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風雅ー風の吹くまま 気の向くまま



聴覚障害があっても地元にパン屋の

夢だけは捨てずに「開店」です!     



パン屋がなかった山田町で6日、パン工房「山田湾ベーカリー」が同町大沢のやまだ観光物産館内に開店する。同店は石割桜の天然酵母を使った食パンなどを目玉商品に、パン作りの体験教室も企画。店長は聴覚に障害がある堂田(どうた)祐輔さん(22)が務める。東日本大震災の津波で祖母が犠牲となり、一時就職先を失ったが2年間町外で経験を積み戻ってきた。「おいしいパンで笑顔を届けたい」。堂田さんの新たな挑戦が始まる。


 約400平方メートルの物産館の一角に、食パンやフランスパンなど県産素材にこだわったパンがずらりと並ぶ。5日開かれたプレオープンイベント。関係者約20人が焼きたてパンを味わった。


 「地元でパンを作ることが夢だった」と、堂田さんは感慨深げに店を見渡す。

 堂田さんは会話が少し不自由だが、パン職人としての気概は十分持っている。「おばあちゃんもきっと喜んでいる。客がたくさん来て、長く愛されるようなパン屋を目指したい」と意気高らかに誓った。



岩手日報 4月7日 朝刊

この記事・写真等は岩手日報社の許諾を得て転載しています




この記事と堂田(どうた)さんの笑顔を見たら 感動しました


被災地以外にお住まいの方にとって町の「パン屋」さんというのは

当たり前に存在しているものだと思いがちですが 被災地にとっては

それは当たり前ではないという現実に ちょっと反省してます


この「山田湾ベーカリー」の堂田さんって 本当に山田町が好きなんですね

きっと幼い頃から見てきた山田湾の風景が大好きだからこそ

店名にも「山田湾」を入れたのではないでしょうか


聴覚障害を持ち会話も少し不自由であるという堂田さんですが

22歳という若さで「夢」を現実にした勇気と努力は素晴らしいの一言です

震災で職を失っても他の地域でパン職人としての修行を積んで

「夢」を追い続ける「勇気」と「努力」は並大抵のものではありません


そして忘れてはいけないのが 堂田さんにパン職人の技術を教授した

親方の存在です 聴覚障害というハンディがありながらも

堂田さんが出店出来るまでのノウハウを教え 育てた親方という方は

人として出来ている親方だと思います


町のパン屋さんとしてスタートした「山田湾ベーカリー」

堂田さんの夢と笑顔がいっぱい詰まったパンになってるはずです

山田町にお越しの際には 是非「山田湾ベーカリー」にお立ち寄り下さい





こんなに不自由ない生活環境にいながら 今まで「諦めた」事って

一体いくつあるのか ・・・ 数えたら切が無いですね

でもそれをただ追うのは時間の無駄遣いになりますから

諦めてないけど 今現在どうしていいか頓挫してる「夢」に向けて

自分が何をすべきなのか ちょっとだけモヤが晴れて陽射しが見えた気が

します 堂田さん勉強させてもらいました ありがとうございます







頑張れること一緒に探します

共に乗り越えよう 東北・東日本     








それでは  また  m(_ _ )m 雅(MIYABI)でした