最近娘が反抗期が酷すぎて、しんどい。
小5の反抗期は、『酷い』と『かわいい』が混ざっている。
これからどんどん『酷い』になるだろう。
母が今の私と同じ41歳の頃。。
私は16歳だった。。。
一番母が大嫌いだったのが小学校高学年~高校2年くらいまでだ。
本当に大嫌いだった。
おかしいな、、小3小4くらいまでは母にべったりしていた記憶もあるのに…。記憶は塗り替えられるのよ。
一個下の弟ばかりを特別扱いし、上二人には冷たかった。
でも、母になるとわかる。
女同士は特に。
男の子は単純で可愛かったんだろう。
でも姉弟格差は悟られてはいかんよ。
社会人になってもずーっと母がトラウマだった。
離れて住んでいても、母との記憶がフラッシュバックしてきて、、苦しんだ。
あれから20年以上経って今。
母は、、
私にとっての味方である。
きっと。
18歳で家を出て、23年離れて暮らして、ようやく、、、ちょうど良い距離を保てるようになったのだ。
今反抗期の娘と、あともしも7年しか一緒に住めないとなったら?
ずっと近くにいると思っていた娘に高3になって急に『来年家を出るから』と言われたら?
きっと親としては見方が変わるんだろう。
家を出ると言うことは、よほどの事がない限り、戻っては来ない。
一生一緒には住まない。ということかもしれないのだ。
私は高2で停学になって、人生考え直したとき、進学を決めた。
東京に行く。
そう伝えたときの記憶は、、、
あまりないけど、
それから母親が優しくなった。
姉が3つ年上で、
1年地元で就職して、、その時私は高1で、
私が高2の時に姉が上京した。そこから私は荒れていた。家で唯一の味方だった姉がいなくなったからだ。見捨てられたような気持ちにもなっていた。
私も上京には抵抗がなかった。
母は複雑だっただろう。
地元で就職した長女が、上京資金を貯めていただけで、さっさと上京してしまい、
その年に次女までも『東京の学校に行く』と言い出したのだから。
娘達が次々と。。
そして残った溺愛息子は酷い反抗期になり、そのまま高校卒業後8年ニート。
地獄の生活だったよ。実家はね。
私と姉は、東京を楽しんでいたんだ。やっと解放されて自由になれて。
それからたくさんの人と出会って、嫌なことをたくさん経験し、、結婚して子供ができ、
やはり母親は唯一無二の存在である。
それは、、
自分を苦しめる存在でもあり、
自分を救ってくれる存在でもある。
父にはないものがあるのが母だ。
きっと娘にとって私も、
苦しめる存在でもあり、助ける存在でもあるのだろう。
嫌いと好きは同じである。
大嫌いは大好きにもなる。
大好きは大嫌いにもなる。
だけど、そこまでの感情にさせる人間はなかなかいないんだ。