Hi from Melbourne🇦🇺🐨

 

 

育休中に家族でオーストラリアに移住中の

NLPコーチのMinakoです。

 

 

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今回は私の自己紹介を

したいと思います。

 

 

 

 

 

なぜ突然自己紹介をしよう

と思ったかと言うと

 

 

 

このブログで自己紹介を

した事がなかったこと

 

 

そして、

普段よく更新している

Instagramでも

自己紹介をしたことが

なかったからです笑

 

 

 

そこで、

今回はじめて私の自己紹介を

したいと思います。

 

 

 

今日は私の経歴について紹介するので

よろしければ

ぜひ最後までお付き合いください!

 

 

まずは概略から

 

〜自己紹介の概略〜

新関美奈子と申します。

あと1か月で30歳という節目を迎える29歳です。

 

幼少期にアメリカで3年間過ごして

人生の中で2番目にしんどかった経験をした帰国子女。

 

普段は機械系エンジニアとして企業で働く傍ら、

NLPコーチとして

 

人生やキャリアに迷える

女性のサポートをしています。

 

私生活では、

結婚5年目の夫と0歳の息子と3人暮らし。

 

不妊治療の末、

第一子を授かり2022年に出産。

 

現在は、育休を一年取得しており、

その間に育休移住と称して

オーストラリアはメルボルンに

家族3人で約半年滞在中。

 

 

 

ざっくりとした私の経歴の概略は

こんな感じです。

 

 

 

ここから

詳しく書いていきますね!

 

 

 

1993年1月13日生まれの29歳。

生まれも育ちも栃木県。

最寄りは宇都宮駅だけど、

車で20分の距離の田舎で育つ。

 

 

 

小学生の頃は

学校の行事で司会をしたりして

人前に出て目立つのが好きだった。

 

 

 

小学4年生頃から

ミニバスをはじめて

放課後、週末とクラブ活動漬けの

日々を送っていた。

 

 

 

ポジションはセンターで

なぜか怪我しまくりで

よく手の指を剥離骨折していた笑

 

 

 

3,4回骨折してたと思います。

今思えばなぜあんなに

骨折していたのか本当に謎です笑

 

 

 

もはや骨折のプロ。

回数を重ねていくと

痛みと腫れ具合と皮膚の色とで

これ、骨折したなって

分かるくらいになってました笑

 

 

 

そしてそのまま中学でも

バスケするんだろうな〜と

思っていた矢先、

 

 

 

父のアメリカ駐在が決まり

日本の中学は3か月だけ通って

アメリカに行くことになります。

 

 

アメリカはトータルで

3年間住んでいました。

 

 

 

私たちがいた場所は東海岸にある

バージニア州というところで

 

 

 

ワシントンD.C.まで

車で20分くらいのところに

住んでいました。

 

 

 

私がいた地域では

中学が2年制、高校が4年制で、

中1から高1まで日本人学校ではなく

現地の学校に通っていました。

 

 

 

英語が出来たか?というと

全く分からない状態で行ったので

それはそれは大変な思いをしました。

 

 

 

最初は宿題を書き写してきても

なんて書いてあるか分からない

という状態からスタート。

 

 

 

自分が英語がわからないから

書き写してる事が

正しいかもわからない笑

 

 

 

ただただ必死で書き写してきて

家に帰って母と一緒に

睨めっこするも

 

 

私が間違って書いてきてたりするので

何のことかわからない。

宿題がわからない。

 

 

 

分かったとしても

辞書と睨めっこしながら

家に帰ってきてから夜遅くまで

宿題をやるために格闘していたのを

もう14年ほど経ちますが

今でも覚えています。

 

 

 

学校でも頑張って英語を話しても

周りは理解してくれず

 

 

 

は?何言ってるの?

って感じの態度を取られたりして

私の人生の中で2番目に

しんどい時期を過ごしました。

 

 

 

高校に上がってからは

特に顕著で

 

 

もうアメリカにいたくない!

しんどくて仕方ない!

 

 

 

もう早く日本に帰りたくて仕方ない!

という感じでした。

 

 

 

がしかし、

日本に帰るのはいいけど

高校1年生の途中で帰るので

学校は編入になります。

 

 

 

母がその旨を教育委員会に尋ねると

偏差値がかなり低い高校にしか

入れないと返答が来ました。

 

 

 

当時アメリカで

相当しんどい思いをしながら

英語も日本の勉強も

自分なりに頑張っていた私は

 

 

 

なんでこんなに

大変な思いしてるのに

日本に帰ったら

入れる高校が1つしかないわけ?!

と怒り狂ってました笑

 

 

 

だってこんなに大変で

頑張っているのに

偏差値がかなり低い高校にしか

入れないって

 

 

 

それは報われなさすぎると・・・

 

 

 

結果、色々と運もあって

地元の入りたかった女子校に

編入できることに

なるのでした。

 

 

 

その後日本に帰国し

高校一年生の夏から

その女子高に編入。

 

 

 

途中からでしたが

女子サッカー部に入部して

高校は勉強そっちのけで

部活漬けの生活を送っていました!

 

 

 

サッカーは本当に好きで

上手くなりたいの一心で

朝自主練をしていました。

 

 

 

ポジションは色々経験したち

センターバックという

ディフェンスのポジションでした。

 

 

 

勉強は全然できなくて

テストでは赤点の常習犯。

数学は本当に苦手で

ほぼ毎回赤点…

あと多分国語も...笑

 

 

 

もはや出来なさすぎて

何が赤点だったかも

記憶から抹消されてます笑

 

 

 

英語だけは苦労した甲斐もあって

いつもテスト勉強せず。

英語だけは学年一位を取ったことも✨

(それだけが自慢笑)

 

 

 

高校2年の文理選択のときは

理系を選択して

選択科目は生物を選びました。

(理系は化学はマストで物理か生物ざ選択性)

 

 

 

大学進学にあたっては

理学療法士や作業療法士などの

医療の道もいいな〜

と思ったり

 

 

 

全て英語で授業が行われる

大学がいいな〜

と思ったり

 

 

 

プロダクトデザインという

製品のデアザインをする学科に

興味を持ったり

 

 

 

進学先を決めるにあったては

紆余曲折ありましたが、

 

 

 

父の影響もあって

化粧品メーカーで研究職とかいいな〜

って思ったりもしていて

 

 

 

最終的に化学系の学科を目指すも

本命は全て落ち

滑り止めの学科のみに受かりました笑

 

 

 

浪人する気は

さらさらなかった私は

滑り止めで受かったところに進学して

 

 

 

私立の理系単科大学での

学生生活が始まりました。

 

 

 

ここで私の勝手な勘違いが発動して

私立の理系だったら

女子もまあまあいるでしょ。

と思ってたんですが、

 

 

 

大学初日に教室に入って驚愕。

男しかいない!

 

 

 

110人くらい同期がいたんですが

女子は10人以下。

1割もいないんです。

 

 

 

女子校出身の私からすると

衝撃的すぎて

あ、私の大学生生活終わったな。

って本気で思ったのを今でも覚えています笑

 

 

 

そこからは1学期は

実家と大学の往復を4時間かけて

頑張るものの

 

 

 

親に懇願して

2学期からは一人暮らしを

させてもらいました。

 

 

 

私の学生時代は

サークルには入らず

大学とバイト漬けの生活を

送っていました。

 

 

 

元々大学院進学を

考えていたものの

周りの就活に流されて

一旦就職活動をするものの

 

 

 

商社に興味があって受けるも

全落ち笑

書類の段階で全落ちです笑

 

 

 

そして憧れのあったCAも

書類を書いて出した記憶が...笑

今でもCAさんへの憧れはありますが♡

 

 

 

で、流されて就活するものの

どこにもかすりもせず

 

 

 

うん、これはだめだ。

と思い進学を決めます笑

 

 

 

大学生活が終わるころ

卒業研究と並行して

大学院を受験。

 

 

 

私立は学費が高く

親に出してもらっていたので

流石に大学院まで私立なのは

親に更なる負担をかけるなと思い

国立を目指そう!

と思い国立の大学院を受験します。

 

 

 

最終的には

国立の大学院2つに受かり

 

 

 

これまた

理系の単科大大学院

へと進学しました。

 

 

 

私の学生時代は

本当に授業と

バイトばっかりの日々で

 

 

 

私自身内向型の人間なので

ずっと友達と一緒にいると

疲れてしまうので

 

 

 

クラブに行ったりとか

合コンに行ったりとか

パーっと飲みに行ったりとか

 

 

 

いわゆる大学生の楽しい

学生生活とはかけ離れてました笑

 

 

 

ちょっと憧れはあるけど

私はいいです、遠慮します。

という感じ。

多分行っても楽しめないのです...

 

 

 

そもそも!

リケジョに合コンの話は

全くもってこなかったですね笑

 

 

 

学部生時代のバイトは

コンビニからユニクロ、居酒屋、

パンケーキ屋、結婚式の食事の配膳、

一瞬コンサートスタッフ

と色々やっておりました。

 

 

 

何にお金を使っていたかというと

旅行やエステとかブランド物とか♡

あの頃は楽しかった笑

 

 

 

銀座までチャリを漕いで

よくエステに行ったものです笑

 

 

 

大学院時代は

研究と授業、あとは研究室で

「輪講」といって

 

 

 

論文を読んでまとめて

みんなの前で発表する

というものがありました。

 

 

 

これがかなりハードなんです!

何がハードって

自分がやった研究でもないのに

色々教授や先生方に

突っ込まれて質問されて

それに答えられないといけないので

その研究内容を理解してないと

いけないんです。

 

 

 

自分の発表がある時は

毎回準備が間に合わなくて

決まって前日に研究室に泊まって

準備をしてました笑

 

 

 

研究室に泊まるなんて

本当はしたくないのに

 

 

 

私の研究内容で扱うものが

長時間作業する必要があったので

これまた1人寂しく泊まりがけで

研究していました笑

いつもじゃないですけどね!

 

 

 

大学院時代のバイトは

勉強が忙しかったこともあり

高時給のバイトを探して

 

 

 

家庭教師と

住宅展示場の呼び込みをしてました。

 

 

 

そんな学生生活を送った私は

学生最後の貴重な1か月の休みを

本当は当時まだ彼だった夫と

かなり前から卒業旅行で海外旅行に行こう!

と言っていたにもかかわらず

 

 

 

独断でカナダのトロントに

短期留学に行くことに決めて

夫には事後報告。

びっくりしてました笑

 

image

 

 

当時お金がなかった私は

親にお金を借りて

卒業式前日に帰国すると言う

強行スケジュールでカナダに行ったのでした。

 

 

 

カナダではホームステイをして

語学学校に通って

入社する会社の英語の宿題が

膨大にあったので

それをしながら1か月過ごしました。

 

 

 

これは今でもこのタイミングで

行ってよかったなと本当に思います。

 

 

 

カナダでの勉強の甲斐もあって

TOEICでは初の900点越え!

もはや幻のスコアです笑

(もうそんな点数取れないと思う😂)

 

 

 

 

その後某企業に入社し

機械系エンジニアとして

仕事を始めます。

 

 

 

私は機械系出身ではないので

1から勉強し直すことになりました。

 

 

 

機械系エンジニアと言っても

専門性は色々なので

人によって全然やることは違いますが、

 

 

 

私は音と振動の専門家として

主に試験を実施して解析、評価

を行います。

 

 

 

ほぼ男性のみの職場で

つなぎを着て

両手にスパナなどの工具を持って

ガッツリメカをいじりながら

 

 

 

必要なテストを実施して

テスト結果と睨めっこする

デスク作業もあるので

 

 

 

立ち仕事しかしない日もあれば

ずっと解析をしている週もあったりと

本当にその時によってまちまちです。

 

 

 

そんなこんなで

一生懸命働いていたわけですが、

学生時代から付き合っていた

研究室で出会った彼と

入社2年目で結婚しました。

 

 

 

その後は幸せ〜な人生かと思いきや

結婚したことで

自分のやりたいことが

出来なくなってしまったのでは?

と思ってしまっていて

 

 

 

私の将来これから

お先真っ暗だ...

 

どうしよう....

 

と本気で悩んでいた

時期がありました。

 

 

 

そして同時期の私の悩みとして

将来的に子どもが欲しい

けど転職もしたい

 

 

 

そんな時に

転職してからすぐ

子どもを授かったら

転職先に悪いので

 

 

 

今の会社にいた方がいいよな〜

と思い転職をとどまって

イヤイヤ仕事を続けていたり

 

 

 

そもそも自分に

強みなんてないから

私には転職すらできない

と思っていたり

 

 

 

他人から見たら

輝かしい経歴であろう

有名国立大学院卒、修士号取得

某大企業 技術職として勤務

という経歴で

自分でも努力して

頑張ってきたつもりだったけど

 

 

 

自分に対する自信はゼロ。

 

 

 

他の人からどう見られるか?

他の人からどう思われるか?

がすごく気になって

 

 

 

会社で自分の意見を言えなかったり、

こんなこと言ったら

え?そんなことも知らないの?

え、この子馬鹿なの?

と思われるんじゃないかと

 

 

 

そんなことばっかり思ってて

本当に会議とかで

意見を言えなかったんです。

 

 

 

かなりお悩みを抱えていた

お悩み子ちゃんでした。

 

 

 

そこからその当時は

コーチングのコの字も

知らなかった私が

 

 

 

Instagramで

私の人生を変えるきっかけとなった

コーチに出会い

コーチングという

素晴らしいツールの存在を知ったのでした。

 

 

 

そこから私のコーチ

との出会いもあって

私の暗黒期からも抜け出すことができ

お先真っ暗だった私の将来が

自分の可能性で満ち溢れている

と思えるようになったんです。

 

 

 

そして常に自分には

何かが足りない

足りない

足りない

と思っていた私が

 

 

 

ようやく

I am ENOUGH

なんだ、と。

 

 

 

私って今のままで

十分なんだ。

と気付けたんです。

 

 

 

その当時は

自分が自分のことを

常に足りてない

なんて思ってるとも

思ってなかったと思います。

 

 

 

人生生きてきて

26年目にしてやっとのことでした。

 

 

 

こんなにも未来が真っ暗だと

思っていた状況から

抜け出すことのできる

コーチングって本当にすごい!

と心から思い、

 

 

 

私もコーチングを提供して

私と同じような経験をして

しんどい女性が自分の可能性に

気づけるようなサポートがしたい

NLPコーチングを学び

今に至ります。

 

 

 

もう一つ私の中で

大切な人生での出来事は

妊娠出産です。

 

 

 

私にとっての妊娠は

結構大変なことでした。

 

 

 

このことに関しては

また別の記事で詳しく

書こうと思いますが、

 

 

 

私たちは不妊治療をして

第一子を授かりました。

 

 

 

元々婦人科系疾患が

とても多かった私は

妊娠しづらいかもしれないことは

わかっていました。

 

 

 

私が患っていた婦人科系疾患は

子宮内膜症(チョコレート嚢胞)

→生理痛がめちゃくちゃ重かったんです。

 

多嚢胞生卵巣症候群

→生理不順、きちんと排卵が起きない

 

この2つです。

 

 

 

子宮内膜症は治療して完治していたのですが、

多嚢胞生卵巣の方は体質なので

薬で治すということはできないと

私の通っていた病院では言われました。

 

 

ですが、改善はできるようで

病院によっては治療を

しているところもあるようです。

 

 

 

そんな経緯があって

妊娠しづらいことを知っていた私は

妊活を始めて半年ほどで

授からないね〜

と夫と話をして

 

 

 

ちょっと早いかもしれないけど

不妊治療のクリニックに行ってみて

色々検査してもらおうか!と

クリニックに通い始めました。

 

 

 

そこで、私がやはり

多嚢胞生卵巣症候群であるために

おそらく排卵してないだろう

ということがわかり、

 

 

 

タイミング法や人工授精といった

不妊治療のステップを一気にすっ飛ばして

体外受精をすることになりました。

 

 

 

その時は体外受精をすることに

抵抗はなくて

赤ちゃんを授かれるのであれば

なんでもいい!

 

 

 

と思っていたはずなんですが、

治療を始めていくと

心と体が追いつかず

 

 

 

どうして私は<普通に>

妊娠することができないのか?

と思うようになってしまい

 

 

 

ふとした時に涙が出るよう

になってしまいました。

 

 

 

体の面では

薬が体に合わず

ひどい頭痛と吐き気に襲われて

会社にもいけず

3日ほどベットの上で寝たきりになる

という状況が周期的にやってきて

 

 

 

一度会社の出張と重なってしまい

当日に行けませんと

ドタキャンするという

最悪なことをしてしまいました。

 

 

 

でもどうしても頑張って

どうにかなる状況ではなくて...

 

 

 

行けませんという

連絡をするので

やっとでした。

 

 

 

そんなこともあったのと

病院に急に頻繁に行く

必要があったので

 

 

 

とてもじゃないけど

心の面と体面の負担と

会社への迷惑を考えると

 

 

 

このまま仕事をすることが

しんどくてしょうがなかったんです。

 

 

 

でも私にはどうにもすることができない。

この苦しい状況から抜け出したいけど

どうしたらいいかわからない。

 

 

そんな時にまた

コーチングに助けられたのでした。

 

 

 

その当時

コーチになるためのプログラムを受講していて

コーチング練習をしていて

私がクライアント役になった時に

 

 

 

勇気を出して

このトピックについて話しました。

 

 

 

そうすると

この状況に対して

私には何もできることはない

と思っていたんですが、

 

 

 

あれ、出来ることたくさんある

と気づかせてもらい

 

 

 

ちょうど1年前にできた

不妊治療休職という

無休の制度があるのですが、

 

 

 

この制度を使って

会社を半年休ませて

いただくことにしました。

 

 

 

その当時理解してくださった上司や

負担をかけてしまった

周りの同僚のみなさんへは

私が急に抜けたことで

迷惑をかけてしまいましたが、

本当にみなさんへは感謝しています。

 

 

 

そのおかげもあってか

第一子を授かることができ

 

 

 

今年に入ってから

元気な男の子を出産しました。

 

 

 

 

 

今では可愛くて仕方ない

息子と夫と共に

育休移住として

オーストラリアのメルボルンに

来ていて貴重な毎日を過ごしています。

 

 

 

 

 

長くなりましたが、

以上が私の自己紹介でした!

 

 

 

どうでしたか?

何か共通点や意外なことなど

ありましたか?

 

 

 

これからもパワーアップして

学びをやめずに

常に人として成長していきますので

 

 

 

これからもどうぞ

よろしくお願いします!

 

 

 

それでは、

本日も最後までお読みいただき

ありがとうございました!

 

 

 

Love,

 

Minako

 

 

 

 

 

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