著:今村夏子

 

たとえば何か素敵な出来事があったとしたら、あるいは素敵な物が手に入ったとしたら、誰しも心がときめくだろう。そしてまた、ときめきたいと思うだろう。たとえば整形、たとえばブランド物、たとえばドラッグ。もっと身近な話なら、恋愛?ジャンクフード?
ただ、もう一度ときめきたいだけだったのが、いつしか常套化して、知らず知らずの内に常軌を逸していく。まっすぐに歩いているつもりなのに、俯瞰してみるととんでもない曲線を描いていたり。
 物語は年老いた両親と、資格試験勉強中の、そう若くない娘の家から始まる。ある日父親があひるを連れて帰る。名前は「のりたま」。なんの変哲もないあひるを、家族はかわいがる。やがて近所の子供も見に来るようになり、子供が子供を呼び、家は子供たちの溜まり場のようになる。華やぎの欠けた家に、華やぎが満ちてくる。その華やぎに反比例するように、のりたまの元気がなくなってゆく。そして突然のりたまは「変化」する。元気のないのりたまを父親が病院に預け、数日後に帰ってきたのりたまは、これまでののりたまとは明らかに容貌が違うのだ。それでも父親はそれを「のりたま」なのだと言い切る。のりたまのいなかった数日間は子供たちの足が遠のいていたが、のりたまが戻ってきたことにより、再び家が華やいでくる…。
 ときめきや、期待や、幸福や、刺激は、ずっとは続かない。続かないから、続けたくて、どこかで無理が生じてしまう。無理が生じて、ある日ついに「逸脱」する。逸脱して、まがりくねって、気づいたら迷子になっている。でもそれは程度の差こそあれ、普通なのだ。誰しも、迷子の日常を生きている。迷子の迷子の私たち、私たちの元々いた場所は、満足していたはずの場所は、どこですか?

 

 

あひる あひる
 
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