「わたしを離さないで」の最終回を見ました。

 

カズオ・イシグロ氏のSF小説が原作です。

 

臓器提供のためだけに造られたクローン人間目線で描かれていて、臓器提供が終われば使命を完了するという儚き運命の物語です。

 

健康な臓器が求められるので、提供者であるクローン人間は短命で終了(解体)ということになります。

 

臓器提供、生きるための犠牲、生と死、人間のエゴ、洗脳、クローン人間の基本的人権。

 

暗く悲観的になりがちな重いテーマで、いろいろなメッセージが込められていましたように思いました。

 

そもそもクローンとは人間なのか。

 

クローン人間に個性や感情はあるのか。

 

感情や思想や思い出を持たない方が、楽に提供の役目を果たせるのではないか。

 

将来の夢や希望を抱くことで、落胆や葛藤に苦しむのではないか。 

 

提供目的のクローン人間も、生まれてきて良かったと思えるのか。

母性愛や家族団らんを知らずに育ったクローン人間たちの人格形成はどうあるべきなのか。

生殖機能を持たないクローン人間たちなのに性欲は強いように描かれていて、短命ゆえに子孫を残そうとする本能なのか、生への執着なのか。

もしもクローン人間が出産したら、人間とクローン人間のハーフが生まれたら、その子どもはどうなるのでしょうか。

もしもクローン人間が急増して人間と立場が逆転したら、人間が臓器提供する側になったら、とても恐ろしいです。

 

クローン人間が人間を支配し、人工知能が人間の存在を脅かし、人間は不要となる、なんて映画の世界のようですが、近未来にはあり得るのかもしれません。

 

陽光にいるクローンと他の施設にいるクローンの違い、コテージでの緩い生活、戸籍がないはずの恭子が車の運転していること、外部の人間との接触、臓器移植を2,3回に分けて行う意味、など気になるところはありました。

 

倫理的問題や医療技術などのリアリティーはさておき。

 

あり得ない設定ですが、共感できる部分もありました。

 

提供者の宿命を残された自分の人生に置き換えると、考えさせられるところがたくさんありました。

 

生まれてきた意味、自分の存在価値、生きる希望。

 

命には限りがあり、生まれてきた人は必ず死を迎えます。

 

早かれ遅かれその日が来ます。

 

死に向かいながら、何をよすがにして進み、何を心に刻んでいくのか。

 

残された日々の中で、今日という日を精一杯生きるしかありません。

 

叶わない夢だとしても、夢を持てることが幸せなのかもしれません。


心の宝箱に大切なものを詰めたいと思います☆