もともと「大人」って
成長して一人前になった人、みたいな意味で
「子ども」に対する対義語だったりする


18歳、20歳くらいから?


なのに今は
いろんな「隠語」じみたことで
使われたりもしている「オトナ」。



そのうち
「オトナの恋愛」っていうのもある。


20歳の恋愛ならいいんだけど。

この場合に指し示される「妙齢での恋愛」は
特別なもの、
あるいは
ご法度、

みたいな意味合いもあるのかもしれない。


でも

じぶんもその「妙齢」になってわかったんだけど

人はいつまでも「恋」をする




若いころは若いころなりに
人生経験もなく
ただただ独りよがりな恋だったりもする。


相手に難癖をつけたり

こんなに恋しのぶワタシを
わかってくれなくて
さみしい想いをしたり

イライラしたり

感情にかき乱され
苦しい想いも多かった。



(だから恋愛なんてしたくない、という一理もよくわかるw)




でも。

「オトナという妙齢」になってからの恋愛は

気持ちとは裏腹な
「社会生活的な事情」があったりして

さらに複雑になっていくけど



年を重ねた分だけ
人生経験が多いわけだから

そんな「狂いやすい」恋愛に対しても

ある部分、
冷静でいられたりもする






もちろん
当初は

返信がなかなか来ないーー

とか

もう、なんでこうなのぉ!?って
思ったりすることも
ないわけではないんだけど



あの人の性格なら
これはこうかもしれない

とか

女性脳と男性脳は
根本から異なっているんだよね

とか

そういう理解も進んだりする。




また

結局

相手を見ているようで
すべては自分との向き合いなんだなって


気づくようにもなってくる。



子育てがまさにそうだったから

その経験もあって


近い人にほど
「じぶん」が投影されやすいし

じぶんをゆるせてない部分を
相手があえて「見せてくれている」


そんなのもわかってくるし。

(わかっていても、そういう現象がなくなるわけではないけどねw)






とはいえ

社会的な悩み、は大きいけどねぇ

相手が既婚だったり
自分が既婚だったり
その両方だったり

そうじゃなくても
子どもがいたりいなかったり

身体的になにかしら「問題」があったり

まあほんと


これでもかって
いろんな課題が出てくる




挙げればキリがないけど

そんななかで

どれだけ「しあわせを感じていられるか」
なんだよね



「こうなればしあわせになれる!」
って思ってると

自分が思ったとおりになっても
また
あらたな問題が出てきて

「しあわせな未来」は決して訪れない


それなら。

不自由はあるけど
「いま」しあわせになろう。




どれだけ満ち足りた世界に
わたしたちは生きているんだろう

空気があり
住む家もあり

太陽がある。


朝、散歩すると
気持ちいいよラブラブ

 

朝日は特別なのだ