私の反抗期と更正と家族の確執 | 育児&趣味やら仕事やらブログ

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公立中1娘、仕事、ハンドメイドなどなどの日常

薬を飲み忘れたので全然眠れません

明日は休みだからいいんだけど。。。


私は姉と弟の3人兄弟の真ん中。


姉は3つ上。弟は約2歳離れてるけど学年は1個下



わたしは20歳頃まで、突然ものすごく悲しくなって涙が止まらないことが多かった。


トラウマっていうのかな?



ある光景が頭に焼き付いて離れず、パニックになって悲しくて苦しくてしょうがなくなる。そんな日の次の日は目がおいわさんの様に腫れて、学校を休むこともあった。

働きはじめてもあった。

メイクで誤魔化したがみんなにはバレバレだった。


どうしたの?と聞かれても、どうにも答えられなかった。


わたしは、母親に、嫌われているとずっと思ってた。


むしろ今でさえ思ってる。

あの頃は本当に嫌われていたんじゃないかって。


わたしは 1個下に弟がいて、いつも邪魔に思っていた。

いつもいつも邪魔をする。ちょっかい出してきて、私からお母さんを奪う。


本当に嫌いだった。


お母さんはお父さんの会社で働いていて、忙しい人だった。独立したばかりだったから。。



小学生の頃、お母さんは私に言った。

「おじいちゃんがね(母親方の)、二番目こそは男の子だ!っていっててね、あんたが産まれたとき、また女か!ってがっかりしてたんだわ!」

と。



今思い出しても涙が出る。


そう言ったおじいちゃんも、その日から苦手になった。

そう言ったお母さんにもショックだった。

言わないでほしかった。

知りたくなかった。

いつも冷たくて、弟を溺愛してて、わたしとの時間なんてほとんどなかった。

ヒステリーだった。
それでも。。。


二人の時間ができたときはうれしくって、覚えてる。


5分くらい宿題を見てくれたこと(私が見て!と言った)

一緒に寝転がって背中をトントンしてくれたこと。



弟が産まれてすぐに、私と姉は、隣の部屋の二段ベッドに寝かされた。


一緒に寝たかった。


弟だけはずっと両親と一緒に、、鍵のかかった部屋で寝ていた。


姉は5歳6歳くらいだったので、何も気にしていなかった。きっと姉は、3年間両親を独り占めできて、精神的に安定していたんだろう。。。  


わたしは、自分が精神的に不安定なのは母親のせいだと思っている。


寂しさを埋めるために、ぬいぐるみや物で周りを固めていった。物に囲まれていると安心した。でも、それがさらに怒られる原因にもなり、「こじき!」「馬屋みたいだな!」「しょったれ!(だらしない)」常に言われていた。

捨てられない女になってしまったのも母親のせいだと思っている。(今は大丈夫)

小学校のころ「顔が産毛だらけだから剃ってやる!」と言われ、無理矢理お風呂場で剃られたことがあった。でも、吹き出物も切られ、顔から血が出てきた。「痛い!血が出たよ!」と言ったら、母親が、「知らないわ!大丈夫だわそんなの!」と、逆ギレして出ていった。

すごく悲しかった。顔には今でも痕が残っている。一生忘れない。

「あぁ、母親も人間なんだな」

そう思った瞬間何かが崩れたんだ。

もう、母親に執着することをやめた。

気づいたんだ。


そして恨むようになった。

小学校5年生の頃。(早くこの家から出たい)と思った。

あと7年間我慢すれば、この家から解放される。そう思った日からカウントダウンしてた。

姉は私をすごくかわいがってくれた。お人形さんのようにかわいがってくれた。嬉しかった。姉だけは、弟に取られたくなくて、弟に意地悪した。

姉は都会に憧れていて、高校卒業してすぐに東京へ行ってしまった。。。


私は置いていかれた気がした。

中学で非行に走った。

中一で髪の毛を染めて、中二にピアスをあけ、タバコを吸い、中三にはピアスは三つになっていた。



でも、両親はなんにも言わなかった。

高校に入ると彼氏ができて、学校はほぼ遅刻欠席。彼氏とばっかりの生活。

夜中に抜け出して原付でみんなで遊んだり、お酒を飲んで遊んでばっかりいた。

高校生になって初めてお父さんに叱られた。
それは彼氏を部屋に入れたときのことだった。
雷が落ちたように叱られた。


なぜか、姉も叱られた。


「お前が遊んでばっかりいるから真似するんだ!」


そう、姉も高校の頃はこんな感じだった。


私は10年後にそれを知った。姉が父親に叱られたこと。私のせいなのに、ごめんね。姉はその事がショックだったんだろう。。。


父親は。。。わたしのことが好きだったんだ。



自分でもわかる。




ずっと見守っていてくれたのに、わたしは母親しか見てなくて、反抗ばかりしてた。

父親は。寡黙だった。



高校二年の秋、たばこが見つかって停学した。

家で自習していないといけなくて、親が家にいなきゃいけないのに、わたし一人で家にいた。ピアノを弾いていた。。


そのとき体育科の嫌いな先生二人が来た。

「両親は?」「いません」「まぁいい。お前の部屋はどこだ?」

わたしの部屋に行った。


部屋中じろじろ見渡し気持ち悪かった。

「なんだこの部屋は。勉強するきあんのか?」

さんざん罵倒された。



わたしはもう高校を辞めようと思った。





学校から父親とわたしが校長室に呼び出された。




そのとき初めて父親に申し訳ないと思った。


校長にも「反省の色がない」と父親の前で言われ、地獄のようだった。



夕飯のとき、わたしは階段をかけ下りて、大声で言った。


そこにいたのは弟。母親。父親。


「もう学校やめる!!!」




みんなびっくりしていた。




わたしは泣いていた。




母親は動揺してた。



「どうしたの?なにがあったの?」


話を聞いてくれた。


「お母さんが担任の先生に話すから」


お父さんも、わたしの味方をしてくれた。






初めて、両親に振り向いてもらえた気がした。



退学せず、わたしは更正できた。



高校2年の終わり。



初めて家を出たいと思ってから6年。あと1年てところで、、、、。




母親と仲良くなった。




1年間だけ。親孝行できた気がする。


ちょうどそのころ弟が高校1年になり、荒れていたんだ。




溺愛してた弟が反抗期に入り、母親がやっとこっちをむいてくれたのはわかってはいたけど、やっぱり嬉しかったんだ。


なんでもっと早く。。。仲良くなれなかったんだろうか。。。



高校を卒業して、わたしは上京した。



あんなに出たかった家を出て、ある日気づいた。(もう一生親と暮らすことはないんだな。。。)って。





弟は高校を卒業してから8年間ニートになり、母親はわたしと姉を頼るようになった。

ガスパンていう遊びで頭がおかしくなっていた。母親も精神的におかしくなっていた。



今はやっとニートを抜け出して2年。

今年結婚した。



ニートのときに父親と殴りあいの喧嘩をした弟は言った。


「俺だってさみしかったんだよ!!」


やっとすべて終わった。


今はみんな幸せになった。


でも、わたしは子供に寂しい思いはさせたくないって強く思う。