「お義母さんが倒れたのは、もう7年前のことだけど――」
義妹がそう言ったのは、七回忌の法要の準備をしていたときだった。
その表情には、懐かしさだけでなく、少しの悔いが混ざっていた。
あの日、義母は実家の玄関で倒れていた。
たまたま近所の方が訪ねてくれなかったら、発見がもっと遅れていたかもしれない。
「…私、後悔したのよ。なんでもっと早く気づけなかったんだろうって」
今でも義妹はそうこぼす。
義母は、普段から「大丈夫、大丈夫」が口ぐせ。
ちょっと体調が悪くても、人に頼らず、何とかやり過ごしてしまうタイプだった。
だからこそ、倒れたときには、すでに症状が進んでいた。
そして――
予想どおり、うちの男性陣はまったく役に立たなかった。
夫は固まり、義父は「どうしたらええんや…」と繰り返すばかり。
悪気はない。
むしろ気持ちだけは前に出ているのに、肝心の“行動”が何も伴わない。
こういう時、誰が動くのかは、だいたい決まっているのだと実感した。
私たちはすぐに駆けつけることもできず、
結局、冷静に動けたのは義妹だった。
病院への付き添い、入院手続き、介護保険の申請など、右も左もわからないなかで奔走してくれた彼女には、本当に感謝している。
義母の住む町は、私たちの住まいからは飛行機で数時間の距離にある地方の町。
距離のもどかしさ、情報のなさ、頼れなさ――
いろんな感情が、後からじわじわ押し寄せてきた。
今振り返ってみれば、あれが「家族の介護が始まった瞬間」だったのだと思う。
📝 FP視点でひとこと
介護のはじまりは、本当に突然やってきます。
「いよいよ介護が必要になりました」と、知らせてくれる人はいません。
だからこそ、元気なうちから
・近くの親族
・かかりつけ医
・万が一の時の連絡先や保険証の保管場所
・地域包括支援センターの連絡先
こうした“最低限の情報”を家族で共有しておくことが大切です。
「まだ早い」ではなく、「元気なうちから」
それが、これからの介護を軽やかにする第一歩です。
(医療・介護編】
➀俺のメガネはどこ行った?親の老いに気づく瞬間
➁え、再検査?健康診断の通知が届いた日
③この家、私がいないと止まるよね
1970年生まれ。神奈川県川崎市在住。
「お金に向きあうことで、これからの人生に安心を」
そんな思いを込めて、日々ブログを更新中。




