この夏は、4年ぶりの実家5日間と、4年ぶりの義実家5日間と、ずいぶん休んだ。
というか、、、
『田舎』というのは、原点に帰る気分なんだ。
最近私は疲れていた。
ホルモンバランスによるイライラ。落ち込み。めまい。娘の反抗期。ママ友。娘の友達。仕事。
なんだか全てに疲れていた。
疲れていると、全てが嫌になって、立ち止まりたくなるんだ。
宇多田ヒカルのファイナルディスタンスが心に染みる~🎵
そして将来には不安と絶望しか持てなくなるんだ。
そんなときはきっと、、
悪いものにとり憑かれているのさ。
とり憑かれている人と、
とり憑かれていない人の違いは、
見ればわかるそうだ。
『空』を見上げる人はとり憑かれていない人。
悪いものに憑かれている時は、下ばかり見ていたり、、スマホの画面ばかり見ていたり、、
空なんて見ないのだ。
私は空が好きだけど、そう言えばここずっと、、、空を眺めていなかった。
先が見えなくて、
立ち止まっていた。
将来が不安で、
将来はとても明るく思えなかった。
だけど、、、
実家と義実家に帰って気付いた。
将来が不安なのは、親や義両親の方だった。
あからさまに。
感じた。
父の。
母の。
お義母さんの。
お義父さんの。
4人の不安な気持ち。
なんで、、、
なんで私は自分の事しか見えていなかったのだろうか。
4年間も。
親達にとっての4年間は、、ずいぶんと時間が経っていた。
私の何倍も。
時間が経っていて、、、
不安も、私の比ではなくて。
私が励ましてあげなきゃと思うくらいに。。。
どんなに暗く落ち込んでいても。
人というのは、自分よりも落ち込んでいる人を見ると、励ましたくなるものなのか?
それは、『人の不幸は甘い密』と同じで、
自分よりも不幸な人を見ると応援したくなってしまう。?ちょっと違うかもだけど。
まぁ、そんな感じさ。
とにかく、
自分の考えが、ちっぽけに感じたのさ。
親達70代は、、いつ死んでもおかしくない年齢なのだ。
この気持ちを理解することは、なかなか難しい。
私が今70代だったら、、
不安でしかない。
いつ認知症になるか。
いつ骨折するか。
いつ脳梗塞になるか。
いつ心筋梗塞になるか。
いつ癌になるか。
いつ、、、、限りない不安。
将来寝たきりにならないだろうか?
将来老人ホーム生活なんだろうか?
将来オムツを付けるんだろうか?
将来独り暮らしなんだろうか?
考え出したらキリがないのさ。
そして、
それを考えたところで、【現実】は一つでしかなくて。
変えることもできない。
だから、考えても無駄で。
考えても意味がないのだ。
【不安】は、進化した人間が感じるものであって、【不安】を感じない人間は昔のDNAの人間なのだ。
一応、【不安】は、人間が長く生き延びるために進化した気持ちなのだろう。
自分が不安に感じたら、、、
他人に目を向けてみるといいかもしれないね。
自分の事ばかり考えていると、負のループに入ってしまうのかもね。