、ダンス、ミュージカルのスクールに通い始めます。
正直、いまから始めるにはかなり後発な自覚はありました。でも、挑戦せず終わったら死ぬまで後悔する、そんな思いで始めたのでした。
夢の挫折。
ところがここで、人生最大にダメージを受けます。
それは、母に応援してもらえなかった(と感じた)ことでした。
幼い頃から父はほとんど家におらず、多大に母の影響を受けて育った私は、舞台や音楽が大好きな母が応援してくれないはずがない、と思っていたのです。
ですが、ミュージカル俳優になりたい、と打ち明けた私に、母は硬く強張った顔をして、何か恐ろしいことが始まるかのような顔をしていました。
花開く可能性の低さ、花開くまでずっとバイトをしたり苦しい生活になるかもしれない、お給料は低いだろう、旅行だって好きにできないかもしれない。さまざまな不安が心配性の母の中によぎったのだろうと思います。
やめなさいと言われたわけではありません。
見守ってくれてもいました。
でも、心の底で母から応援されていないということが、とてもショックでした。
心からやりたいと思うこと見つけ、そして大好きな人に喜んでもらえると思って一石二鳥!と胸を躍らせ、行動しはじめ、意を決して打ち明けた時のことでした。
大学に行きながら歌やダンスを習う中で、何か常にいけないことをしているような、心が黒くもやもやしている感覚、そして何より自分自身が楽しめていない状況でした。
就活。
大学を卒業したら専門学校に行こうか、養成所に行こうか、就職をするのか。悩んでいました。
そして、
私は夢を諦めました。
そして何か大切なものを手放したような、心にぽっかり穴があいた感覚。
何でも応援してくれると思っていた母から応援してもらえなかった悲しさ、
この状態で夢を追っても、楽しくない、心が死んでしまう、怖い。そう感じていました。
パッションが不在な状態で追いかけられるわけがないと、心の火が消えるような感覚でした。
今思うと、母とのつながりが強すぎた。
母の喜びを自分のものと考えすぎていた。
そもそも母が喜ぶことありきで描いた夢でもあった。
そして就職。
いろんなことを思いますが、夢を諦めた私は廃人のような心で就活をし、サーモンが好きという理由で水産商社への就職を決めました。
大学在学中に、苦手なことにも一つは取り組もうという気持ちで取得した、簿記3級が仇となり、営業志望の中、数字が苦手な私は経理配属となりました。
当時の私は、愚痴を聞きたくないと伝えたり、突っぱねる態度をとることはできませんでした。
ここでは3年間働きました。
経理の仕事は思ったより楽しいこともありましたが、
直属の先輩の愚痴に終始付き合うという、心がさらに荒んでいく3年間でした。
ニート時代。
コロナで事業縮小となり早期退職を募られたタイミングで退職。
数年働いたら世界一周がしたいと思っていましたがコロナで断念。
その後は、一年間無職。やりたいことがなんなのかわからずふらふら。
一週間座禅道場に行ってみたり、淡路島に農業をしに行ったり。
国内をちょこちょこ旅行をしたり。
疲弊した心が回復してきたころ、心に元気が戻ってくるのを感じました。
その時に湧いてきたのは、「誰かの役に立ちたい」という感情。
心も元気になり、身体は超元気。
こんなにエネルギーがあるのに、人と関わって使わないなんてもったいない。
誰かの役に立ちたい、とう思いました。
そこからは、整理整頓や掃除が好きなので、家事代行の仕事をしてみたり。(いろんな家に行き、めちゃめちゃ楽しかった!)
再就職そして・・
その後、IT業界に転職。現在平日はITのトレーナーとして働いています。
英語や人前で話すこと、説明することなど自分の得意を活かしつつ、人の役に立てる仕事をすることができ、職場の環境も控えめに言ってとてもいい。同僚もとってもいい。
楽しく働いていました。
そこで次のステージ、心の中からむくむくとあれやりたいこれやりたいが出てくるように。
ライフスタイルの構築が始まります。
マシンピラティスやってみたい!という些細な趣味から始まり、
やっぱり歌うのが好き。ということでギターを始めたり、
人と声を重ねるのが好き。ということでゴスペルを始めたり、
バンライフがしたい!!と一社目で働いていた時に夢みていたことを実行。
中古の軽バンを購入し、車中泊仕様に内装をDIY。晴れてバンライファーデビュー。
続いて出てきたのは「サーフィンを趣味にしたい!」
サーフィンを始める。
千葉や湘南の海に通う中で、とっても好きな街に出会い住みたい!!!となり
実家を出て移住。
仕事が楽しいと思えるようになった次は、
あれよあれよという間にもともと楽しかったライフが楽しすぎて大忙しに。
こんなに楽しくていいんかいなと思うほどに楽しいアフターファイブや週末。
次に湧いてきたのは・・
そしてここにきて湧いてきた想いは、
仕事もライフと同じくらいに情熱もってやりたい!!!!!という気持ち。
今の仕事もとっても好きでやりがいも感じる。人も会社もとってもいい。
でも、もっともっと自分を活かして、人の役に立てることがあるんじゃないか。
そんなことを模索するようになりました。
そこで出てきたのは、
人を応援したい。という気持ち。
大学時代、ミュージカル俳優の夢を諦めたとき、
夢を応援してもらえなかったことが、本当にショックでした。
でもあの時、
本当は、母よりも、誰よりも、
自分自身に、自分を信じて、応援してほしかったんだと思います。
あの時はきづいてあげられなかった。
だから私は絶対に人の夢を笑わないし、どんな夢でも、
その人が迷っている状態でも、覚悟が決まってなくても、どんな状態でもいいから応援したい!
誰も応援してなくても、私が応援したい!
誰もあなたを信じていなくても、
時には過去の私のように、
あなた自身が自分を信じられなくても、
私が、あなたを、信じたい!そういう想いがあることに気がつきました。
そんな想いでコーチングと出会いました。
あなたがやりたいと思うことがあるならば、誰も信じなくても私が、あなたを信じたい。
あなたが、自分を一番に信じてあげられるよう、サポートがしたい。
そしてあなたがいま、かつての私のように、心が麻痺してやりたいことが見つからないなら、それを見つけるお手伝いがしたい。
だからいま私は、ライフコーチをしています。
人の役に立ちたい。
あなたの夢を応援したい。
このシンプルな気持ちが、私がいま、ライフコーチをしている理由。
最後に・・
あなたはいま、やりたいことがありますか?
人生、楽しんでいますか?
あなたがいま、かつての私のように、心が麻痺してやりたいことが見つからないなら、私はそれを一緒に見つけるお手伝いがしたい。
そんな風に想っています。