おはようございます 雅(MIYABI)です  (o^-')b




ナゼ?数日経ってからこの話題?なのと思う方いますよね


実は書く内容は頭の中でほぼ決まっていたんですが ・・・


タイトルが決まらなくて 今日に至ってしまったわけなんですよ





風雅ー風の吹くまま 気の向くまま




稲葉 篤紀 2000本安打達成! 




稲葉選手のコメントでは 「1年前に初めて2000本安打を意識した」

言ってますが 私個人の中では3年前から意識してましたね

「いける!」って ( 個人の勝手な思い込みですから ・・・ )



稲葉選手のエピソードは今回の2000本安打達成の記事で

多くの方が目にしたかと思いますが あらためて思うのは

この人は「持ってる!」人なんですよ

たまたま それがウマく機能しなかっただけ? そんな気がします





風雅ー風の吹くまま 気の向くまま



稲葉選手のエピソードで最も有名なのは 子供の頃通っていた

バッティングセンターの隣のケージには同じく毎日通っていた

イチロー選手がいた話でしょうね


意外と知られてないのが 稲葉選手 甲子園には出てないんです

愛知の名門 中京大 中京高校に進学しますが 3年の最後の夏も

イチロー選手の母校 愛工大名電に敗れてます





風雅ー風の吹くまま 気の向くまま


その後 法政大学に進学し野球部に籍を置きますが レギュラーの獲得は

確か4年生になってからだったと思います  その六大学野球が彼の転機となりました





風雅ー風の吹くまま 気の向くまま


大学4年の法政ー明治の試合 スタンドにはドラフトの確認?だか

我が子を見に来た?のか微妙ですが 当時ヤクルトの監督でありました

野村監督が試合を見てる中 稲葉選手がその試合でホームランを打つんです

ちょっと記憶が定かではありませんが 1試合2ホーマーか?

2試合連続ホームランのどちらかです そこで野村監督がスカウトに尋ねたのが

「オイ!あの選手はウチのリストに入ってるのか?」

「いいえ ・・・ 」

「じゃあ リストに入れろ!」


これでその年のドラフトでヤクルトから第三位の指名でプロ野球選手となったのです





風雅ー風の吹くまま 気の向くまま



しかし ・・・ プロの技術はそんなに甘くはありませんでした

しかし 稲葉選手はあきらめず 日々努力を重ねていくんです

実は当時のヤクルト室内練習場は使用できる時間帯が決められていたんですが

稲葉選手の練習量があまりにも多くて 球団は密かに「24時間OK」に近い

許可を出したほどなんです 試合に出れなくてもいつか出るために

誰よりもバットを振り続けていたんです  その結果今や球界を代表するほど

「内角のコース」を綺麗にとらえる あの肘をたたんで最後はリストが返る

バッティングフォームが完成したんです





風雅ー風の吹くまま 気の向くまま



稲葉選手は元来「生真面目」な性格でしたが ファイターズに来てから

そこが少し変わったのが良かったんでしょうね

メジャー挑戦を表明して 獲得球団が無く去就が心配されましたが

実はファイターズが真っ先に稲葉選手に宛てたメッセージが


「いつまでも 待ってますので その時が来ましたらご連絡下さい」


稲葉は「北海道に行こう!」と決めて キャンプ後半からチームに合流

確か1年目だけは背番号が58番だったんですよね

翌年から現在の41番になったんですが そのファイターズで出会ったのが

新庄選手でした 最初の印象は「変な人だな ・・・ 」

しかし シーズンが始まり 新庄選手から色々な事を学んだんです



例えば 今では当たり前なんですがスタンドのファンに手を振る

当時ファイターズの外野と言えば ・・・ 新庄 ・ 森本の「カブリモノ」コンビ

さすがに稲葉選手はマネしませんでしたが よく見られた光景は

3人でセンター付近で ポーズを決めたりしてましたね



稲葉選手が新庄選手から学んだ事で一度話したのが

日本シリーズ第一戦の話です ファイターズは完封負けの状態で

ベンチの中はすっかり緊張と落胆が漂う中 新庄選手が言ったのは


「オマエら!下向いてちゃ明日も勝てないぞ 笑って相手のベンチを見てやれ!」


その時ベンチの選手全員が「えっ?」だったそうですが

新庄選手は 「 今下向いてたら 相手のスコアラーの術中にハマったみたいだろう

だから 自信持って明日の試合には勝ちますからって顔するんだよ」


この年の日本シリーズ ファイターズは見事日本一に輝きました



ファイターズの選手は誰もが稲葉の背中を見て育ってるんです

そして その稲葉選手はというと ・・・ 


「僕はファンの方に支えてもらってますから」 もうミスター謙虚ですよ


2009年でしたか 打てなくて不振だった時にやっと打ったサヨナラホームランの

ヒーローインタビューで アナウンサーの問いかけに対して

帽子を目深に押さえて下を向きやっと出た言葉が


「ずっと ・・・ 打てなくて ・・・ 迷惑かけてましたから ・・・ 」


あの時の「男泣き」を見て私は2000本安打を確信したんです

ライトからベンチ ベンチからライトまでの「全力疾走」

スランプになれば誰よりもバットを振る姿 この背中を見れば誰もが納得するんです



2000本安打へ「後1本」となった試合で打席が回るか?と思われましたが

中田凡退で打席が回らず 翌日へ持ち越しとなった試合の後

中田 翔 と 田中 賢介の2人が稲葉の所に来て言ったのが


「凡退して打席を回せず スイマセンでした」 ですよ


それに対して稲葉の言葉は


「俺の2000本は個人の記録であって チームが勝つ事がイチバンだ!」ですよ



球界の有名人やら選手から多くのコメントにも必ずと言っていいほど

言われているのが 


「アイツは努力の結晶だから!」


現役の某監督さんのコメントには 「1年だけでいいからウチに来て欲しい」なんて

コメントもありましたね

コメントで何気なくイチバンいいコメントを言ったのはマリナーズのイチロー選手でしょうね



「久々にいい人がとった 本当にいい人がとったと思います」



稲葉選手 実は今北海道永住計画を視野に入れてるみたいですよ

メジャーから相手にされず来た北海道の球団で自分が成長し

史上39人目の2000本安打を達成させてくれた 北海道で今度は

自分が「恩返し」をしたいと思ってるらしいです




先日の稲葉選手のコメントでは


「2500本目指そうかな?」みたいな発言もありましたが 是非目指して欲しいです




私がブログで一番最初に書いたプロ野球選手が稲葉選手です

「努力と謙虚が生んだ2000本安打」

誰もが認める ミスタープロ野球

この背中を見られるファイターズの選手は12球団イチのシアワセ者です





稲葉選手 「2000本安打」おめでとうございます

これからも応援します







なんでタイトルがすぐに浮かばなかったかな~

やっぱり ・・・ 文才は無いからだな










それでは  また  m(_ _ )m 雅(MIYABI)でした