知らなかったが、緩和ケア病棟は、約一カ月で出され?るらしい。緩和ケア病棟とは、死ぬまで居るのかと思っていた。


そんな母が一カ月を二週間程で退院した。


先月14日に、がんセンターの緩和病棟に移った母。肺癌と膵臓癌ダブル癌。

片肺が機能せず、鼻から管、尿管、モルヒネで痛み止め、もちろん栄養点滴、

10月末にはもう後1.2週間、と言われた(後日知る、妹より)から、高い個室しか空いて無いがま、いっか、となっていた、

と聞いていた。


北関東の県立がんセンター。

母の実家近く。

モルヒネで呂律回らず、親戚達が次々とお見舞いに来て泣きながら帰る、と、その時付き添ってた従姉妹談。もうほとんど食べれないので、妹がビダーインゼリーとお粥のレトルトを置いて帰った、と聞いていた。

その次の日、又違う従姉妹が泣きながら付き添い、したら、


いきなり母が復活したとの事。。


私に直接元気に電話して来たので、

一応最後に会っとこうと、15日に部屋に泊まった時の話。遅かったので泊まる事に。


なんも食べれないだろうが、自家製梅干しと、我が家で使っている茨城の味噌で作った小さいおにぎりを2個、その梅干しと味噌を入れたタッパを持参した、


塩効き目のそのおにぎりを、子猿のよふにバクバク食う母。。。。。。。。


前日に尿管が取れ、モルヒネも停止していた。

しかし、痛みはどうしたんだろうか😅

私が泊まった次の昼には酸素管まで取れ、母、帰宅して自力でトイレに行く練習まで勝手にしていた。


皆様、人間って、医療の感覚を超えているかもしれませんぞ、、、84歳だから、末っ子、憎まれっ子世に憚る、だからかも知れんが。

妹なぞ、小さなお葬式(字は大きいが)のパンフレットまで取り寄せていたのだが、、


昨日無事帰宅して、家で過ごし始めた母との事、相変わらず妹からのメールにて。

もちろんヘルパーや介助スタッフさん、近所に住む従姉妹の手助けは要りますし、私は週末、妹は平日、と無理しない程度に向かいます。

いつまで自宅にいられるかもまだ未知だが。


※尿管取れたのはイイが、その辺りが腫れて痛いと言う入院中、ワセリンを塗ってあげた。

そこから自分が生まれたと言う場所を見てシマウマ、貴重体験であった。。



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