セックスでさみしさを解消することはできない


でも


その瞬間


つながったその瞬間は


無我の境地になって

瞬間的に「さみしさ」から逃れられる。





人はその
「一瞬」を求めて

セックスをする。




セックスではなくても

直接

あたたかい肌に触れていたら。



肌で


触覚という感覚で

感じられる「すぐそば感」





それは
見まごうことなく

今ここで
見て触れて
感じている感覚。




そのとき
「分離」のさみしさを
感じることはなくて。





孤独を感じないでいられる。



無意識にでも
それを求めて

人は
セックスをする。








わたしたちは生まれながらに
「さみしさ」を持ち合わせていて

 

 

その上

いまの社会では

「無価値感」を背負わされることも多くて、

 

 

 



それらを
少しでも忘れたいがために

無意識に
たくさんの努力をする。


お金をたくさん稼いだり
美しさを追求したり
たくさんの人と過ごしたり
お酒をいっぱい飲んだり



ふと、

 

「あ、さみしかったんだ・・・」

 

って

 

我に返る時間を
少しでも減らすために

余白を減らす。





本来
わたしたちは


そのままで在るだけで
豊かなはずなのに。


なぜ
こんなに

 

さみしさや
無価値感に

押しつぶされそうになるんだろう。
 

 

 

そして

それらを

 

瞬間的にでも忘れさせてくれる

至福のセックスはある。

 

 

 

 

言ってみれば

 

この世界は

 

いい具合に

織り交ぜられているのかもしれない。

 

そして

非二元の世界へ。