おはようございます。
先日、東中学校へ伺ったときに、ソフトテニス部顧問の先生と部活動や仮説校舎、
今後の予定などを伺ってきました。
その際に、ふと震災当日の話になりました。
「先生はどのように避難したのですか?」
授業中に起きた地震は、
生徒たちを含め、先生は上履きで外に避難したそうです。
その後、津波の恐れで山の方へ。
そして、恋ノ峠で暗くなるまで待機した後、
三陸縦貫道沿いに歩き、
通りかかるトラックなどに協力をお願いして生徒たちも運んでもらいながら
なんとか
旧一中に辿りついたそうです。
その日になんとか屋根のある場所にたどり着けたことが、先生はホッとしたとおっしゃっていました。
地理の知っている方は、ご存知かと思いますが、
東中学校・鵜野住居小学校は共に海に繋がる河口付近にあり、
土地の高さも低い。
どこかの新聞記事で、
両校の校舎は津波浸水予想範囲の外にあった
と、ありますが、
そこに通っている人間にすれば、
津波でも、洪水でも、防波堤を超えたらまっさきに浸水するのは
見ればわかると思います。
私が中学生のときも、
避難するなら、恋ノ峠までいかないとダメだと
言われていました。
地理的に自分でも、あぁ、ここは防波堤超えたら終わりだと思っていました。
ただ、実際にそっち方向まであるいた訓練は、
3年間の中で1回でした。
最近のメディアを含めた、防災教育の報道で
「奇跡の釜石」とよく言いますが、
なんか、釈然としないのです。
市内の小中学校生2926人のうち亡くなったのは5人。99・8%が生き延び、いつしか「釜石の奇跡」と呼ばれるようになった。
それは、数千人規模で亡くなったかたのいる地区などに比べればですが
それでも5人もの方がなくなっています。
とにかく先生も生徒も、助かることに必死で考えて、判断して、行動した結果であって
「こうしたからよかったんだよ」
とか
「こうしたらから、助かったんだよ」
というありのままの情報を、
今後にどう備えるかでいいと思うんです。
もちろん、避難時の方法・訓練は必要ですし、
それに併せて整備も必要です。
最近の取り上げられ方が、少し「?????」と思ったmaha@ひでぶでした。
そして、先生のお話を聞いて、本当にこれからも自分の出来ることを精一杯やっていこうと思いました。
