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最強である。とも言える。

〜好きなことをしよう〜

科学者の中でも、こんな説が存在するんだそうですよ。

「猿が人間になるには、適応と Natural Selectionじゃ足りなくない?」

だから神はいるのだと。 ダーウィン、ピンチ。


変身した奴らの秘密を、知りたがる人はたくさんいるんだろう。

でもね、無謀な努力と「想い」によって、ものすごく進化する瞬間は

あったかも知れないよ?と、今は思えます。


大げさに言うと そういうことになります。

丸の内朝大学 ゴスペル。終わりましたー!


最強である。とも言える。-early birds


発表会は、金曜の夜。さいごの授業は、金曜の朝。

前日は不安しかなかったのに、

当日の朝になってみると 追い風しかなかった。


「俺ら、いつもより腰をのばして歩いているなぁ」くらいは

感じられる時が あったといえばあったんですが

「いよいよヒトになるぞ」みたいな瞬間を

自らちゃんと認識することはありませんでした。


私たちは 後になってそれを研究する「ダーウィン」にもなれたし

それを奇跡と呼んで崇める「民」にもなれたし

あるいは それを外的に仕掛ける「神」にもなれたと思うけど


変化したのは神でもダーウィンでもなく、「サル」なんすよ!

うちらはサルとして頑張って、ちゃんとヒトになったんすよ!


舞台を観に行っては、ウマイとかイマイチとか

好き勝手なことを言っておきながら

素人の自分がやると こんなもんか~と思い知れたり

答えが見えないところで思考錯誤したり

みんなと(文字通り)呼吸が合ったときのワクワクを体験できたことが

いちばん嬉しかったなぁと思います。

まきごんっていうガチャピンみたいなかわいい子がいて、

一緒にクラス委員やって すごい楽しかったんだよ。


うむ。人生はすてきだ。

電車で、隣の人が眠りこけて 寄りかかってきたとします。


ビックリと迷惑が入り混じるのは それが想定外だからであって


たとえばドナーの意思表示みたいに、

「いざとなったら肩を貸します」というチェック項目があったら。

あるいは妊婦さんのバッジみたいに

「どうぞ寄りかかってください」というバッジがあったら。


つまり、そうなったらどうする?と事前に考えておくことができたら

「ヤダ。」と結論を出す人は格段に減るんじゃないかと思うのです。


最強である。とも言える。-midori


そもそも電車の中で、疲れて眠ってしまって

コクっ・・・といってしまうことが「あり得る。」ということくらい

本当はみんなわかっていることですよね。


社会人からカムバックして 大学の講義なんかを受けにくる

オトナたちの 違和感ある初々しさとかー


予告編をみて、だいたいわかっている映画を観にきて

あ、ここで笑うんだな。そして最後はホロっとするんだろうな

みたいな空気のシナリオに従ってしまう感じとかー


締切直前の慌ただしさにイライラしたりとかー



どうして初心者のフリしちゃってるんだろう。。。

みたいな自己嫌悪、ないですか。


そういう想定内のアクシデントに一喜一憂することが

とても良いことにようにも思えるし、諸悪の根源だとも思える。


ただ自分の心が望んでいるのは、

「本気でビックリする」 ことなんだよなぁー。

青いこと言っちゃってるかなぁ。


よくよく考えたうえで、

「これ、どうなっちゃうんだろう!?」と思えることに照準を絞って

今年の秋を過ごしてみます。

ゴスペル さいごの朝練!

明日は 朝に最終クラスがあって、夜は発表会です。

最強である。とも言える。-gyoko


歌というものの素晴らしさは たっくさん考えつくんですけど

社会的な位置づけで捉えるときに

「道具がいらない」というのは強いなぁと思います。


幾多ある、歌の楽しみは、からだひとつで堪能できる。

ということは、参加者が突然増えたからといって、

あるいは 場所が変わったからといって

本当は、それほど困らないはずなんですよね。


アレがないといけない、あの人が来ないと進まない、

みたいな制約が生まれるたびに

この「継続し、広げるチャンス」が減ってしまうわけですが

大都会TOKYOではねー、なかなか難しいのですよねー。


本来シンプルなのに、いろんな事情が絡んでややこしくなる事・・・

世の中にものすごくたくさんありそうじゃない?


そういった 儚くて脆くて強いものの可能性を守るにあたって、

「歌う」というのは素晴らしいケーススタディだなぁと思います。


ま、おおむね失敗してるんですけど。はははー


頭ではわかっていても 心がハテナマークを灯し続けている、

「本番」と「打ち上げ」というコンセプト に 明日は飛び込んできます。