家族が心の病になってしまったというお話ブログ。
ここ数年で一番泣いた。
泣くといってもいろんな泣きがある。
これは本当に読んでいて辛かった。
でも、気持ちはよくわかった。
それは、家族全員の。
だから苦しい悲しみなんだろう。
わたしは結婚して子供ができるまで10年くらい鬱だったから、よくわかる。
誰も理解してくれないという絶望的な気持ちや、
親身になってもらえても、些細なことに過敏になって信用もできず、親身になってもらえばもらうほど些細なことで不信感が強くなり、悪化し、それが悲劇のヒロインだとも言われる原因でもある。
それでも頑張ろうと思う気持ちや、、
やっぱりうまくいかないジレンマや、
周りには気付かれないように振る舞わなければ、と、周囲の反応にも過敏になり、
やっとの思いで打ち明けても、軽く受け取られたときの絶望感、
他人からの無意識のプレッシャーや、
それに対する苛立ち、悲しみ、絶望感、
それでもどうしても譲れない、大切にしたいと思うものがあったり、
大切な人がいるからこその苦しみ、逃げ場がどこにもない。
苦しみから解放されたくても、方法がない、大切な人たちは悲しませたくない
いっそのこと大切な人たちから、私の記憶を消して、それから消えたいと、
だけどそんな状況に追い込まれた原因の1つは、大切な存在の一人でもある母であったこと。
母がわたしを逃がしてくれなかった。
だから10年苦しんだ。
でも、恨んではいない。
そーんな闇の時代を思い出すので、本当はそういう話題には触れたくないんだけど、その人の苦しみが、いつか私のように、解放される事を願うしかできない。
こんな闇を抱えている人はきっとよほど暗い人なんだろう。。と思ったら大間違い。意外と、テンションが高かったり、楽しそうに見えることが多いと思う。それは、そこまでしないと精神を保てなかったり、他人には気づかれまいと思う気持ちがそうさせていることもある。
たぶん、誰でも(あのときこうしていればこうはならなかった?)とか(あっちを選べばよかった)とか(あの人のせいでこうなった)とか、おもうかもしれないけど。
全てが偶然ではなくて必然であって、必ず起こることだったと、わたしは思っている。過去は通りすぎたもので、変えることはできない。ただし教訓にはなるよね。でも、次からのであって、一度起こった過去はもう変えれない。
その人も、たらればではなく、次への教訓として過去を冷静に分析したんだと思う。
(あのときどうしていたら、こうならなかっただろうか)
まるで息のできない宇宙の中でたった一人で迷子になっているような感覚だった。左右も上下も前後もわからない。息もできないのに死にもしない。出口もまったく見つからない。まさに生き地獄。
おかしいな。周りにはこんなに人がいるのに。どうして一人で宇宙の中をさ迷い続けているんだろうか。息もできない。
そんな気分だった。
毎日自暴自棄。
どうにでもなってしまえと、思っていた。
男と女では元々考え方が違うので、それにプラスで病気があったら、より一層難しくなるね。
私の場合、旦那とは結婚する前で、まっっったく私の気持ちをかけらも理解してくれなかった。
だけどそれが相手(旦那)を疲れさせることにもつながらなかった。
だから、相手は関係なく、苦しいのは自分だけだった。
それはそれで辛いけど。
昔5年付き合ってた彼氏は、気持ちを理解してくれる人ではあったが、そういう人はやっぱりズルズル影響され、闇に引きずりこんでしまうらしい。最終的には疲れさせてしまい、ストレスをぶつけられ、全否定され、浮気されて別れた。(その後は友達に戻った)
こんなことを考えながらも、ふと思ったのは
私の親友は鬱だな。
ってこと。
例え私が親友の気持ちがわかったとしても、私は馴れ馴れしく親友に踏み込んではいかないようにしている。
例え親友でも、簡単に土足で入ってきてもらいたくない部分で、自身と葛藤しているんだ。
他人に頼って、あっさり宇宙からでれるほどであれば、それはただの悩みでしかない。
親友がそこまでしてくれても治らない、、なんて、絶望感を与えるだけだ。
だからわたしは、離れたところで見守っている。ときどき様子を伺うよ。
心には時間が必要な場合もあるし
環境の変化が必要な場合もあるし
とにかく、本人のペースが大事。
わたしは親友のペースを乱さないように、ときどき様子を伺うよ。
あの頃の自分を思い出して(病んでるときの)
身近な人(病を知っている人)にしてもらいたいこと、してほしくないことを思い出してみた。
【その人の事を常に気にかけておいてほしい。】
→自分の事を想ってくれている人がいると思うだけで、踏みとどまれる。少しでも気にかけられてないと思うと孤独感、孤立感が増す。その人に対して不信感も増す。
すべての人に気にかけてもらわなくなりたいとも思うがそれはこの世から消えたいという理由なので、それだけは危ない。
【ズカズカと根掘り葉掘り聞きに来たり心に入ってきてほしくない。】
→まず、答えることがしんどい。そう簡単に答えられることではない。すべて答えたのに、何も変わらなかったらただしんどかっただけ。無意味。絶望に変わる。
【見て見ぬふりも苦しい】
→どう気を使っていいのかわからなくて困り、見て見ぬふりをするのだろうが、どうせみんなそうなんだろう。困ってるんだろう?引いてるんだろう?と、どんどんネガティブになる
【過剰に優しくされる】
→腫れ物扱いされているようで、その優しさに応じることのできない自分に苛立つ。劣等感が出てくる。
【イライラされる】
→やっぱり自分が原因で、周りに迷惑をかけていると絶望。苛立ちが増す。自己嫌悪に陥る。
【期待しないでほしい】
→治ってほしいと願わないでほしい。それがプレッシャーである。
【気にしすぎだよ!大丈夫だよ!は禁句】
→この言葉ほど絶望的な言葉はない。
こう言われたことで、まるで自分の気持ちは全く理解されないんだなと、闇の世界に突き落とされる取り残される感覚に陥る。
大丈夫じゃないからこうなってしまったのに、大丈夫だよと言われてしまったら、もうどうすることもできない。
【テンションを上げようとしてくる人】
→とにかくKYでしかない。迷惑。
【全て受け入れてほしい。否定しないでほしい】
→「いや、それは間違ってるよ。」と言いたくなることもあるかもしれないけど、言わないでほしい。そんなことはわかっているけどそうなってしまっているのだから、それを否定されたら逃げ場がない。追い詰められているのと同じ。理解してほしいわけではない。理解しなくてもいいから、受け入れてほしい。否定しないでほしい。
環境を180度変える勇気があったら、宇宙から抜け出すきっかけになるんじゃないかな?と思う。
親友の誕生日まであと数日。
誕生日になったらノックしに行くよ🚪💕