minacon のんびり子育て中

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幸せだけど、どこかゆらゆらな日々。どんな環境であれ、自分探しの旅は一生続きますね。その中で、娘のせれすけどん(2歳)との愉快な日々を綴ってます。

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地震発生から、4日目・・・。


目を覆いたくなるような報道が続いているけれど、実際、報道の数百倍、むごい光景がひろがっているかと思うと胸がしめつけられます。。。


今、私が住む東京都神奈川の県境近くのスーパーは、どこもかしこも、物はなく、半分暴動状態・・。


外では、消防車や救急車のサイレン音が鳴り響いてます。


余震もまだ続いており、テレビで、「緊急地震速報」と赤字で流れるたび、娘を抱えて部屋の真ん中にいってるけれど、避難所で揺れを感じている人は、本当に恐怖だと思う。。


とりあえず、今日は停電もなかったけれど、被災地を思うと、いくらでも・・。でも、病院や自宅療養の方にとっては、停電は命の危険にさらされるんでしょうね。。。


地震当日は、娘と5駅ほど離れたところに、電車でぶらぶらお散歩にでかけてました。

いつもは、近所の土手をぶらぶら2時間ほど歩いたりするけれど、なぜかその日は、電車でいこう!ということになって、たまプラーザの無印良品にいたときに、急に電気が消え、バリバリという音がし、おおきな揺れが。

あわてて、娘を抱きかかえて、外に走り、中庭みたいな場所で座り込んでいたら、約5分後、またおおきな揺れ。全く立ってられなかったです。


その後は、3時間ほど、その場で待機し、あまりの寒さに、暖かい場所を求めて移動。その際、娘がトイレ!というので、連れていったら、長蛇の列。もちろん、断水で、汚物の山でした。。。


その後、東急デパートが開放されていると聞き、自家発電でそこだけ停電もなかったので、待機させてもらいました。いすとお茶を出してもらって、涙。娘は私にしがみついていたけれど、徐々に笑顔が。


携帯がつながらず、家族の安否がまったくわからなかったけど、やっとメールだけつながり、千葉に住む両親の無事を確認。オーブントースターが飛んできたらしい・・・。


弟は、府中の取引先で足止め、結局一泊して、翌朝、電車で帰れるところまで帰り、残りは2時間ほど歩いて帰宅。


うちの主人は、広尾の事務所に一人いたらしいけど、ぼろぼろのビルのため、ドアが開かず、揺れの中、足で蹴破ったそう。。。、その際、おおきな鏡が落下し、割れたけれど、本人は怪我なし。ただ、阪神大震災の経験者だけに、相当な恐怖だったらしいです。


私とせれんは、電車も動かないし、私だけなら、歩いてでも帰るけど、寒い中、せれんを歩かせることも、15キロを抱っこすることもできず、そのまま動けず。


こりゃ一泊かなぁと思っていたら、、、、なんと、なんと、知り合いが探しにきてくれた。

たまたま、朝、散歩にでるので、良かったらお茶でも、と知り合いに連絡しておいたけれど、ここ数年、体調を崩していた友人は、またの機会にということで会えなかったのに、地震後、「どこにいるのか?」とメールをくれ、「東急にいて、暖かいし、お茶もあるし、大丈夫」とだけ返事をしていたら、来てくれた。信号も、ついていない道路を車を飛ばしてご主人と。見るからに、体調も悪そうなのに、もう、感謝の仕様がないくらい、ありがたかったです。


そんなこんなで、無事帰宅。娘に風邪を引かすこともなく、本当に本当にありがたかった。


でもでも、、、、被災地の状況を思うと、、、、

宮城でも、死者は数万人になるだろうといわれてます。何もできない憤りと、家族が無事で良かったという自分本位な思いに、なんとなくムカムカしている日々です。


どうか、今助けを待っている人たちが、無事救助されますように。救助活動をしている人たちが、体調を崩しませんように。


22年前(!)、


初めて日本を出た。短大時代、ケーキやさんでバイトして貯めたお金で、


1ヵ月半、アメリカへ。


行き先は、サンフランシスコのロスオルトスという


信号もあまりないような街。


英文科のくせに、あまり英語がしゃべれないとか、人とのコミュニケーションが実は苦手だとか、いろんなコンプレックスを抱えながら、映画でしかみたことのない国へ旅立った日のことは、本当に忘れられない。



そこで、であってMちゃん(現在、大阪にて活躍中の美人弁護士!)、一緒に行ったTちゃん(現在、旦那様の年収を抜くほどのバリバリキャリアウーマン、一児の母)と、久しぶりに新横浜で食事をした。


大阪から、そして品川から、時間がないため、新幹線でかけつけてくれ、Tちゃんは保育園のお迎えが9時なので、本当に、あわただしい食事だったけれど、嬉しかったーーーー。


学生だった私たちが、家庭をもち、仕事を持ち、(私だけらくちんな仕事だけど)、それぞれの悩みをかかえ、一生懸命生きていることが何よりも嬉しい。


二人とも、きらきらしていて、私も、負けていられないぞーーと、元気をたくさんもらった1時間。


車&子連れだったので、お酒が飲めかったのが残念ですが、Mちゃんとは、その夜、自宅で乾杯。


年に一度は、集まりたいなぁ。そして、今度はゆっくりと。



思えば、その初めてのアメリカ以来、一人で、ニューヨークに行ったり、カナダ、マレーシア、シアトル、ニューオーリンズに弾丸旅行したり、のんびりとMちゃんとプーケットや、イタリアに行ったりしたけれど、結婚して、子供を産んでからは、全く冒険をしていない。


一人旅をすると、特に、怖い思いもするので、身体全体がピリピリと刺激を受ける。


最近、お受験とか、嫁ぎ先の危機とか、いろんなことを経験したけれど、自分自身の冒険という意味では、ぬるま湯に浸かっている気が。


それはそれで、とても恵まれていて、幸せなんだけれども、どこかで、このままじゃいけないという焦りもあり・・・・


でも、きっと、このままなんだろうなぁ、ずっと。


我が愛しのせれすけどん


とうとう七五三参りを終えました。




姫路からおばあちゃん、千葉からおじいちゃん、おばあちゃんが


かけつけてくれて、


皆で明治神宮へ。



朝一番の祈祷だったので、


早起きで大変だったけど


とても気持ちよかった。




せれすけどんの着物姿に


パパのテンションはアップアップ


お参りを終え、写真撮影後の食事会では、


アタマはかんざし、あとはパンツ一丁でおどける娘に


全員爆笑にひひ


終始、なごやかなお参りとなり、感謝。




我が家は両家両親が非常に仲が良く、


毎年、一緒に温泉に行ったり、親同士が電話をちょくちょくしあってたり、


嫁としてこれ以上の幸せはないと思うラブラブ!


夫婦離婚危機のときも、


義母は、「あはは~音譜だいじょーぶやチョキ」と笑いとばしてくれた。




今回も、伊豆に一泊旅行。


父が大好きな成川美術館から見る富士山は


うっすらとしか見えなかったけれど


とても思い出深いものに。




子供が健康で生きているなんて


本当に奇跡だと思う。




そろそろ口も達者で


負かされることも多々あるけれど


どうかこれからも心身共に元気で


素敵な人に出会い


笑顔あふれる人生をおくってね。




そして、たくさんの人に愛情を注がれて育っていることに


感謝できる子になってね。





今回、2年前に亡くなった義父が選んでくれた着物を


せれすけどんと私で着た。




年に2回ほど着物を着る機会があるが、


毎回、着付けをしてもらうたびに涙が出る。

(って呉服屋の嫁が、未だ着物が着れないあせる




実はまだ、袖を通しておらず、また見たことのない大島紬を


用意してもらっている。これも義父が私に似合うといって、選んでくれたらしい。


着物の展示会用に用意してもらった着物だけれど


展示会直前に妊娠がわかり、手伝い断念。




あれから、留袖や訪問着は着る機会があったけれど


普段着物を着ることはないので、私は見たことがない。




義父が生きている間に、選んでくれた最後の贈り物。


いつ袖を通す日がくるのかな。





今月は、三回忌で週末より姫路へ。


七五三で満面の笑顔だった義母。


あまりにも急に逝ってしまった義父への思いを


まだまだ断ち切れず、


部屋もそのままに哀しみにくれる姿を


法事で見るのは、正直辛いです・・・。


娘の無邪気さだけが、救いだ・・。



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