大江健三郎を読む。『芽むしり仔撃ち』

紫式部を読む。『紫式部日記』

これは、ある目では、「日本文学を読むこと」であり、別の目で見ると、わたしに課せられた「タスク」である(これらの書物は、授業で課された宿題に必要な書物である)。

私は、「物事を然るべき場所へ片付ける、しまうことができる」ようになりたい。小さい頃から、おもちゃをおもちゃ箱に しまうことが出来ずに、怒られ続けてきた。

「しまうことができない」のはハタチを超えた今も同じで、「日本文学を読むこと」と「提出しなければならない、期限付きの宿題」、どちらに、『芽むしり仔撃ち』や『紫式部日記』を「しまう」べきなのか、しまえばいいのか、分からない。ひょっとすると、別の「然るべき場所」があるのかもしれない。


他にも、私がしまえないものは、たくさんある。野暮ったいので、仔細は割愛。強いて言うなら、「野暮ったいもの」の箱にいれておく。


世界に、線を引きたい。区別をしたい。分かりたい。線が引けたら、分かる、そんな気がしている。


そのために、わたしはこれからも、「しまう」という行為を、繰り返していくのだと思う。

取り急ぎ、全てを「分からないもの・線が引きづらいもの」の箱に入れて。


と、「宿題」から逃げながら、考えた。