自分でカンタンにできることなのに
ちょっと気にかけるだけで大丈夫なことなのに


(わざと?)
それをしないでいるから

「ほらほら、こうするといいよ」

って

彼に
声をかける。




そうすると

「そうだね(にこっ)」

 

って

それをする。

 

 




「もう、カンタンなことなのにねぇ」


「えへへ」



「未奈がやってくれるとうれしいんだけど」

って言われて
やることもしばしば。






たとば。

彼の部屋のちょっとした片づけとか。
足のつめきりとか。

やろうと思えば
できることなのに

(あえて?)

やらなくて。






わたし
気になって伝えて。



そんなこと、多い。


もー、

わたし
まるで
お母さんみたいじゃーん爆  笑

って思ったりもするけど









彼はわたしに
あえて

「かまってポイント」を作って

それをわたしが
「しょーがないわねー」

って

やってる、のかもしれない。





彼もわたしも
無意識だけど。








以前も書いたけど

ヒトってパズルピースのようで

得意な部分はでっぱってるけど
ニガテな部分は凹ってへっこんでる。







お互い助けあうことを
目的として

生まれてきてるから



どんなヒトでもそう。


完ぺきなカタチだったら
ひとりでできるから

助け合いはいらないし

ヒトとのかかわりは不要になってしまう。









「孤独な気持ち」は
だれでも
生まれながらにもっているもの。

それを
お互い協力して
助け合っていくことで

孤独な気持ちも
溶けていく、

それが生きている糧でもあるんだけど。






わたしたちは


じぶんでがんばるってこと
教育受けてきてしまってるから

なかなか頼れない。
甘えられない。

ついつい
ひとりでがんばっちゃう。




それもあるのかなー。


この、

 

かわいい「かまってちゃん」が
生まれてくる背景。

 

 

 




もうちょっと
いろんなことを


うまく頼れるようになると
人生ラクなのにね、
とも思うんだけど


まずは
こういう

小さな小さなこと。




わざと
やらないで


「かまってもらう」



小さなころから
がんばらなくちゃいけなくて


そうじゃないと
お母さんに認めてもらえなかった
(ちょっぴり思い込みでもあるんだけど)





だからいま、

その


生き直し

なのかもしれないね。





「はいはい、つめ、切るよ。

足は切りづらいよね」


って
彼の足のつめを切る。




あー、

 

わたし自身も
ついつい

いろんなこと自分で

がんばってやってしまうけど

もっともっと
頼らないとなぁって



「おかあさん気質」すぎるのを
省みる機会でもあるんだなぁ。