それで社交不安障害になった。
パニック障害ではなく、社交不安障害によるパニックがあったのだ。
(こんなに緊張して不安なのは自分だけなんだ🌀)と、魔にループに入り込んでしまう。
だけどどこの前の結婚式で、、
新郎側の親も友達も。
新婦側の親戚も。
みんなガッチガチに緊張しちゃってて、話は飛んじゃって全員カンペ見始めるし(最初から見ていいと思うんだけど)、カンペを持つ手はガクガク震えてるし、、、。
新郎の親は普段しゃべりが上手なお調子者なんだけど、それでもかなり緊張してカミカミになっていた。
みんな、緊張しながらも笑顔で頑張っていた。
みんな。緊張するし、みんなそれでも頑張っているんだ。
ガッチガチに緊張している人を見て、私は勇気を貰えた。
(そっか、、、、誰でも緊張するし、緊張してもいいんだ、、、)って。
今までは私が緊張する立場で、そんなにガチガチになってしまった場合は、後でトラウマになってしまうんだ。
(カミカミになってしまった🌀)
(緊張して頭が真っ白になってしまった🌀)
(もうダメだ🌀)
そうなってしまう。
そんなときに
『大丈夫だよ❗』なんて言われようもんなら、
(私の気持ちなんて一切わかってない💢)と思っていた。
逆の立場で見ていて、
『大丈夫だよ』と言う人の気持ちがわかった。。。
それは、、見ている方が緊張していないからなんだと思う。
緊張している人を見ても
(緊張しているんだな)と思うだけ。
(緊張して噛んじゃったんだな…頑張って!)
と。
応援したくなってしまう。
声を震わせながら一生懸命話す人を見て、
それでも頑張って話している姿は、
恥ずかしいものでもなんでもなく、一生懸命に頑張っている姿に感動するくらいだ。
これだけ感じ方が違うものなのか。。。と。
最近になって何かが見えた気がした。
緊張することは
本人は【恥ずかしいこと】【気付かれたくないこと】
と考えがちだけど。
見ている人からは
【緊張しながらも一生懸命に頑張っている人】
と感じるんだな。。。と。
だから。
【緊張すること】
は、見ている誰かに勇気を与えている場合もある。
と、わかったんだよ。
【緊張】は、誰でもするし、
【緊張】は、していいんだ。
ってことを最近考えていて、なんとなく気付いたこと。