一人で寂しいクリスマスを過ごしている。
ケーキもチキンも何もない。
冷めたインスタントコーヒーを啜りながら、
録画したテレビドラマを見ている。
リアルなテレビ番組はクリスマス一色だから、とても見ていられない。
そんなのを見たら、孤独感が募るだけだ。

こういう状態を、少し気取って言うと、どうなるのだろうか。

「弧閨(こけい)を保つ」
・・・妻(女)にとっていつもそばに居てほしいと思う夫(男)が長い間居ない状態(にあること)を保つ。

なんだかなぁ・・・。
「夫(男)が長い間居ない状態」という言い方が気になる。
そういう状態がどうしたというのだ、ただ、それだけというはずがあるまい。
「(女が)貞操を守る」というニュアンスが含まれているような気がする。
もっと言えば、「保たれない」=「貞操の崩壊」が予定されているのではないか。
十字軍遠征時に考案されたという「貞操帯」は、その当時の女性が、
案外、今で言う「肉食系」であったのではないかと、想像逞しくしてしまう。
つまり、弧閨なんて保たれるわけがないと危惧するからこそ、貞操帯が発明されたのではないか。
念のため、説明しておくと、貞操帯とは女性が自由にセックスできないように、股間を鍵付きの金属製のパンツですっぽりと覆うものである。当然、鍵は、十字軍に出征した夫や恋人が持っている。・・・戦死したら・・・帰ってこなかったら・・・それは、もう悲惨だ。
女は家の中にいて、家庭を、そして、貞操を守るものなどという考え方は、この当時から、この言葉の中で否定されていたのかもしれない。

以上から、私の今の状態は、明らかに「弧閨を保つ」ではないことが明白になった。


「無聊(ぶりょう)を託(かこ)つ」
・・・何もすることがなくて時間をもて余し(無聊)、そういう自分の置かれた不幸な環境や不満な現状に対して、不平を言う(託つ)。

うん、これだな。
今の私の状況および心境。
男女差がないのも気にいった。

しかし、違和感はある。
何もすることがなくて、時間を持て余してはいないからだ。
リハビリにせよ、テレビドラマを見ることにせよ、することはある。
寂しいだけだ。

うーむ、つまり、やっぱり「弧閨を保つ」なのか・・・。

残念な結果だ。

保ちたくない・・・。