ローリー・マキロイが初の年間王者に輝いた直後に、アーノルド・パーマー氏が87歳で亡くなられたと訃報が届きました。

まるで試合の行方を見守っていて、マキロイの勝利を見届けてから旅立ったかのようです。

ゴルフ界での大きなニュースが重なり、偶然でしょうが不思議な縁のようなものを感じます。

アーノルド・パーマーさんの選手時代のプレーはリアルタイムで見たことがありませんし、功績も詳しくは存じ上げませんでした。

ゴルフに興味がなかった子どもの頃から、傘のマークのブランドでそのお名前を覚えていました。

ゴルフを見るようになってからは、マスターズでのオナラリースタートや、アーノルドパーマーインビテーショナルなどでお姿を拝見していました。

豪快なスイングと朗らかな笑顔で、陽気なおじいちゃんという印象でした。

タイガーやファウラーなど、歳の離れた選手とも気さくに接していて、親しみやすい人柄だったようにお見受けしました。

訃報に際し、同年代だけではなく、広い世代から惜しむ声が上がっていました。

偉大な先輩の功績にへの敬意と、哀悼の意を表していた人に共感します。

今さらですが、レジェンドの偉大な経歴を列挙しておきます。

58年から63年に4度賞金王を獲得。

アメリカツアー歴代5位の通算62勝を挙げた。

4大メジャー大会のうち全米プロだけは優勝できず、グランドスラムには届かず。

ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレーヤーとともに「ビッグ3」として黄金期を牽引。

4大メジャー大会の通算勝利数は7勝。

ジャック・ニクラウスは18勝、ゲーリー・プレーヤーは9勝。

飛距離を武器にピンを狙い続ける超攻撃的なプレーでファンを魅了。

果敢なプレーとルックスとアスリート性を持ち合わせ、テレビ時代の申し子だった。

74年にはゴルフ殿堂入り。

マスターズには74歳の2004年まで50年連続で出場。

後に世界最大のスポーツマネジメント会社となるIMGと最初に契約した選手。

ゴルフ場経営やコース設計など実業者としても成功。

自身をブランド化した商品を作り、スポンサーからは多額の契約料を得た。

名前を冠した傘マークの衣料品ブランドは広く知られる。

「ゴルフセントラル」を制作しているアメリカゴルフチャンネルを創設。

現代スポーツビジネスの先駆け。

選手時代もその後も、ゴルフ界の発展のために尽力。

スーパースター、キング、レジェンドとして君臨したのは実績だけではなく、人間としての魅力があったからこそ。

一度お会いしてみたかったです。

突然の訃報に数多くの哀悼が寄せられ、往年の名選手ではなく、今も国民的人気は健在なのだと思い知りました。

奇しくも同じ日に、プレーオフ最終戦ツアーチャンピオンシップで、ローリー・マキロイが優勝しました。

ライアン・ムーア、ケビン・チャッペルとのプレーオフを制し、今季2勝目、通算13勝目を挙げました。

そして初のフェデックスチャンピオンに輝きました。

今大会の優勝賞金153万ドル(約1億5450千万円)に加え、年間王者のボーナス1千万ドル(約10億1千万円)を獲得しました。

スケールが大きすぎて、スゴいとしか言えません。

ダスティン・ジョンソンが年間王者になるかと思っていましたが、最後にマキロイが優勝して逆転しました。

マキロイ以外の選手が優勝すれば、年間王者だっただけに悔しすぎるはずです。

4ホール(18H18H15H16H)に渡るプレーオフは見応えがあり、特にマキロイとライアン・ムーア対決はライダーカップのようでした。

ムーアは今回の健闘により、キャプテンピックでライダーカップ代表最後の一人に選ばれました。

ライダーカップのシングル戦で、マキロイVSムーアのリベンジマッチがありそうです。

マキロイにはイーグルを決めてトップに並んだ時点で優勝を決めたような勢いと、他を寄せつけない強さを感じました。

勝つべきオーラというか、時が来たというか。

最終日一人でのラウンドだったケビン・ナは、なぜか走ってプレーして、2時間を切る超高速ラウンドをしたそうです。

普段スロープレーで同伴競技者をイライラさせているくせに変な人です。

断トツ最下位でスコアを縮める意味がなかったので、パフォーマンスだったのかもしれません。

奇行に思えて、どうもこの人は好きになれません。

ジェイソン・デイの途中棄権が残念でした。

アメリカツアーは、プレーオフシリーズが終わった途端に、すぐ次のシーズンが始まるので羨ましいです。

その前に2年に1度のビッグイベント、ライダーカップがあります。

アーノルド・パーマーへの思いを胸に、アメリカチームが一致団結しそうな予感です☆