最強である。とも言える。 -5ページ目

最強である。とも言える。

〜好きなことをしよう〜

「レ・ミゼラブル」という作品を語るとき、
演じ手さんがよく使う言葉が“emotional”なんです。

エモーショナル。私だけかなぁ、違和感ない?

$最強である。とも言える。-st louis

お芝居というのは世界を一枚の板の上にのせてみる行為だけど、
自分のことはさておき残りの全てを俯瞰してみるというのは
もしかすると神の視点にも近いのかなと思ったりします。

山とかタワーとか高層ビルから下を見て、
「車ちっちゃい!」と笑うのも同じ種類の匂いがしますが

「あれもある、これもある」と全体を見渡して、
ショッピングをしているような
可能性をとにかくPost Itへ書き出しているような状態。

グローバルな向上心を掻き立てて
地球儀をカタログのように眺めるとき、
自分の目は地面の遥か上を飛び回っています。

オムニバス形式のお芝居だとこれがさらに強調されて
全体のトーンがクールで引いた印象になるから
Emotional。。。そうかなぁ?と。

$最強である。とも言える。-st louis

高校生の時、留学することを思いついてから、
「アメリカへ留学した自分が、わが町札幌へ思いをはせる。」
という想像をしてみたことがありました。

頭の中で映画みたいなズームアウトが起こって
目の前の日常風景がぶぉーーんと遠くへ飛んでいって、
急に「世界の中の、ひとつの町」に変わりました。
うわぉ!って思いました。

で、アメリカ全土MAPを開くのは もちろん楽しいんです。
行き先を絞るにつれて、その州その町の拡大地図に移行して
どこかの街角がドアップ風景になって目の前を埋め尽くすと
意外とそこで、立ち止まりたくなる衝動が起きる。
ほんとにそれでいいの?って。

話が具体的になっていくと、
ひとつに絞ることに恐れを感じたり
「苦しい」とか「つまんない」とか
ワクワクできなくなったりするじゃないですか。

こういう視野のズームアウトって場所だけじゃなく、
新しい何かを始める時も起こるように思うんですけど、
観客や神のやっていることがショッピングだとすると
目の前ドアップの町に住まうのは、「生きる」ことそのものです。

上から見ると些細で愚かでどーでもいいような出来事に
心を揺らして一喜一憂して命をかけて戦うことって
つまるところ客席から身を起こして「生きる」という事ことだし、
役者さん=町の住人にとってはemotionalなのかもしれないな。

$最強である。とも言える。-indian curry

一番好きなミュージカルを聞かれたらレミゼって言います。
命のくだらなさに付き合って、その煌めきにボーっとなる
彼らの、見えぬ明日への祈りを勝手に受け継いでしまう

映画版がすごく良くて、3回観に行きました。

彩りよく。
タンパク質たっぷり。
白い炭水化物は控えめに。
発酵食品とミネラルを取る。
血糖値を急に上げない食べ合わせで。
よき脂を含む生魚やアボカドを取る。
食べる順番は汁物→野菜→タンパク質→ごはん。

栄養の勉強をはじめました~。


最強である。とも言える。-avocado

「リテラシーの向上」

ハキハキと言ってみたい言葉「リテラシー」

知る喜びがあるのはよくわかるし、好奇心は旺盛なほうだけど、
情報や知識が幸せをもたらしたケースは昨今どのくらいあるのかと
それは心の豊かさとどういった関係があるんでしょうかと。

「膝に違和感が」と顔をしかめるスポーツ選手は。

暗~い気持ちでニュースを聞き続けた人は。
まっ先にビール飲んで昼寝した人と照らし合わせて
どれだけ幸せになれたんでしょうか。


最強である。とも言える。-pickled winter veggies


聞かないでおく、という態度を取ってみたのが去年でした。
自分で考えればわかることは意外と多いな、とも感じました。

だから次は聞いてみようと考えたわけではないのだけど
言ってみれば 健康リテラシーを上げる実験です。

どうしてだろう。失敗したい気がするんだよ。

まだ眠くなーい。寝たくなーい。と騒いだときに、
理由を聞くのでもなく、処方箋のようにミルクを温めるのでもなく
ただ単にふわっと包んでくれたのがすごく良く効いたのを
時々、その衝撃と共に思い出すようにしています。

ちょっとそれに近い感じ?

$最強である。とも言える。-aki

信仰であるとか ナチスだとか 民族だとかという
今の私たちが得意とはいえない重~いテーマを持つお話とはいえ。

きこえるわ
あぁサウンド・オブ・ミュージック
なつかしく よみがえる

耳なじみのあるメロディーにのり、
私たちの前にあの緑の風景がまさによみがえるようなオープニングは
ファールぎりぎりのやり方で、観客を子どもへ戻してしまったようでした。

ナンシー関さんが、「歌う」というのは
食欲や性欲と並ぶヒトの基本的欲求だと言ったらしいですが

もう心が笑って歌って踊って、涙を流すのをやめないのです!

多くのお芝居やミュージカルにおいて、
表現を押さえつけられた世界や、
歌い踊る自由のない時代のことが語られます。
歌えないことがどれほどイヤな事かなんて さほど実感はないですし、
「踊るな」より「踊れ」と言われたほうがきっと困るんだけど

Sound of Musicって言葉、どう訳すのがいいんでしょうね。
ミュージックの・・・あのサウンド!なんて
音楽への愛と感謝があふれてないと出てこない言い方じゃないかな。
歌い上げるようなタイトルに負けないくらい、歌声が美しくて
音が鳴るたびに、其処個々でパァっと光が差すようでした。

$最強である。とも言える。-aki2

抑圧されたとき、人はどう動き、何を求めるか?

解放。救い。美しいもの。希望。
要は具現化すると”Sound of Music” かも知れないなぁと
なんか納得させられてしまいました。

歌を知らず、厳しい規律で抑えつけられた子供たちが
ドはドーナツのド、と教わって はしゃぎはじめる時や
マリアさんが○○ちゃんはこういう子で、○○ちゃんはこういう子、
と一人ひとりを見つめ、一緒に家じゅうを駆け回るとき、
希望が注がれる瞬間を目の当たりにしたような感動を覚えました。

話の筋は知ってるわけで、3年前に観たときなんかは
まぁ無難な作品だこと!と思っちゃったのですが
何が変わったのか、すごくすごく心を持っていかれました。

「歳かな」と言って笑いました。わはっ。