一人目(長女)を育てている時、なぜか、「まるで二人目みたいな余裕ですね~」とよく言われた。
思い当たる理由としては、
・育児漫画を読みすぎて、心の準備を通り越して手抜きの方法を深く学びすぎたこと
・義両親と超近居で家事の負担が少なかったこと
・もともと適当な性格
などがあるが、何にせよ、一人目を「二人目みたいに」育てたところに、本物の「二人目」が登場することになったのである。(ってことは、三人目みたいな……いや、等比級数的に考えれば四人目ぐらいの余裕(適当さ)で育てるのかしら! それって、赤ちゃんが可哀想では?!)とドキドキしていたが、……産まれてみるとその通り! 「二人目」って、色んな事が本当に楽で、どこを頑張ってどこを頑張らなくて良いのか、すごくよく分かるのである。私はDVDを順調に消化しながら(ちなみに前回書いた「LOST」は無事産前に見終えて、産後は「グレアナ」を経て「プリズン・ブレイク」)、でも赤ちゃんは可愛くて、ぽかぽかぷにゃぷにゃした幸せのかたまりを心ゆくまで抱っこして、母乳をリフィルするべくかき氷を頬張り(杏仁かき氷にハマり中!)、幸せ台湾ママライフを送っている。
さて、二人目を育てるのは思った以上に楽だが、二人目育児の肝は、実の所、「一人目をしっかり見る」ことだと思う。
二人目が産まれたのは、姉である長女が2歳になった頃であった。「言葉の爆発期」とも言われる2歳だが、娘とはクリスマスの頃、こんな会話を交わしていた。「ねえ、○○ちゃん、プレゼントは何が欲しいの?」「○○ちゃんは、ティッシュが欲しいです!」なんと安上がりな娘であろう! とっても面白かったので、私はそれから時々、「プレゼントは何が欲しいの?」と尋ねてみる事にした。残念ながら、「ティッシュが欲しい」親孝行な時期は1ヶ月ほどで終わり、次は「シールが欲しいです」になった。
そして、ついに私の出産が迫って来た頃、私たち夫婦はある計画を立てていた。それは、「赤ちゃんが産まれた時、『赤ちゃんからのプレゼントだよ』と言って、長女に贈り物をする」というものである。産後は赤ちゃんにかかりきりになるが、そんな赤ちゃんを嫌いにならないように、先手を打つ作戦だ。私たちは、改めて娘に聞いてみた。「○○ちゃん、プレゼント、何が欲しいの?」すると、娘はこう答えた。「○○ちゃんは、赤ちゃんが欲しいです」「……!」私はびっくりして、夫と顔を見合わせた。これから赤ちゃんが、少なからず「お母さんと過ごせる時間」を奪ってしまうというのに。なのに、娘は娘なりに、お母さんの大きくなっていくお腹を見て、そして、「弟が産まれる」ということを認識してもらうための絵本(注)を読んで、「赤ちゃん」を楽しみにしていたのだ。「ああ、○○ちゃん……!」私はそんな長女が愛おしくなって、ぎゅーっと長女を抱きしめた。
しかし、「○○ちゃんは、赤ちゃんが欲しいです!」の時期も、しばらくして終わりを迎えることになる。長男が生まれ、私は月子中心(産後ケア施設)でのんびり美味しい産後ライフを送っていた。……と言いつつ、長女に会えないのが寂しくて、実は何度も泣いた。(上の子も一緒に泊まれる月子中心だったのだが、感染防止のための制約や主人の仕事の都合もあり、実際には週に3回ぐらいしか会えなかった)私が月子中心にいる間は、義両親が長女の世話をしてくれていたのだが、娘はこちらの心配をよそに順応し、丸々と可愛らしく太り(お菓子疑惑)、従兄姉達と毎日楽しく遊んでいるようだった。そんな娘が月子中心に面会に来てくれた時、私はまた聞いてみた。「プレゼントは何が欲しいの?」すると、娘は答えた。「○○ちゃんは、ママが欲しいです」……娘に涙なんて見せるわけにいかない、と思っていた。なのに、思わず涙が出た。「ママは、いつでも○○ちゃんのだよー」
二人目を育てるのは楽と感じたが、二人目がいるので長女と過ごせる時間が減るのは、本当に本当に辛く、その辛い思いを娘にも強いていると思うとなお辛かった。月子中心での養生を終えて自宅に戻ってからというもの、私は、今まで以上に長女といる時間が大切に感じられるようになった。二人目育児の手を抜けるところは手を抜きつつ、一人目も二人目も、たくさん愛していきたい「二児の母」のスタートである。
(注)弟が産まれるということを一緒にイメージするために選んだ絵本は、マザーグース会報9月号で紹介されていた「おへそのあな」と「ザザのちいさいおとうと」。この「ザザの~」の方はイギリス人の作なのだが、弟が産まれて相手をしてもらえなくなるザザの様子がこれでもかという位描かれている。初めて娘と読んだ時はザザが不憫すぎて、思わず私が泣きそうになってしまった。でも、娘はこれが好きみたいで、何度も読んでとせがまれた。