オリンピックで多様性といわれてましたが、一体何か?

オーストラリアの場合

多様性とゆう言葉が、言語と文化が多様なコミュニティとゆう言葉として

使われます。差別用語にならないように、使われていて、

英語をしゃべらない最近の移民でキリスト教以外の人たちについて、語る時に使われます。

 

その方たちが、コロナについての公衆衛生、ワクチン、行動の規制について、理解が乏しく、

デルタ株がその地域ではやってきてます。シドニー西部であって、そこの街並みを見る限り、

一般におもわれている

白人オーストラリア人の姿は見えません。

お店の看板を見ると、多様性が見えてきます。

そして仕事は老人の介護とか、デリバリー、お店の清掃など、家でやれない仕事であって、

家族でコロナが疑われても、検査に行きたくない。

働けないとお金が入らない。そうゆう状況で

コロナが広まる様子です。

 

さらに、毎日変わる規制が英語で説明されているために、わからない。

どうしても、コロナの規制が守りにくて、感染してしまう。

 

さらに、コミュニティで使われている言語をできるオーストラリア人が少ないので、

人材が足りなくて、公衆衛生情報が行きわたらない

 

家で机の上で仕事をしない、英語力の乏しい階層の人が

多い地域で、コロナが流行って広がっている様子です。

 

今日、キャンベラの高校の学生さんが感染して、学生全員さらに、親兄弟全員

コロナ検査をして、陰性でも14日自宅待機になり、キャンベラのロックダウンも9月の2日まで

伸びました。テニスもジムも閉まったまま。知っている人が結構、14日自宅待機になってしまって。

 

社会を経済状況で区域化したようにして、普段生活していても、結局

みんな一緒のコロナ被害者になってしまうので、

多様性をほっとくのではなくて、積極的に

社会の一部にしないと、コロナの終わりはないと思います。