みなやってのける!!和田みなです!
梅雨なのに雨が降らなくて、
田んぼの蛙たちの声も少し元気がないように感じます。
今日は、
ずいぶん前の話もしますが、ご容赦を。
今年の4月末、
たつの市である会が発足しました。
それは、
「碧川かたを朝ドラの主人公にする会」
です。
「碧川かた」さんをご存知の方は少ないのではないかと思うのですが、
あの童謡・赤とんぼの作詞家「三木露風」の実母が碧川(みどりかわ)かたさんです。
このブログでも何度か書いた通り、
たつの市は「童謡の里」として、
様々な取り組みをしています。
私も赤とんぼをはじめ、
童謡が大好き。
そして、個人的には、今、多くの童謡がつくられた「大正デモクラシー」時代を研究中です。
日本のよさ、日本のアイデンティティを育んだ時代...歴女にとってはかなり魅力的な時代です。
そのたつの市を代表する偉人の1人である
三木露風のお母さんを朝ドラの主人公にしようと、今、たつの市は盛り上がりつつあります。
私も以前から、
この素晴らしい龍野の城下町や風景をもっと多くの方に知って頂くためには、朝ドラ誘致がよいのではないかと思っていました。
揖保乃糸の素麺工場の娘か
ヒガシマルなどの薄口醤油の蔵の娘か...と思っていたのですが、
碧川かたさんという女性がおられたとは、全く知らず、勉強になりました。
もちろん、三木露風のお母さんのお話は小さい頃から知っていました。
あの赤とんぼの歌詞も、
お母さんに会いたい露風の寂しい想いを歌ったものだということも知っていましたが、
その碧川かたさんが
婦人参政権運動などに功労された女性活動家であったとは全く知らなかったのです。
↑発足会の資料
発足会当日、会場の商工会議所は満員。
始まる前に知り合いの方とお話していると
「碧川かたさん知らないわぁ」と、
皆さん言われていました。
↑映像上映中
発足会では碧川かたさんの生涯を紹介した映像を観て、皆さんで勉強しました。
私が心に残ったのは、
露風がまだ幼いころ、
子守唄を歌う際に、
碧川かたさんは万葉集の歌に
即興で節を付けて、
毎回違う歌を歌っていたそうです。
昔の女性の教養の深さに驚くとともに、
万葉集に込められた日本人の心を幼い頃から聞いて育った露風の心の豊かさを知ることができました。
日本人の心に沁みる歌詞を数多く遺した作詞家・三木露風の原点に触れた気がしました。
これぞ、日本人の情操教育ですね!
現代人に失われたものの一つです。
また、
昭和29年の秋に、
眼を患い視力が落ちた母に露風は「どこか行きたいところはないか」と聞くと、
「議事堂に行きたい」と。
議事堂前に着き、守衛の方に事情を話すと、
警護の扉を大きく開けて、議事堂を見せてくださったらしいです。
その時、碧川かたは、号泣し、その場に泣き崩れたというのです。
婦人参政権をはじめ、様々な女性の権利のために戦ってきた半生を振り返ってのことだと思いますが、それは私には想像もできないような、大変なご苦労だったと思います。
婦人参政同盟を組織し、
雑誌「女権」を発行し、
主婦の立場から様々な意見を発信しました。
それが報われるのは
昭和20年12月の選挙法改正でした。
長い戦いだったと思います。
碧川かたさんの活動のおかげもあり、
私たち女性も今は男性と同じように
参政権を得て、社会で活躍できるようになりました。先人に感謝。
↑市長も挨拶
もう一つ、
歴女のツボだったのは...
ここからは、和田みなの歴女話なので発足会とは関係ないです(>_<)簡単に。。
碧川かたは、明治5年に
鳥取藩の家老、和田信且の二女として生まれました。
鳥取藩といえば、
名君・池田光政公から始まる池田藩。
播州・姫路や岡山とも所縁のある鳥取池田藩は、
幕末には徳川御三家である水戸家の名君・徳川斉昭の五男・慶徳を養子に迎えています。
水戸家は尊皇藩として有名ですね。斉昭は「人能く道を弘むるなり...」と、藩校「弘道館」をつくり、様々な学問を学ばせて、国家の独立や発展に有能な人材をづくりに努めた人物です。
鳥取池田藩もその影響を受けて、藩政改革を進め、尊皇藩となっていきました。先ほどの万葉集の子守唄のエピソードからもわかるように、きっと幼い頃の「かた」も国学などをしっかり学んだとことと推察します。
ちなみに、池田家はもともと楠木正成公の子孫であると言われています。
その日本一の忠臣・大楠公を尊敬し、顕彰したのが水戸徳川家二代藩主・徳川光圀。池田家は、その水戸家から幕末に、最後の藩主を養子にもらったというのも歴史ロマンです。たまらない(>_<)
時代は流れ、
「かた」が再婚した碧川家は、平田篤胤と縁戚関係がありました。
篤胤は、有名な国学者であり、尊皇思想の大家でもあります。
篤胤の思想は、人間を導く神の意志を解き明かし、敬神・崇祖・尊皇を解き、古道に復帰するというもので、その「復古思想」によって人間性のよみがえり・復活を人々に解きました。
つまり、日本版・ルネサンスというべき思想と言えます。
その日本版ルネサンスが花開くのが大正デモクラシー、その中心にいた1人が三木露風であり、碧川かた...
ヨーロッパのルネサンスは、キリスト教から脱却し、ギリシャやローマ時代の古典や古代の文化を復興しようとして、芸術が花開きましたが、
日本では、朱子学から脱却し、幕末から盛んになった国学や尊皇思想が、明治以降に全国に広まることで明治末から大正時代に花開いたのが日本版ルネサンス...
だと、歴女・和田みなは、ぼやーっと考えているところです。
面白いなぁ。いつか、このオリジナル話は整理したいと考えているのですが、いつになるやら。。。
いつか、たつの市は「日本ルネサンスの中心地」となるかもしれません!!
↑県会議員のYさんも駆けつけていました!
話を発足会に戻します。笑
このように、魅力的な女性である碧川かたさんの生涯を学び、必ず朝ドラの主人公にしようとたつの市民の皆さんも気合いが入りました!
最後に、赤とんぼを歌って盛り上がりました。
↑最後にみんなでエイエイオー!
後日、会員証が送られてきました。
そして、、、
かたの会の行事案内も送られてきて、本格的に今月末からスタートします!!
今からとっても楽しみです♪♪
個人的には、
碧川かたさんの旧姓が和田さんだということで親近感を覚えています!
それと、碧川かたさんは婦人参政権の活動家です。そのかたさんを朝ドラの主人公にしようというたつの市では、10年間も女性の市会議員がいません。これではいけないのではないかと、思います。
かたさんの意志を引き継いで、
女性として、主婦として、
私にもできることを、
未来のためにやっていこうと思った
和田みなでした。
皆様も、ぜひ、
「碧川かた」を朝ドラの主人公にする会へのご協力をよろしくお願い致します!!
↑誰でも参加出来ますよ!