普通の左官屋であったその男は、パッラーディオという新しい名前と極秘の命令を奉公先の貴族から受けて、さっそくローマへ発つことになった。
ピチェンツアの名誉挽回のために彼に寄せられる期待は大きい。
一刻も早く一流の建築家になって、故郷のパトロンの悲願を達成しなくてはならないのだ。
ベネツィアに報復を、という悲願を。では、なぜローマで、なぜ建築家なのか。そして、パトロンの考えたその「仕返しプロジェクト」とは。時は18世紀、ルネサンス時代。海運業が凋落し、次の活路を領土拡大に求めたベネツィアの商人たちは、まず手始めに隣国のビエンツアを侵略した。そして制服した証として有無を言わさず、街の景観をベネツィアそっくりににしてしまった。ビエンツアの貴族は悔しくてたまらない。自分の家の軒下に見たくもない趣味の悪いものが他所のものがデンと置かれてしまったのだから邪魔である、とはいえ、簡単にどけてしまうわけにもいかない。ものは何せ広場丸ごとなのだ。ベネツィア人がこの世で一番嫌いなものは何だろう?ビエンツアの貴族は毎日考えた。「ローマである!」
ずっと商売に、つまり海賊業に明け暮れていたベネツィア人は異国の文化、つまり略奪してきたものと新しい情報をたっぷり手に入れて、しかも金満家だ。ところが自分たちの独自の文化と言えばゼロに等しい貧乏ぶり。一方ローマはといえばイタリア半島の歴史が始まって以来脈々と続く重厚な文化基盤と人材がある。そして教会勢力の中心地でもあるその知的豊かさと宗教の権力をバックに威張るローマを常々ベネツィアは苦々しく思っている。コンプレックスがありますから坊主憎けりゃ何とかでベネツィアではローマ的なものとの接触を一切拒んだのである。
イタリア・ヴェネト州の中心部に位置するヴィチェンツァ


