minです
min
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ブログ、ちょっと変えてみましたヽ(^o^)
タイトル
そして、自分の中ではずっと迷っていた
顔出し。
写真は
少し遠い位置から撮った写真をアップにしたから、少しぼやけ気味だけど
先月まで乗っていた車とお別れするときに
兄に撮ってもらった中の1枚。
兄は
たくさんわたしを笑わせながら
ふざけて
パシャパシャ、パシャパシャ撮りまくった。
そんな感じだったからか
この笑顔の感じ、好きだなーと思える写真が撮れていた。
またそう経たないうちに変えるかもしれないけど、とりあえずこれで(^-^)
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4月16日。
今日は
熊本地震の『本震』から3年の日。
『前震』と呼ばれる4月14日の最初の震度7もすごかったけど
この『本震』に関しては
2時間も3時間も、ずっと揺れ続けているように感じていたのを覚えてる。
その時聞いていたラジオのアナウンサーの方が
『まだ揺れが収まっていないようです』と
ずっと言っていたのを覚えてる。
深夜1時25分の『本震』から立て続けに
震度6クラスの地震が短時間で何度か起きたりしていた。
本震があったとき思ったのは
熊本はどうなってしまうんだろう?ということだった。
前震から含めると
震度7は2回だったけど、震度5や6は何度も来た。
それ以下の地震だともっともっと。
こんな感じで『余震』と呼ばれるものは
3ヶ月くらい続いたんじゃないかな。
そのうちに
怖いんだけどどこか
またかーみたいな、慣れのような感覚も生まれたりした。
お店もあまり開いていなく
遠くのスーパーまで食料の買い出しに行ったり
水が断水したので
給水車が来ていた公民館で並んで水をもらったり
夜には室内にいるのが怖くて
庭などで夕飯を食べたり
寝るときには車で寝たり。
わたしの地域では
あまり停電せず
ガスも使えたことが救いだった。
ただ、水は本当に困った。
トイレを1回流すだけで
かなりの量の水をタンクに汲んだ。
飲みたいし食べたいけど
入れたらトイレに行きたくなるからとためらったりした。
お風呂も浸かれない。
しかもわたしは
このときちょうど、生理の量が多い日に当たったのも辛かった。
不幸中の幸いだったのは
まず、身近な人はみんな無事だったということ。
そして
ガスや電気が通っていたことや
後にギリギリの半壊と判定されたが
自宅に住めないこともなく、避難所に行かなくてよかったことだと思う。
今は自分自身は
あの地震の名残をあまり感じることなく生活できている。
だけどまだまだ
自宅を失ったり
職場を失ったり
大切な人を失ったりした人たちの
生活や心が癒えていない状況がたくさんある。
これからも
度々あの日を思い出し
少しずつでも元気になっていく、熊本の人や街を見ていきたいと思う。
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