昨日佐村河内さん事件の続き。
昨日の記者会見以降、いろいろな人がいろいろなことを言っているのを読んだけれど、
いまひとつ、ピンとこないのばっかりだなぁ・・・。
今朝の日経新聞の「春秋」のコラム。
雑誌記者時代の横溝正史が江戸川乱歩の代作を書いたエピソードを引きあいに出し、
今回の事件はそれとはまるで違う、といい、
被災した人たちを裏切った2人の音楽家の罪は重い、という。
メディアの責任についての言及は一切なし。
その書き方に、
自分たちメディアがその罪の一端を担っていた、という自覚がまったくないのには、心底あきれた。
バッシングにあっているのは、Nスペ等で扱ったNHKや、大々的に取材を行ってきた朝日新聞だが、
日経だって、広告記事出しているじゃないか。
騙されたのは、大新聞の自分たちじゃないか。
私たちも騙されていました、って、なんで考えないんだろ?
自分たちだって、メディアの一員として、日々過ちを犯すことがある、という覚悟を持つべきであると思うのに、
そんな意識はゼロなのだろう。
善良な庶民を欺いた悪者は許せない、という上から目線の書きっぷり。
あのね。
善良な庶民は、騙されてませんて。
ふつうの庶民はクラシックなんて聴かないから。
日本人のほとんどは騙されてないよ。クラシックおんちのウチのダンナみたいに。
それに、本物のクラシックファンなら、全聾だろうが、被爆二世だろうが、そんなことで
音楽を評価したりはしない。
だから、騙されたのは、私みたいな、
ちょっと高尚なものにコンプレックスのある奴くらいでしょ。
今回
騙された真のターゲットは、
善良な、お涙頂戴に弱い庶民じゃなくて、
「これで売ろう!」と
そういう物語に飛びつくメディアのほうだったんです。
こないだの高校サッカーでも(いきなり話飛びますが)、
見てると、「○○選手の亡くなったお母さんは……」みたいな話がさかんにされてました。
聞けば、
事前に、「誰か選手関係者で亡くなった方とかいませんか?」みたいなサイドストーリー用取材をさんざんするらしい。
涙のお話づくり。
でも、
はっきりいって、その手の話に、私たちはもうみんなウンザリしているんです!
「お涙頂戴はいいよ、プレーのこと言えよ、プレーのことを!」って。
そんなこと、もはや誰も求めていないよ、って思う。
文春にのっていた記事は、よい記事だった。
自らも「共犯者」である、と書き、書き手に、自らの責任を引き受ける覚悟があった。しかも、
今回の事件にかかわった人への気遣いにあふれた記事だった。
事実を知ったのは12月8日だというから、長い時間をかけて練られた記事なのだろう。
書き手のノンフィクション作家の神山さんが、本当に音楽が好きな方なのだな、と思った。
「楽曲に罪はない」。
ホント、そう思う。