<第17回>バイリンガルの成長はシーソーのように | Dr. ミナシュランの台湾グルメと「ママ、ときどきドクター」

Dr. ミナシュランの台湾グルメと「ママ、ときどきドクター」

美味しいものが大好きで、本名の「みな」とグルメの「ミシュラン」をかけて、「ミナシュラン」と呼ばれています。台湾でぽかぽか子育てしつつ、ときどき日本に帰ってお医者さんする「ママ、ときどきドクター」な暮らしの子育てエッセイと美味しいもののブログです。

「お名前は?」と聞いたら「2歳~!」と満面の笑み(ついでにピースサイン)で答えて母を震撼させたのは、忘れもしない娘が2歳3ヶ月の頃、私が第二子を出産して1ヶ月ほど月子中心(産後ケア施設)で暮らした直後のことであった。
 2歳1ヶ月までは毎日私とべったり、ほぼ日本語で暮らす毎日だったので、日本で暮らす普通の日本人と変わらない位話せていたし、産後一か月離れて暮らしたと言っても、2~3日ごとに主人が連れて来てくれていたし、毎日のようにSkypeもしていた。
 なのに!
 「お名前は」も分からなくなる程、退化してしまうとは!
 ドーン!

 バイリンガルの子供の言語は、どんなにペラペラに喋っているように見えても、使わなければすぐに忘れてしまうというのは有名な話だが、その通りだった。

 その後、私が家に戻ると娘の日本語もだんだんと元に戻り、私がいない間に上達した中国語も、幼稚園での生活の成果もあり、さらに流暢になってきていたが、次の驚きの退化は、夏の帰省の後に発見されるのであった。

 娘2歳8ヶ月、私は娘と息子を連れて一ヶ月ほど日本に帰省した。
 ディズニーランドに行ったり、故郷では島に船で渡って海水浴したり、楽しい日本での日々を過ごして台湾に帰って来た。
 すると、娘、なんと、中国語をすっかり忘れていたのであった。
 Skypeで父親と毎夜のように中国語で話していたのに、である。
 祖父母に話しかけられても答えられず、奈良美智の絵みたいな表情で祖父母を見つめ返す娘。
 ドーン!

 そして当然、幼稚園にも行きたがらないのであった。
 「お母さん、幼稚園行きたくないんだもー」
 後から聞いたところによると、娘は最初の数日間、幼稚園で一言も話さなかったらしい。
 ドドーン!
 そんな状態なら、幼稚園に行きたくなくて当然だろう、と思った。(注1)

 もし、「眠いから」「DVD見たいから」という理由で幼稚園に行きたがらないのなら、担いででも連れて行っていた(注2)。でも、中国語を忘れてしまった帰省後の幼稚園復帰初日、私の「母親センサー」がピーンと働いた。
 (娘が『行きたい』って言うまで、待ったほうがいいような気がする……)
 私はその日は娘を急かさず、好きなDVDを見せながら、娘が行きたがるまで待った。「幼稚園行くならチョコレートあげるよ!」とエサをちらつかせたりしながら、「行く」と自ら言うまで待った。結局、娘は1時間半遅刻して登園した。
 その後もしばらくは、娘が自発的に行きたがるのを待つことにした。二日目、娘は1時間遅刻し、三日目は30分遅刻し、幼稚園の先生には「授業があるので時間通りに来て下さいね」と言われたが、笑顔で「Oh, yes!」と答えながらも、しばらくは娘を遅刻させるつもりだった。
 だが、四日目頃からは娘は時間通りに自分でテレビを消して、幼稚園に行くようになった。
 やっと適応したのだった。ほっとした。

 バイリンガル児の成長は、シーソーみたいだと思う。
 ”See”(見えている)ものが、”Saw”(見えていた)になる。
 話せていた言葉が話せなくなり、話せていた言葉が話せるようになる。
 ドーン。ドーン。ドーン。
 シーソーが傾く度、沈んだ方のお尻には衝撃を受ける。
 きっとこれからも、何度も、そんな痛みを感じながら、バイリンガルは成長していくのだろう。
 でも、だからといって、可哀想なことだけでもないのだろうと思う。その痛みをかけて習得する二つの言葉は、これからの大切な宝物になるはずだし、もし万一片方の言葉を全く忘れてしまったとしても、相手の言葉に注意して耳を傾けて「この人はどの言葉を話しているんだろう?」と聞こうとした態度や経験は、きっとこの子の優しさになる。(注3)そう思うのだ。(注4)

注1:娘が2歳1ヶ月で最初に幼稚園に入園した頃、娘は中国語が全然できなかったが、でも「言葉が分からないから」という理由で通園を嫌がることはなかった。むしろ持ち前の勝ち気な性格で、友達に日本語を教えていたそうで、母は「小さな日台親善大使!」と感激したほどだった(親バカ)。でも今回は言葉の壁を感じて行きたがらないところに、自尊心の発達を感じた。一度「通じる」「できる」環境だったのが、急に一人だけ「通じない」「できない」になったら、そりゃつらいよね。

注2:臨月の頃、DVDが見たかったり眠かったりで幼稚園に行きたがらない娘を(抱っこだとお腹に当たるので)米俵のように担いで幼稚園に送り届け、(私って頑張る母だわー)と思っていたが、最近友人が「嫌がる子供を抱っこする時、”活きのいい鰹を抱える漁師”みたいな気分になる」と言っているのを聞いて、「米俵」はまだ、母ちゃんランク初級であったと知った。うちの第二子は男子なのですが、やっぱり鰹になるのかしら?! ドキドキ!

注3:我が主人も、中学から大学までをカナダで過ごしたバイリンガルなのだが、バイリンガルにはバイリンガル特有の優しさや、他文化を配慮する心があると思う。そんな主人だから好きになったし、我が子にもそうなって欲しい……と言いたいところだが、顔に一目惚れして結婚に至ったので、顔以外の全ての理由は後付けである。

注4:ところで、日本語・中国語バイリンガルの娘の発達に、早くも思わぬ副産物が生じている。娘の幼稚園は、午前中英語・午後中国語(でモンテッソーリ)のバイリンガル教育幼稚園なのだが、娘は英語のクラスでどうやら優秀なようなのだ。実は、「親は英語教育はまだ早いと思っているけれど、家から最寄りの幼稚園がバイリンガルだったからバイリンガル幼稚園に入れた」、という消極的な経緯で、……つまり、どうでもいい感じで英語の教育が始まったのであった。なのに優秀とはどういうこと?! 「普段から日本語と中国語の切り替えをしているからか、英語への切り替えもできているのかな?」などと想像してみるが、よく分からない。これから娘が体験するバイリンガル……そしてマルチリンガルの世界、どんなものになるのか楽しみだ。