「東日本大震災では政策ばかりが議論される。しかし大切なのは、犠牲になられたご遺体にどう接して、どう尊厳を守るかということだった。そして、それをやってくれていたのが、遺体安置所で働いていた地元の人たちだった」(岩手県釜石市、野田武則市長)
東日本大震災で岩手県釜石市は約1,100人の死者・行方不明者を出した。昨年10月には同市の遺体安置所を舞台にしたノンフィクション『遺体――震災、津波の果てに』(石井光太著・新潮社)が発売。現在九刷のベストセラーとなっているが、その発売を記念して、仮設商店街にある「復興ハウス」で講演会が行われた。
講演会では、野田市長をはじめ、遺体安置所での仕事にかかわった人々が登壇。当時の遺体安置所でくり広げられていた光景について語った。
市長によれば、遺体安置所の設置が決まったのは、3月11日の震災直後だった。津波が町を襲った後、警察関係者が被災した市役所にいた野田市長(当時58歳)のもとへ駆けつけた。
「膨大な数の遺体が出る可能性がある。すぐに遺体安置所を設置したい」
すぐにそれに応じ、5年前に廃校になっていた釜石第二中学校の体育館を遺体安置所にすることに決めた。野田市長は当時の思いを次のように語った。
「波が去った後、町はがれきの山になり、そこにご遺体がバラバラと転がっている状態でした。あっちで2体見つかった、こっちで4体見つかったと次から次に報告が来るのです。一体どれだけの犠牲者数になるか想像もつきませんでした。私としては、がれきの中にあるご遺体の尊厳を守りたいという一心で遺体安置所をいち早くつくったのです」
町で見つかった遺体は、報告があった順から体育館の床に並べられた。棺もなく、毛布にくるまれた状態のままだった。
翌朝の明け方には、岩手県警のチームが到着。9時からは地元の開業医や歯科医が遺体安置所に集結し、停電で明かりすらつかない冷たい体育館内で、死体検案、歯型確認、身元確認作業が行われた。
当時、遺体安置所にいた関係者は、犠牲者数がまさか1,100人にのぼるとは想像もしていなかった。大半の者たちが津波によって沿岸への道が行き止まりになっていたため、わずか3キロ先の被災地まで行けず、何が起きていたのかわからなかったのだ。
続
引用元 『日刊サイゾー』http://www.cyzo.com/2012/01/post_9622.html
【シリーズ・震災遺体(上)】釜石市、市長たちが語る遺体安置所の光景
ありのままを伝える事は大事ですよね。
個人的には、行政の中身もありのまま伝えて欲しい。
ではでは。