2008年 北京オリンピック 男子マラソン 金メダリスト
サムエル・ワンジル 選手(24) が自宅2階から転落して死亡
自宅2階には妻とは別の女性と一緒であったことも報じられておりますが
ケニアは「一夫多妻制」のお国柄なので そのあたりは 微妙ですね!
ワンジル選手といえば 15歳で仙台育英高校にスカウト留学して
全国高校駅伝 2連覇の原動力となったところから始まりました
当時 テレビで見てましたが 驚きましたね!
まず 「高校生なの・・・・?」 でしたよ
スピードが全く違う次元でしたので 「スゴイ選手だな~」とただただ感心してました
そこから トヨタ自動車九州の陸上部に入り活躍
2008年 北京オリンピック 金メダル
2009年 ロンドンマラソン 優勝
昨年まで シカゴマラソン 2連覇 と輝かしい成績を収めていましたが
昨年12月に報じられたのが
「自宅で妻と家政婦を銃で脅す」でした 脅したことについては「和解」しましたが
銃の不法所持では起訴されておりました
今年4月のロンドンマラソンを予定してましたが
1月の交通事故でのケガの影響で辞退
ワンジルをケニアで見て 留学の橋渡しをしたのが 確かスポーツコーディネーターの
小林 俊一 さんだったと思いましたが
「彼を初めて見た時 彼はサバンナを裸足で走ってたんだ」 というコメントを思い出します
ケニア マラソン界初の金メダルを獲得してからは
様々な取り巻きが彼に群がり 彼を知る関係者からも 「性格が変わったみたいだ」という
コメントが後を絶たなくなっていました
北京オリンピック ゴールの後 日本のメディアを見つけて 日本語でコメントしてました
確かその時だったと思いますが ・・・・・
彼の口から 日本のコーチから学んだ教え それは
「我慢. きつくても我慢です」 という言葉でしたが
私生活では「富と名声」を手に入れ 「我慢」という壁が崩壊していたようです
近年彼の噂話には必ずといっていいほど アルコールが話題になってましたからね
2012年 ロンドンオリンピック さらに4年後のリオデジャネイロでも「優勝」出来る
実力を持っていた サムエル・ワンジル選手
高校時代は仙台で東北弁で話し 社会人になって九州では博多弁をこなし
確か 書道でも国際大会クラスで賞をとったこともあった 勉強家で努力家でもあった
彼の人生の最後は
実にあっけない幕切れで終わってしまいました
金メダルの裏には「大きな落とし穴」があったんですね
非常に残念なニュースでした
それでは また m(_ _ )m