シャワーを浴びながら私は何も持っていない事に気がついた。まぁシャワー浴びてるんだから基本シャワーくらいしかもっていないのが普通だろうけど、そういう意味でなくて。普段から私のブログをちらりとでも、読んでくださっている方々なら大方予想はつくことで、相変わらず自己嫌悪に陥っているだけなのかもしれない。それでも、私の知人友人親類家族これまでの長くも短くもない人生の中で出会った殆ど、いや、99%以上といってもいいほどの人たちは、何かしら『この人のこういう部分はすごい』という一部分をきちんと持っているように見える。それは、例えば経済的な何かなのか、対人的なものなのか、精神的なものなのかそれは人それぞれで、それで儲けられるすごい何かだったり、まったくお金にならないかもしれないけどお金に換えられない何かを得られたりと、一概には言えないけれど。私は、その何かひとつでさえ自分の中に見つけられない。そんな風に考えたら今までがすべてが失敗だとか無意味だとかは思わないけれど、もしこの先今までと同じ長さ生きていったとしても、その時に何か見つかっているなんて期待はできないしそんな風に前向きに何かを探しに行くエネルギーも不足してるのが現状。尤も、努力して何かを得た人たちに言わせると、というか、言われるまでもなく。私は恐らく今まで幽かな努力、位しかしたことはないだろうと自覚している。どちらかというと要領も悪い方で、ほぼ恵まれた環境と運だけで現状がある。『自らの力で真っ向勝負して勝ち取った』という表現に当てはまるものはきっと私の人生の中には無い筈。そんな自分だから、自分を薄っぺらく感じるのかどうかは知らない。薄っぺらいというのはいかにも軽くて飛んで行きそうな印象を受けるけれど、同じ軽くて飛び去ってしまいそうでも儚げとなると受ける印象は大きく違ってくるし、恐らく私という人間と儚げという表現は対極とまではいかなくともま~遠くまで出会えなさそうな言葉。話はそれてしまったけれど、また、今こんなことで凹んでいる自分が暇というか幼稚というか、と感じて某ドラマのお決まり台詞が頭に響く。私も「無様だ」。