"リズム感"






その時に、その場に流れている音楽に合わせて

体を意識的に動かす事を



"ノッている"と、思っている人がいる様ですが


その認識は間違いで


本来リズム感とは



"自然に音に乗っている状態"



を指していいます


(例えば

1~2歳の小さい子どもが
たまたま、その時に流れていた音楽を聴いて
嬉しそうに、つい自然に体を動かしている様なイメージですね)




本来であれば

それが音を楽しむという事であり、また
音楽の基本であるとも言えるでしょう



唄う事に例えるならば





発声



舞台




これらは、それぞれが全く


"次元"


の異なる世界であるという事です






つまり





どれだけ楽器の演奏の技術が高かれども


"死にたいわけではないが、生きていてもあまり面白くもない"


という感じの人が舞台に立ち

聴き手を魅了する



楽器なり歌の演奏が出来るか?と問われれば

それは不可能に近いという話です





逆に、たとえ演奏の技術は未熟だったとしても


ひとたび、舞台に立てば

テンションがあれば

聴く人を魅了する事は


決して、不可能ではありません、それは人は




音を楽しむという事と

生きている喜びを感じるているという事とは

切っても切り離せない関係にあるからです








多くの場合、この様な自然な感性は
人は年齢を重ねる度に

少しずつ失われていく様に、私は思っています




"一社会人だから、こうすべき"

"マナーだから、こうすべき"



それは間違いではないと思っています



しかし、誰かが決めたルールを

その意味や効率性を一切問わず

疑問さえも一切抱かず

ただ
縛られているだけの人では

人を魅力したり
あるいは自分自身の魂を高める

beat(ビート)は決して起こせません




















(ひきこもりの専門家であり

精神科医の斎藤環先生の書籍より引用)








人の世界とは

"3重の輪"

であるとするならば



一番外側の輪は"社会"であると書かれています



つまり


小さい方から

"個人"、"家庭"、"社会"
という3つの輪がある

ひきこもりとは
"個"の輪からでられない状況であるそうです



それにつきましては、まさしくその通りでしょう





ただ



社会の輪の中にいるという事と




"個が自力している"という事とは





全くの別次元の話ではないでしょうか











(国に強制されているわけでもなく、
国はマスクはしなくていいと言っている
また、
ウィルスよりマスクの穴の方が何十倍も大きい
から、感染症対策としてマスク着用は無意味なのに、
なぜ、マスクをしているのですか?)







(そんな事、関係ないでしょ?
マナーでしょう?マナー?!)




こういう人、実際にいるそうです





"マナーだから、そうすべきである"
という事です









多くの人は





"自分という存在"は"個"なのか"社会"なのかが


混沌としてしまっている、様に私には見えます







漠然としすぎている









誰しも悲しみや、辛さは当然あると思いますが


せっかく生きているのなら

有限である時の中




せめて


輝ける時は、輝いていたいと私は思います